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日経新聞 私の履歴書で掲載されていた、JR東海名誉会長の葛西 敬之さんの10/8)の記事が凄い内容で、思わずfbでこう呟いた。
<目茶滅茶面白くてヤバいっす。新幹線の誕生秘話。
<先見の明で、在来線より幅広い規格を採用した人物が「討ち死に」
<そして…
その人物は、国鉄総裁 十河 信二。
そしてちょうどそのタイミングで発売されたのが「新幹線を走らせた男 国鉄総裁十河信二物語」
こりゃ、読むっきゃないね~(笑)
本を手に取ると、700ページ以上の極太本!
それじゃ早速!と意気込んで読み始めたものの、実は前半は苦行状態に。
というのは当時の国鉄は民営化されてないので、国鉄が板挟みに成る事態が多く発生し、「会議は踊る」的な記述が続く…
いかにも明治人な、十河 信二の人となりの記述は相当面白かったが。
だが300ページを越えたあたりから、俄然面白くなる。
・在来線より幅広い規格「広軌」派 vs「狭軌」派の果てしない 闘い。
・なんとか国会で通すためにマル秘で「半額予算」で提出し貫き徹すエピソード。
・「世界一の鉄道を作ろう」という極めて明快なスローガンが、現場の国鉄マンの心に火をつける。俺たちが世界一の鉄道を作るのだ…
・新丹那トンネルの掘削は 熱海側=間組、名古屋側=鹿島建設がそれぞれ担当し、どちらが長く掘り貫通させるかを不眠不休の作業で競った。
・十河 信二の総裁再任が議決された一週間後に、東京オリンピック1964が決定。夢の超特急に、最高の目標ができた!
・計画の政府保証を取り付けた証となる、ワシントンでの長期に渡る世銀借款交渉。
・東海道新幹線のカラーリングが決定した経緯。
・十河 信二を潰すことになりかねないスクープを握りつぶした、2人の新聞記者。
・鴨宮ー綾瀬モデル線の初走行そして200km突破まで。
そして、
・本にも登場! 先の私の履歴書の、葛西新入社員が経験した 十河 信二。
etc...
という具合で、印象的なエピソード連発に唸る。
日経の連載に載っていたがよくわからなかった「有法子」(ユーファース)の意味も良く理解できた。
最後にその意味を引用して、この読後評を締めたい。
「どんな困難、いかなる苦境にあっても、諦めてはいけない。必ず打開策はある」
何かというとまず「断る」ことを第一に考える人に、捧げたい一節では?(笑)
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