ぶらぶら人生

心の呟き

背高く伸びた待宵草

2007-07-28 | 散歩道

 前回のブログ、「暑気中り?」に添付した写真、「エノコログサ」の茂る原は、背の高い「待宵草」の咲く原っぱでもあった。これを「大待宵草」というのかもしれないと思った。理由はただ、背丈が高いというだけだが……。

 以前のブログにも書いた、太宰治の
 <富士には、月見草がよく似合う。>
 (御坂峠にある碑文は、原文どおり、<似合ふ>と、歴史的仮名遣いらしい。)
 の、句を思い出し、小説を読み返す必要があるな、と思った。
 前回のブログでは、花色は何色だったのか、多分、白い花ではなくて、黄色だったのでは、と書いた。
 (つい最近、知ったばかりの知識だが、「月見草」は、もともと白い花なのだそうだ。)
 
 早速、『富岳百景』を読み直した。
 幾度も読んだはずなのに、細部はきれいに忘れていた。太宰治の富士山に対する愛憎の表現が実に面白い。読書の醍醐味をしばし楽しんだ。単なる身辺雑記ではなく、小品の中に、私の好きな作家、太宰治の様々な面が顔を覗かせ、読みつつ微苦笑を禁じえなかった。

 <(バスで峠の茶屋に引き返す途中、乗り合わせた六十歳くらいの、私の母とよく似た老婆が、)

 「おや、月見草。」
 そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。
 三七七八米の富士の山と、立派に対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていた月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。


 となっていて、はっきりと<黄金色の月見草>と、太宰治自身が書いているのであった。<富士に……>の一句が、一人歩きして有名になってしまっているが、文中においては、一描写に過ぎない。
 それにしても、<六十歳くらいの、…老婆>とは、ちょっと失礼な、と思ったが、六十歳は、確かに老婆であり、老爺といわれても仕方ないのかも知れない。当人が勝手に、若いと思っているだけともいえる。

 今晩は十三夜のはずである。月見草(待宵草)の原っぱからは、真正面にお月さまが眺められるはず。今晩は、ちょっと散歩に出かけてみよう。 

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