じわじわ、今頃になって、冷え込んでくると、電気ヒータの設定を強にしないと、寒いというかスースーする。これが、今ごろとしては普通の温度であって、これは気象協会の方もそうラジオでおっしゃっていた、それほどガタガタするものでもないけれど、実際のところ、足は冷えるし、体も冷たくなってくる。
春というと、靄とか、霧とか、霞など言うが、いっとき騒がれた黄砂も収まっているようで、空が黄色い感じはない。また、昔でいうところのスモッグみたいなものも、見ている感じではない。3月の初めから、半ばは、これが気になっていた。このごろは、それも気にならないようなお天気だった、というと、そうかも知れない。常に、上空の空気は汚れているというものでも、ないらしい。
この、空の濁りというか、汚染というものも、気になる人はかなり神経質になるようで私もその一人といわれると、そうですねということになる。
最初に、有人飛行をして、宇宙から地球を眺めた方がおられるわけだが、「地球は青かった」というようなことを言われたように記憶している。「カモメ」というような言葉も、あったようだが、最初に宇宙から地球を眺めた方だったか、その辺が記憶が曖昧。いずれにしろ、その当時の地球は、宇宙から眺めると、かなりきれいで、また雲は白く、全体は青かった。それからかなりの年月がたって今があるわけだが、地球の夜に当たる部分はもう黒くはなく、かなりキラキラしているらしい。それで、まーお昼の地球というものもあるのだけれど、実際のところ、今の地球はどの程度美しいのか、ちょっと聞いてみたい気もする。
また、地球は丸くはなくて、あるところから先は崖のようになっていて、その先はなにもない、そうゆうような地球というものもあったようだけど、この地球がある程度の大きさを持っていて、空も海も陸地も永遠に果てしなく続いているのではなかった、ということが明らかになって、これに少し驚くというか、失望するというか、現実はかなり小さいものであることを知って、少し気が重くなったという人もおられたようだ。子供の時など地球が大きかろうが、有限の小さな世界であろうが、そんなことはどうでもよかったが、やはりある程度大きくなると、今自分はどうゆうところにいるのか、気になるもので、また、この地球もただのちっちゃい星であることを知ると、さすがに能天気にもなれないのは、事実であろう。
先ほど、少し強い雨が降ったあとである、西の空がきれいであって、これは、春ではなく、冬の透明な空だと思った。どこまでも透明で、雲さえも透明というか汚れのないものに思えてくる。こうゆう景色を見て、心を洗うのもなかなかいいものであって、寒さももう終わりなはずであるけれども、それなりに、なにか救われる感じもする。
今年、何度かもうスイセンの花も見て、また遅い感じもあるが、そろそろほぼそのスイセンも、あちこちで満開になる気もするが、ちょっと変わったというか、見かけないものを、見た。このようなものも、あるのかという感じである。
よく見かける、少し大型のスイセンで、うまい具合に花もほぼ真横を向いてくれている。
それから、しばらくして、このようなスイセンに出会うことになる。咲き初めであるけれど、やはり1枚目のものとは少し違う。八重咲きかな。
逆光になっているが、それゆえこのスイセンの感じはよくなった気がする。この、八重咲きのスイセンというのも、なかなか見ることはない。見たことはない、というのが、正直なところ。
手前少し横から、光の当たっているもの。空も、透き通っているし、この花の色も、ほどよく濃くて、どちらかというとあっさり目に写るレンズであるが、この色の濃さは、空気も澄んでいるからと思いたくもなる。
春というと、靄とか、霧とか、霞など言うが、いっとき騒がれた黄砂も収まっているようで、空が黄色い感じはない。また、昔でいうところのスモッグみたいなものも、見ている感じではない。3月の初めから、半ばは、これが気になっていた。このごろは、それも気にならないようなお天気だった、というと、そうかも知れない。常に、上空の空気は汚れているというものでも、ないらしい。
この、空の濁りというか、汚染というものも、気になる人はかなり神経質になるようで私もその一人といわれると、そうですねということになる。
最初に、有人飛行をして、宇宙から地球を眺めた方がおられるわけだが、「地球は青かった」というようなことを言われたように記憶している。「カモメ」というような言葉も、あったようだが、最初に宇宙から地球を眺めた方だったか、その辺が記憶が曖昧。いずれにしろ、その当時の地球は、宇宙から眺めると、かなりきれいで、また雲は白く、全体は青かった。それからかなりの年月がたって今があるわけだが、地球の夜に当たる部分はもう黒くはなく、かなりキラキラしているらしい。それで、まーお昼の地球というものもあるのだけれど、実際のところ、今の地球はどの程度美しいのか、ちょっと聞いてみたい気もする。
また、地球は丸くはなくて、あるところから先は崖のようになっていて、その先はなにもない、そうゆうような地球というものもあったようだけど、この地球がある程度の大きさを持っていて、空も海も陸地も永遠に果てしなく続いているのではなかった、ということが明らかになって、これに少し驚くというか、失望するというか、現実はかなり小さいものであることを知って、少し気が重くなったという人もおられたようだ。子供の時など地球が大きかろうが、有限の小さな世界であろうが、そんなことはどうでもよかったが、やはりある程度大きくなると、今自分はどうゆうところにいるのか、気になるもので、また、この地球もただのちっちゃい星であることを知ると、さすがに能天気にもなれないのは、事実であろう。
先ほど、少し強い雨が降ったあとである、西の空がきれいであって、これは、春ではなく、冬の透明な空だと思った。どこまでも透明で、雲さえも透明というか汚れのないものに思えてくる。こうゆう景色を見て、心を洗うのもなかなかいいものであって、寒さももう終わりなはずであるけれども、それなりに、なにか救われる感じもする。
今年、何度かもうスイセンの花も見て、また遅い感じもあるが、そろそろほぼそのスイセンも、あちこちで満開になる気もするが、ちょっと変わったというか、見かけないものを、見た。このようなものも、あるのかという感じである。
よく見かける、少し大型のスイセンで、うまい具合に花もほぼ真横を向いてくれている。
それから、しばらくして、このようなスイセンに出会うことになる。咲き初めであるけれど、やはり1枚目のものとは少し違う。八重咲きかな。
逆光になっているが、それゆえこのスイセンの感じはよくなった気がする。この、八重咲きのスイセンというのも、なかなか見ることはない。見たことはない、というのが、正直なところ。
手前少し横から、光の当たっているもの。空も、透き通っているし、この花の色も、ほどよく濃くて、どちらかというとあっさり目に写るレンズであるが、この色の濃さは、空気も澄んでいるからと思いたくもなる。