あっさりと、明後日でどうですか、電話がつながった。
きのうの夕方で、直感で出遅れたが、どうにかつながった。
何度か電話をくれましたか、話はなかなかうまく通じないが、それほどでもなかったのかも。
で、草刈りの日は決まってしまって、でもあんまり草はまだ多くはない。
それでも、しょうがないものだから。それでいいことにした。
幸いか天気はいい。
とするとこれまで、何度かあった電話はどこからのものかな。
一つは母の妹、叔母からの可能性。この人も、もういい歳のはずだ。話がすぐに通じると
いう感じはないが、苦労の多い人である。自分の長男をも病気で失っている。気丈でないと生きていけない
人生だがそれにしても、神様は不平等だ。子供のときからそうゆう気持ちはあった。ご自身も、大きな手術を
していてそれこそ満身創痍。でも、見たところいつも元気だった。
春になったら行くからねと、電話か年賀ハガキであった。
母が亡くなって、一番にこの叔母に電話をした。母の最期の姿を見たとき、なぜかもう死んでいると思った。
このときのことはときどきだが、脳裏によみがえる。
そのときは泣くことはなかったが、叔母にこのことを知らせるときは、間接的な表現にしたからか
言葉に詰まった。
自分の親の死を知るとき、医師でも、ほろほろと泣いてしまった、というような文章を読むこともあるが、
特に母親を亡くすときは男は弱いものだ、痛感する。もちろん、ぜんぜん気にもかけない、そうゆう例も
知っているが。
その叔母も、いつ何があってもおかしくはない年齢だが、考えてみたら、母方の兄弟で一番下。
でも伯母のことはまだ何にも聞かないから、大丈夫なはずだし、最近はどうゆうわけか、お悔やみ欄も
見たりもする。もちろん、出さない人もいる。大概は葬儀社に任すので、自動的に新聞に載る。
でも出さないかも知れないな。もちろん、母よりも上だから、90歳を超えている。
母方の叔父も面白い人で、銀行マンだった。それ以外に、畑仕事が趣味で、自分の母親、私の母方の祖母に
「そんなに働かなくてもいいだろう」、と言わせた人でもある。
この叔父とも、母の亡くなったあとは、会っていない。年とともに、頑固になったようだ。私は割りと
叔父伯母には、大きな口をきく。そんなかしこまっても面白くない。こっちはこっちで、それだけ親しみを
持っている。相手は昔むかしは、それも気にかけなかった。でもどうゆうわけか、年齢を重ねて
なんてけしからぬ、甥っ子だと、特に叔父は思っているようだが、母が亡くなったときは、「もう一回
生きている間に会っておきたかった」、そうゆうこともいった。
どうも湿っぽい話になってきた。
もっとも私も、真っ暗な中で、ただ一人星空を見上げて、あるいはカメラの作動している間、考えることは
「失うものはすべて失った」、ということだったりもする。自分もあとどれくらい生きられるか、神妙に
なってしまうことも多い。
朝は、ほとんど元気はなく、いくらか気分の回復する薬を飲んで、少し効果が出ると、あの野郎めなど
思うことはまだある。
世の中は自分の思う通りにいかないものだが、それにしてもいろいろ、なんでこんなことになってしまった
のだろう、この列島の国はと結構怒りを覚えて、そう簡単には死ねないなーという気持ちまではゆくが、
これが続かない。
『戦時立法』というのか、自分でもなんと言ったらいいかわからないが、これだけ憲法を破壊している政治家はいない、
その男の名を思う。
立憲政治とは何か。主権者の国民、この言葉は英語のほうがわかりやすい、はっきりとする。国民が政治を支配して
いるのである。毎度同じことを書いたり思ったりするが、憲法の前文を見ると、現実との乖離が極限にあることが
自明。
単純明快に、権力を持つ人間を縛る。これが憲法。これには逆らえない。
元気はないが、思うことは書いとかないと。
それで、花である。
その一。刈り取られる運命。
その二。
その三。タネ。
その四。タンポポのタネは矢の形をしている。実効性がある。
その五。オキザリス。
その六。ドウダンツツジ。
以下はこれだけの花が、というヤブデマリ、この花もこれだけ気温が高いと、長くは持たない。
その七。
その八。
その九。
その十。
箱根山の小さい火山性微動、気になるところ、これは何かの予兆かな。
