光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

春の夜空

2008-03-11 19:13:38 | 散策
  確か、きのうの夜も晴れ、で、3日間夜空に星が見ていた。土曜日の夜空は、突然いう気がして、それから気温の内と外にさほど差がないこともわかって、ようやく、夜空にも春が訪れたと思った。しかし、そこは春で、冬ではない。ピリッとしたものは、体で感じることも出来ないが、それは星の姿を見ていてもそうで、これはしかし春の証左でもあってしょうがない。キリキリする寒さにもう向かっていく気もあまりないので、これはしょうがない。この春の夜空の程度、が問題になってくる。
  冬というと、それこそこれほど小さな点像はない、というくらいなシャープな星が肉眼で見えているし、また写真などもあまりに細かくて、少し目が痛いくらいのものになってくる。もちろん、それだけの技術を習得して、また修行をつまれてそうゆうものを手にすることが出来る。これは、相当我慢強くないとまず無理だし、それに寒さとか雪とかのことも知っていないといけなく、冒険家であることも要求されるようだ。雪山にも登れて、厳冬の、それで星の写真も撮ることが出来る。まるで、夢のようで、考えただけで脚がガクガクしそうである。
  星の写真は、少し昔は、星そのものを撮るというかたが多く、それから、山と星空、富士山とそのまわりの星の光景など、風景とそれと星と、というものが次に続いた。こうゆうものも、結構厳しいもので、なかなか出来るものではない。
  去年に、McNaught彗星(C/2006 P1)というのが現われて、特に南半球で、この彗星が、はなはだしいというか、まれに見る激しい変化を見せて、世界を席巻したが、その地域におられる方の写真というのは、これはまー彗星の特異性もあるが、まわりの山の風景とかあるいは、都会の夜の賑わいと夜空に輝く世にも不思議な姿を見せた彗星の組み合わせ、あるいは、家族と彗星、ワンちゃんと子供と奥さんと彗星、などの写真が出て、これは住むところが変われば、人の撮る写真も変わると思ったものである。
  それでかどうかよくはわからないが、今時のはやりというのも変だけど、この冬の星の世界と、人と、それから地球と、という、この3つが一緒になったものも、なかなかいいものであって、見る機会が増えた気がする。これこそ地球の環境のあり方を素直に表わしていると思ったりした。話しがやけに飛躍した。

  今日は暖かである。それから、南西からの風が強く吹いて、もう今さらいうこともないが、花粉も飛んだ。目ショボ、目の痒み、それから、鼻ムズいうことなしで、頭も多少ガンガンしている。これは気温が高すぎるからかも知れない。それから、この辺りで、また、日本付近に黄砂が飛んできているという情報もないようであるが、午後になるとかなり空が黄色いというか薄い茶色に染まって、まずは青空は消えたような感じだ。その後も、その空の濁りは、昔のひどい環境汚染のときの空を思い出させるもので、暖かいがあまりいい気持ちにもなれなかった。空中砂漠という言葉も思い浮かんだ。そのうち、夕刻、太陽がその雲ではないと思われる、薄茶色の空気のおかげで、赤く、一個の円に見えるまでになった。


  それで、っと、残るものは、ホンの少し前の、こうゆういいお天気の時もあった、というものになる。これしかない。




  梅の花、日当たりのいいところのもの。今はたぶんもっと咲いているだろう。それより、きのうと同じ感想だけど、この青い空はどこにいったのか、それを強く思う。



  
  梅のよさはいうことはない。それで、そのまわりのぼんやりした、しかし澄み切っていると思われる、この空間に今は注目。恋しい。




  最後は、ちょっと細かいもので、きりりとしめる。それにしても、たくさんの小枝を出すケヤキ。今日のお天気では、このケヤキも、土ぼこりでクシャミをしているかも知れない。  

ウグイス、鳴く

2008-03-11 07:09:07 | 散策
  朝のお天気、晴れ。快晴に近い晴れ、春らしい、少し霞がある。風は弱く、穏やか。室温、8℃。

  ウグイスが鳴いている。かなり上手な鳴き方で、今まで聞いたことがないさえずり。まさか、ラジオから聞こえてくるなんてことはないよね、ボリュームをしぼる、ついには、窓から顔を出す。耳を澄ますと、先ほどよりいい感じで、ウグイスは鳴いてくれた。この辺りには、今頃、あるいは、早いときには、お正月からウグイスは、いる。ちょこちょこ動くのでわかる。ただし、鳴き出すのは、3月ころのようである。
  ウグイスはどこからやって来るのか。これは謎である。たぶん山のほうから、としか言いようがない。それから、その鳴き声も上手下手がある。これは、聞いているほうの判断である。赤ちゃんウグイスは、どうして鳴き声を覚えるのか、おそらく鳴くと、あの「ホーホケキョ」に近いものになるに違いない。実際の鳴き声は、ホーホケキョてな、ちょっと不細工ともいえる言葉では表わすことの出来ない、複雑で、なかなか好ましい鳴き声である。色々な鳴き声があって、方言もあれば生育期間によっても違うような気がする。
  今日のウグイスの鳴き声は、魅惑的でもあって、それまで、ぼんやりしていた脳みそも、少し正常にもどった?ようである。

  きのうは、細い細いそして赤味がかった新月を過ぎた月を、西の空に見た。春の月であって少し湿っぽい。それからは、ほどほどに晴れていて、窓ガラスも曇っていた。
  朝は、もう気が付いたら明るい。かなり明るくて、それで、ウグイスが鳴く。顔を冷たい水で洗う。しばらくすると暖かくなる。この逆がいいらしい。いつも、温めた牛乳にコーヒーの粉を入れる。この粉も、やはりなくなる。空き瓶がたまる。コーヒーの粉の入っていない、ただ牛乳だけというものを飲んでみると、温めてあるからか少し甘い。それから、牛になった気がするかというとそうでもない。ただ、この甘さと香りらしきものは、どうもあまりいい感じがしない。牛さんに怒られそうである。勝手なことをいって、牛の立場にたってみろてな感じ。申し訳ない。どうも、コーヒーの苦味の方が気にいっているらしい。
  このコーヒーも別に好きだというわけではないが、なければないで、なるほどこれに習慣性が出来ていることを知る。依存が出来上がっていた。色々なものが入っているところの扉を開けるが、空瓶と、使われないものだけが残っている。

  ウグイスの鳴き声で、それからコーヒーの粉がないことで、目が覚めた春の朝ということになる。