「折々のうた」は、詩人の大岡 信(まこと)が、新聞の一面に、昭和54年1979年から平成19年2007年まで、計6,762回に及ぶ詩歌のコラムを掲載した。大岡は平成29年2017年に86歳で亡くなるので、まさに40代から70代までの油の乗り切った頃に連載されていた。新書版で全19冊だ。4,516首の詩歌の選集(アンソロジー)である万葉集をしのぐ。
短歌、俳句、連句、川柳、歌謡、漢詩、近現代誌などさまざまに及ぶ。その順番もアトランダム。毎朝、詩歌の海を泳ぐひと時であった。
その大河の「うた」から、俳句を600句チョイスし、誕生から現代の名句を600選んで集めた選集(アンソロジー)を、作者の生年順にならべたクロニクル(時系列に沿った順番で書かれている書物)が、1954年生まれの俳人の長谷川櫂編の「大岡信「折々のうた」選俳句」(一)(二)だ。(一)は2019年令和元年11月刊行。
大岡は、俳句の誕生を室町時代の16世紀前半とした。連歌は、奈良時代に原型ができ、南北朝時代から室町時代にかけて大成された。5・7・5の発句と7・7の脇句の長短句を交互に複数人で連ねて詠んで一つの歌にしていく。この連歌の発句を、俳句の原型とし、通俗性や滑稽味を加味した俳諧連歌を独立した文芸様式としたという。
(一)は、この誕生から、江戸時代の芭蕉の時代、蕪村の時代、そして、歌仙、川柳を掲載している。75人、262句だ。
長谷川は、「俳句を学び始める人にとって、古今の名句を読んで諳んじておくことがいかに大事かはいうまでもないが、どの本を読めばいいかと問われて、この本だとさっとこたえられる本がなかった」という。そして、「山本健吉の「現代俳句」があるが、文字通り正岡子規以降の俳人たちで、この貧困な事態が、俳句は子規以降だという誤った印象を与えた」と。そして、「俳人たちの怠慢と言わざるを得ない」とまでいう。
長谷川は、戦乱が収まった江戸時代を、王朝、中世の古典文学の復興期とし、芭蕉は俳句に古典文学を盛りつけたという。
そして、江戸時代の後半、日常語を使った近代大衆俳句の登場と位置づけ、(二)に一茶以降の近代大衆俳句と現代の末期的大衆俳句を載せた。
短歌、俳句、連句、川柳、歌謡、漢詩、近現代誌などさまざまに及ぶ。その順番もアトランダム。毎朝、詩歌の海を泳ぐひと時であった。
その大河の「うた」から、俳句を600句チョイスし、誕生から現代の名句を600選んで集めた選集(アンソロジー)を、作者の生年順にならべたクロニクル(時系列に沿った順番で書かれている書物)が、1954年生まれの俳人の長谷川櫂編の「大岡信「折々のうた」選俳句」(一)(二)だ。(一)は2019年令和元年11月刊行。
大岡は、俳句の誕生を室町時代の16世紀前半とした。連歌は、奈良時代に原型ができ、南北朝時代から室町時代にかけて大成された。5・7・5の発句と7・7の脇句の長短句を交互に複数人で連ねて詠んで一つの歌にしていく。この連歌の発句を、俳句の原型とし、通俗性や滑稽味を加味した俳諧連歌を独立した文芸様式としたという。
(一)は、この誕生から、江戸時代の芭蕉の時代、蕪村の時代、そして、歌仙、川柳を掲載している。75人、262句だ。
長谷川は、「俳句を学び始める人にとって、古今の名句を読んで諳んじておくことがいかに大事かはいうまでもないが、どの本を読めばいいかと問われて、この本だとさっとこたえられる本がなかった」という。そして、「山本健吉の「現代俳句」があるが、文字通り正岡子規以降の俳人たちで、この貧困な事態が、俳句は子規以降だという誤った印象を与えた」と。そして、「俳人たちの怠慢と言わざるを得ない」とまでいう。
長谷川は、戦乱が収まった江戸時代を、王朝、中世の古典文学の復興期とし、芭蕉は俳句に古典文学を盛りつけたという。
そして、江戸時代の後半、日常語を使った近代大衆俳句の登場と位置づけ、(二)に一茶以降の近代大衆俳句と現代の末期的大衆俳句を載せた。