光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

春なのか、夏なのか

2007-05-29 18:50:55 | 植物・花(春)
  目の前に名前はわからないが、ある木があって、それが珍しくたくさんの白い花を咲かせているが、一週間くらい前から、その花が、ぽつりぽつり落ちてゆくのがわかる。
  気候の異常はもはや当然の感があるが、今年の新緑はいつもより派手な気がする。この時季にこんな緑が輝いていいのか、そうゆう状態。それで、目の前にある木の花だって、普段は何とも思っていない。去年もそうだったし、おととしもそう。この白い花が咲くことは知っているが、その後になぜか今度は黄色い色の何かが出てくる。そっちの方が、気にかかっていた。今、記憶をたどっても割合はっきりしている、白の花が咲いて、その後しばらくして黄色い花?のようなものがまた出てくる。今年は、あまりにビッシリ白い花を付けて驚いてもいるし、この後どうなるか心配もする。何も木々だけでなく、より大きい範疇で、気象とか、あるいは地震とか、夏は本当に暑くなるのかなってなことも。
  一つの直線がある。また出てきた。これは、春とか夏とか直接関係はない。瞬間という直線で、ここにすべての生き物がちょうど”一直線”上に並んでいる。人に限ると、生まれたばかりの赤ん坊から、元気があふれている人、少しくたびれたおじさん、元気なおばあさん。それから、病気と闘っている人、皆この一直線上にいる。この一直線は、動いている。二度と同じ位置に戻る、重なることはない。そうゆう風な空間が考えられるかどうか、それには一抹の不安があるが、常に違う位置にある。ここに、生き物は乗っかっている。どんな状態であってもこのある瞬間の一直線に、皆同様に乗っかている。その状態は、瞬間、限りなくゼロに近い瞬間で、それは、その直線が常に移動しているからだ。
  この瞬間という直線に乗っかってある程度時間がたつと、人は、あるいは生き物は、生きているという実感と時間を味わう。今日も無事生きて来た、ただまだ、今日は終わってないので、何ともそこまでは言えないが。昔から、こんな考えを持っていて、年齢なんて結局あとからくっ付いて来るものだ、なんて思っていた。今もそうだが、なんでこんなことを書いているか、この辺りは複雑なところ。
  春なのか、夏なのかという問題だった。もう”半袖で”という言葉を聞く。それはニャイだろう、齢を重ねた私は思う。それで、今日は十分汗をかく、そうゆう一日で、ずっとシャクヤク詣でをしていた、その紅色のシャクヤクが、ようやくちょっと落ち着いたというか、形が整ったというか、それに、このシャクヤクは八重で、もしかしたらオシベがないものかもと考えたりしたが、ちゃんとあった。ようやく、一段落した、そうゆう気分である。長かったなー。



  アヤメ科の植物の時季というのもわからないもので、春よりやはり初夏というのが一般的な感じがする。なぜか、このようなちょっと見かけない色のものがあった。



  漠然と見ていると、特に何もないようで、でもちょっと今までに見たことのない風貌である。ただ、アヤメ科の花の種類も数多い、ということを読んだりしていると、ごく普通のものかも知れない。

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