確か、きのうの夜も晴れ、で、3日間夜空に星が見ていた。土曜日の夜空は、突然いう気がして、それから気温の内と外にさほど差がないこともわかって、ようやく、夜空にも春が訪れたと思った。しかし、そこは春で、冬ではない。ピリッとしたものは、体で感じることも出来ないが、それは星の姿を見ていてもそうで、これはしかし春の証左でもあってしょうがない。キリキリする寒さにもう向かっていく気もあまりないので、これはしょうがない。この春の夜空の程度、が問題になってくる。
冬というと、それこそこれほど小さな点像はない、というくらいなシャープな星が肉眼で見えているし、また写真などもあまりに細かくて、少し目が痛いくらいのものになってくる。もちろん、それだけの技術を習得して、また修行をつまれてそうゆうものを手にすることが出来る。これは、相当我慢強くないとまず無理だし、それに寒さとか雪とかのことも知っていないといけなく、冒険家であることも要求されるようだ。雪山にも登れて、厳冬の、それで星の写真も撮ることが出来る。まるで、夢のようで、考えただけで脚がガクガクしそうである。
星の写真は、少し昔は、星そのものを撮るというかたが多く、それから、山と星空、富士山とそのまわりの星の光景など、風景とそれと星と、というものが次に続いた。こうゆうものも、結構厳しいもので、なかなか出来るものではない。
去年に、McNaught彗星(C/2006 P1)というのが現われて、特に南半球で、この彗星が、はなはだしいというか、まれに見る激しい変化を見せて、世界を席巻したが、その地域におられる方の写真というのは、これはまー彗星の特異性もあるが、まわりの山の風景とかあるいは、都会の夜の賑わいと夜空に輝く世にも不思議な姿を見せた彗星の組み合わせ、あるいは、家族と彗星、ワンちゃんと子供と奥さんと彗星、などの写真が出て、これは住むところが変われば、人の撮る写真も変わると思ったものである。
それでかどうかよくはわからないが、今時のはやりというのも変だけど、この冬の星の世界と、人と、それから地球と、という、この3つが一緒になったものも、なかなかいいものであって、見る機会が増えた気がする。これこそ地球の環境のあり方を素直に表わしていると思ったりした。話しがやけに飛躍した。
今日は暖かである。それから、南西からの風が強く吹いて、もう今さらいうこともないが、花粉も飛んだ。目ショボ、目の痒み、それから、鼻ムズいうことなしで、頭も多少ガンガンしている。これは気温が高すぎるからかも知れない。それから、この辺りで、また、日本付近に黄砂が飛んできているという情報もないようであるが、午後になるとかなり空が黄色いというか薄い茶色に染まって、まずは青空は消えたような感じだ。その後も、その空の濁りは、昔のひどい環境汚染のときの空を思い出させるもので、暖かいがあまりいい気持ちにもなれなかった。空中砂漠という言葉も思い浮かんだ。そのうち、夕刻、太陽がその雲ではないと思われる、薄茶色の空気のおかげで、赤く、一個の円に見えるまでになった。
それで、っと、残るものは、ホンの少し前の、こうゆういいお天気の時もあった、というものになる。これしかない。
梅の花、日当たりのいいところのもの。今はたぶんもっと咲いているだろう。それより、きのうと同じ感想だけど、この青い空はどこにいったのか、それを強く思う。
梅のよさはいうことはない。それで、そのまわりのぼんやりした、しかし澄み切っていると思われる、この空間に今は注目。恋しい。
最後は、ちょっと細かいもので、きりりとしめる。それにしても、たくさんの小枝を出すケヤキ。今日のお天気では、このケヤキも、土ぼこりでクシャミをしているかも知れない。
冬というと、それこそこれほど小さな点像はない、というくらいなシャープな星が肉眼で見えているし、また写真などもあまりに細かくて、少し目が痛いくらいのものになってくる。もちろん、それだけの技術を習得して、また修行をつまれてそうゆうものを手にすることが出来る。これは、相当我慢強くないとまず無理だし、それに寒さとか雪とかのことも知っていないといけなく、冒険家であることも要求されるようだ。雪山にも登れて、厳冬の、それで星の写真も撮ることが出来る。まるで、夢のようで、考えただけで脚がガクガクしそうである。
星の写真は、少し昔は、星そのものを撮るというかたが多く、それから、山と星空、富士山とそのまわりの星の光景など、風景とそれと星と、というものが次に続いた。こうゆうものも、結構厳しいもので、なかなか出来るものではない。
去年に、McNaught彗星(C/2006 P1)というのが現われて、特に南半球で、この彗星が、はなはだしいというか、まれに見る激しい変化を見せて、世界を席巻したが、その地域におられる方の写真というのは、これはまー彗星の特異性もあるが、まわりの山の風景とかあるいは、都会の夜の賑わいと夜空に輝く世にも不思議な姿を見せた彗星の組み合わせ、あるいは、家族と彗星、ワンちゃんと子供と奥さんと彗星、などの写真が出て、これは住むところが変われば、人の撮る写真も変わると思ったものである。
それでかどうかよくはわからないが、今時のはやりというのも変だけど、この冬の星の世界と、人と、それから地球と、という、この3つが一緒になったものも、なかなかいいものであって、見る機会が増えた気がする。これこそ地球の環境のあり方を素直に表わしていると思ったりした。話しがやけに飛躍した。
今日は暖かである。それから、南西からの風が強く吹いて、もう今さらいうこともないが、花粉も飛んだ。目ショボ、目の痒み、それから、鼻ムズいうことなしで、頭も多少ガンガンしている。これは気温が高すぎるからかも知れない。それから、この辺りで、また、日本付近に黄砂が飛んできているという情報もないようであるが、午後になるとかなり空が黄色いというか薄い茶色に染まって、まずは青空は消えたような感じだ。その後も、その空の濁りは、昔のひどい環境汚染のときの空を思い出させるもので、暖かいがあまりいい気持ちにもなれなかった。空中砂漠という言葉も思い浮かんだ。そのうち、夕刻、太陽がその雲ではないと思われる、薄茶色の空気のおかげで、赤く、一個の円に見えるまでになった。
それで、っと、残るものは、ホンの少し前の、こうゆういいお天気の時もあった、というものになる。これしかない。
梅の花、日当たりのいいところのもの。今はたぶんもっと咲いているだろう。それより、きのうと同じ感想だけど、この青い空はどこにいったのか、それを強く思う。
梅のよさはいうことはない。それで、そのまわりのぼんやりした、しかし澄み切っていると思われる、この空間に今は注目。恋しい。
最後は、ちょっと細かいもので、きりりとしめる。それにしても、たくさんの小枝を出すケヤキ。今日のお天気では、このケヤキも、土ぼこりでクシャミをしているかも知れない。