光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

青空定期便

2008-03-03 18:59:44 | 散策
  3月か、ポカーンとして、もう3月だったと思う。それから曜日の感覚が無くなってくる。今日は何曜日かがはっきりしなくなる。今年は何年で、昭和でいうとどうか、西暦でいうとどうか、色々考える。西暦で考えるのが、コンピュータもそうだし、いいようであるが、逆に、それでは、大正元年は西暦でいつか、というとわからない。大正生まれの方の年齢はわからない。昭和だと、これは自分もそうだからなんとかわかる。今の時代に生きる人は、よりたくさんの数字を変換しないといけない。

  どちらかというと、下を向いている場合が多い。上を見る時もあるが、これは疲れる。感覚も下なら、それが安定につながるが、上だと虚しく、双曲線と、放物線と、それから、楕円の遠日点、これは太陽系の場合を例にとっている、を探す、のどれを行けばいいか、迷いながら、放浪の旅を続ける星のようで、何とも危ういものである。それで、やはり下を向きながら歩いたりしていると、ふと、あー、マイバッグを忘れたなど気付くことがある。慌てて、あたふた、ばたばた元の道を戻る。やはり下を向いて歩いていた方がいいような気もするが、少し暖かいと背伸びをする。猫背をきりりと直してみる。
  油を売りながら歩くというのも、これはだめだというのではなくて、ただ歩いて少しやせればなど期待するときは、あまり効果はなさそうだ、とふと思うときがある。きのうもそうであった。こんなにのんびりだと、まずは燃えやすい糖質が第一に減ってゆく。それで、十分にエネルギは供給出来そうである。よって、エネルギの貯蓄形態と考えることも出来る、脂質の分解まで手配する必要はないように体は、恐らく脳は感じるのだろう。
  そうすると、適度に血中の糖質、例えばそれがグルコースであるとして、それが減るとお腹も減ったということになり、貯金である脂質を取り崩すことなく、お菓子などをおいしくいただけたりする。やっぱり、少しでも、この場合はちょっと判定はむつかしいが、必要以上の脂質を蓄えている場合、ある程度の負荷をかけないとそれは燃えないだろうし、それが順調に低下するようになるにはかなりしんどい思いするような気がして来た。
  少しくらいなら、それは、無理にやせる必要などまったくないと私は考えている。それより、なぜか口の中が妙であって、こうゆうときは飴の一つもなめてみるものだとも思う。特に空腹でもないが、何かのストレスで味覚がおかしくなってくるのはよくあることで、ときどきただ、我慢するより、一つの飴が有効な場合がありそうで、ここはあっさりと、今日は飴玉、明日は、一口チョコといってみる。これに、特に不安はない。

  下向きかげんである。空を見上げる必要もありそうだ。高いところはその先が無限に続くようで、また障害などもない。これまた、心地いいもので、それはやはり、青空が一番である。その青にも色々あって、これも特に考えることなく、機会があればそれを写しておくのも、いいものであると思う。雲もよく青空もいい。




  ここから、空を撮ることは多い。この先はしばらく平坦で、煙突がってその先は海であるから、この空の青さも、当然かも知れない。大きく呼吸をする。




  南の空には、ときに太陽がある。それから、昔の鐘撞き台があって、このコントラストがいい。




  ハクモクレンの木があるが、この木に花が咲くとかなり賑やかになるはずだが、残念なことに蕾は固く閉ざされたままで、青空をたたえる絵になる。

  今日は、曇りがちで、雨の時間もあった。それゆえか、黄砂が降ったとされるが、それに特に気が付くことはなかった。今は、雨が降っている。
  きのうの朝の霧が今また思いだされたが、霧が出来るには何か、その芯になるものが必要のようで、もしかしたらきのうの霧のその元になるものの一つに、黄砂
があったと思ったりもする。

朝霧

2008-03-03 08:08:51 | 散策
  きのう、3月2日、朝の霧のようすです。
  いつも、濃い色ばかり使っていて、
  あまり期待してなかった。
  しかし、この感触もなかなかよく、
  もっとたくさん、「かちゃ・かちゃ」やっとけばよかった。




  ぼんやり、薄い。




  なんとなく、幽霊やら霊魂がさまよっていてもよさそうだが、
  それはない。




  1枚目の左側の拡大。
  すっと消えていけそうな気になるから不思議である。

ネコの鳴き声

2008-03-03 07:11:28 | 散策
  朝のお天気、雨、か曇り。風は穏やか、春らしい雨が降っている。アメダスの6時の気温、4.5℃。段々下がってきている。室温、9℃。きのうの余熱。それと雨の温室効果。

  夜中にも雨が降っていて、これは少しずつ春がやって来るように思えるが、その雨が降っている割に、鼻詰まりもしてくるし、ピリピリ痛むような感じもある。やっぱり今年は、花粉はよく飛んでいるように思える。暖かいと、夜中に起きる回数も減る。熟睡かどうか、これはどうなかな。途中で一回目が覚めて、ってこれはきのうも書きました。

  自然界にも春はやって来ている。この辺りにネコちゃんはいないか、飼い猫でそんなに外に出ることもない、と長く思っていたが、つい先日か、もうかなりたつか、2匹の、一匹は鳥の鳴き声に反応していた、もう一匹は寒い雪道を歩いていたが、向こうから人がやって来たのであろう、慌てて、引き返してきた、ネコの姿を見た。鳥に反応したネコは、鈴付きのスカーフをしていて、これはやっぱり飼いネコのような気がする。
  きのうは少しあるいは、日向はかなり暖かく、太陽も高くなって、まーほどほどのお休みの日であったが、突如妙な声が聞こえ始めて、これはしかしすぐにわかった。ネコちゃんの鳴き声であるが、これはちょっと書きづらい鳴き声である。交互に、ウオー、という声がする。その声に、多少違いがあって、これは2匹がにらみ合いをしていることが推察された。
  まー暇であるから、何でも観察すると、一匹の、これは雪の道のほうのネコ、ネコの尻尾がピンと立っているのが見えた。草むらというか、その先は木が茂っていて見えない。その、ちょっとライオンの毛に似ている色を持つネコの方が優勢なのか、さらにその尻尾は、くるくる回転して、草むらの中に進んでゆく。最後は尻尾だけ、見えた。この先は、特に書くことないだろうが、鳴き合いの後はお決まりのものである。あー、あーやっぱりネコも、野生の本能には負けてしまうのだねー、など思うが、この本能があるから強いネコが生き残って、それでネコも堂々と生きていられるのだから、しょうがないというものである。
  こうゆう鳴き合いは一回で終わるかというと、そうはいかない。これも、しかし、よくあることで省略する。

  ネコは、しかし、ときに人を恐れるし、ワンちゃんもあるネコは非常に恐れる。だが、ワンちゃんのほうはどうであるかというと、大体がまずは、そんなにあちこちうろうろ出来ないようになっている。ときに、ぽつんと歩いている、どうしてそうなったのかわからない犬を見かける。首輪は、ほとんどの場合付いていて、何かの拍子で迷子になったとしかいいようがない。少し怖いが、見知らぬ振りをすれば大丈夫のようだ。
  私が、ときどき見ているワンちゃんは、人にはまず反応しない。お利口である。飼い主の方が出てこられると、生き生きとする。それ以外は、暖かだと眠っていて、餌を食べに来るカラスなどにも反応はない。でも、やっぱりワンちゃんだから、そこにワンちゃんが通りかかると、本能がよみがえって、あー自分も犬であったことを思い出すようだ。

  早く暖かくなればいいが、4月から、また妙なものが待っていて、目を回すことになりはしないか。