きのうの夕方で、直感で出遅れたが、どうにかつながった。
何度か電話をくれましたか、話はなかなかうまく通じないが、それほどでもなかったのかも。
で、草刈りの日は決まってしまって、でもあんまり草はまだ多くはない。
それでも、しょうがないものだから。それでいいことにした。
幸いか天気はいい。
とするとこれまで、何度かあった電話はどこからのものかな。
一つは母の妹、叔母からの可能性。この人も、もういい歳のはずだ。話がすぐに通じると
いう感じはないが、苦労の多い人である。自分の長男をも病気で失っている。気丈でないと生きていけない
人生だがそれにしても、神様は不平等だ。子供のときからそうゆう気持ちはあった。ご自身も、大きな手術を
していてそれこそ満身創痍。でも、見たところいつも元気だった。
春になったら行くからねと、電話か年賀ハガキであった。
母が亡くなって、一番にこの叔母に電話をした。母の最期の姿を見たとき、なぜかもう死んでいると思った。
このときのことはときどきだが、脳裏によみがえる。
そのときは泣くことはなかったが、叔母にこのことを知らせるときは、間接的な表現にしたからか
言葉に詰まった。
自分の親の死を知るとき、医師でも、ほろほろと泣いてしまった、というような文章を読むこともあるが、
特に母親を亡くすときは男は弱いものだ、痛感する。もちろん、ぜんぜん気にもかけない、そうゆう例も
知っているが。
その叔母も、いつ何があってもおかしくはない年齢だが、考えてみたら、母方の兄弟で一番下。
でも伯母のことはまだ何にも聞かないから、大丈夫なはずだし、最近はどうゆうわけか、お悔やみ欄も
見たりもする。もちろん、出さない人もいる。大概は葬儀社に任すので、自動的に新聞に載る。
でも出さないかも知れないな。もちろん、母よりも上だから、90歳を超えている。
母方の叔父も面白い人で、銀行マンだった。それ以外に、畑仕事が趣味で、自分の母親、私の母方の祖母に
「そんなに働かなくてもいいだろう」、と言わせた人でもある。
この叔父とも、母の亡くなったあとは、会っていない。年とともに、頑固になったようだ。私は割りと
叔父伯母には、大きな口をきく。そんなかしこまっても面白くない。こっちはこっちで、それだけ親しみを
持っている。相手は昔むかしは、それも気にかけなかった。でもどうゆうわけか、年齢を重ねて
なんてけしからぬ、甥っ子だと、特に叔父は思っているようだが、母が亡くなったときは、「もう一回
生きている間に会っておきたかった」、そうゆうこともいった。
どうも湿っぽい話になってきた。
もっとも私も、真っ暗な中で、ただ一人星空を見上げて、あるいはカメラの作動している間、考えることは
「失うものはすべて失った」、ということだったりもする。自分もあとどれくらい生きられるか、神妙に
なってしまうことも多い。
朝は、ほとんど元気はなく、いくらか気分の回復する薬を飲んで、少し効果が出ると、あの野郎めなど
思うことはまだある。
世の中は自分の思う通りにいかないものだが、それにしてもいろいろ、なんでこんなことになってしまった
のだろう、この列島の国はと結構怒りを覚えて、そう簡単には死ねないなーという気持ちまではゆくが、
これが続かない。
『戦時立法』というのか、自分でもなんと言ったらいいかわからないが、これだけ憲法を破壊している政治家はいない、
その男の名を思う。
立憲政治とは何か。主権者の国民、この言葉は英語のほうがわかりやすい、はっきりとする。国民が政治を支配して
いるのである。毎度同じことを書いたり思ったりするが、憲法の前文を見ると、現実との乖離が極限にあることが
自明。
単純明快に、権力を持つ人間を縛る。これが憲法。これには逆らえない。
元気はないが、思うことは書いとかないと。
それで、花である。
その一。刈り取られる運命。
その二。
その三。タネ。
その四。タンポポのタネは矢の形をしている。実効性がある。
その五。オキザリス。
その六。ドウダンツツジ。
以下はこれだけの花が、というヤブデマリ、この花もこれだけ気温が高いと、長くは持たない。
その七。
その八。
その九。
その十。
箱根山の小さい火山性微動、気になるところ、これは何かの予兆かな。
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