最後の「戦後編」になります。副題が「教師の主体性」とつけられ、4つの章に分かれています。各章のタイトルは以下の通りです。
1. 戦後教育の総点検 (座談会)
2. 教師の戦争責任と戦後責任
3. 高度成長下の差別と疎外
4. 70年代への視点
斎藤喜博、無着成恭氏以下、15名の人物が証言を寄せています。各氏の略歴をネットで調べますと、前回同様全員が共産主義者で、なんらかの市民活動に参加しています。
「戦中編」では、15名の略歴を紹介しましたが、煩雑なので、今回は対象人物を割愛しました。
詳細な年表を入れると414ページの本で、貴重な資料ですが、書評を終えた後は小学校の「有価物ゴミ」として出します。再生されてダンボールになるのか、トイレットペーパーになるのか知りませんが、これもまた『平家物語』です。
奢れるものは久しからず
ただ春の夜の夢の如し
かく言う「ねこ庭」のブログも、私がいなくなった後で息子の誰かが見つけてくれなければ、パソコンと共に廃棄されます。ダンボールにもトイレットペーパーにも、再生されませんが、大袈裟な「覚悟」はせず、「諦観」という言葉の心境でいます。
では、最初の証言者を紹介します。
〈 7. むの たけじ氏・・ 「 戦争責任を問う結び目と足場 」〉
さとみ みのる氏同様、武野 武治という漢字名があるのに、わざわざ読みにくい平仮名にしています。この本に限って言えば、ひらがな表示の人物にろくな人間はいません。さらにこの本に限って言えば、むの氏は、30数名の証言者中最低の人物です。
これについては後で述べるとし、氏の略歴を紹介します。
・大正4年生まれ 平成28年没 101才
・東京外語大学卒、ジャーナリスト
・昭和15年、朝日新聞入社
・昭和20年8月の敗戦を機に、戦意高揚に関与した責任をとり退社
・昭和23年元旦、妻子4人を連れ、秋田県に帰郷
・翌月から、タブロイド版の週刊新聞『たいまつ』を創刊
・反戦の立場から、言論活動を開始」 以後、昭和53年780号で休刊するまで続けた
責任をとって朝日新聞を退社し、妻子と共に郷里へ引っ込んだと、この潔さを戦後の反日左翼がこぞって賞賛しました。氏が亡くなった時は、多くの新聞が称える記事を掲載し、彼こそがジャーナリストの良心を守った新聞人だと手放しの賞賛でした。
氏は特派員として中国戦線へ行き、日本の侵略戦争を無批判に肯定し、国民に間違った記事を送ったと反省の弁を述べていました。田舎へ引っ込んだ行為は、個人として立派だと思いましたが、後の行動に疑問が残りました。
反戦の立場から、週刊新聞『たいまつ』を創刊」し、言論活動を続けたと言います。この姿が私には、前回紹介した伊藤静夫氏の姿と重なります。
敗戦を機に愛国から反日へ変身し、「心から平和を訴えた」という浅薄な教師だった伊藤氏と、どこが違うのでしょう。
日本の将軍の中には、敗戦を機に郷里へ戻り戦いに散華した兵たちの冥福を祈り、それで生涯を終えた人物が多くいます。戦意高揚の記事を書いた記者は、将軍の責任に劣らないのですから、本当に反省するのなら祈りの後半生だろうと私は考えます。
こともあろうに氏は言論活動を開始し、戦争賛成から反対へと真逆の主張を発信し、しかもその論拠がマルクス主義です。
「私はかって泥棒でしたが、今は大いに反省して警察官になりました。」
と、氏の行為が、私にはそう見えます。
11ページも使い意見を述べていますが、無恥と無知の塊のような話です。記者時代の回顧もありますが、何を語っても反省の色がありません。朝日新聞の社長が、「慰安婦問題」の誤報を詫びた姿に似ています。
朝日新聞の社長の会見は、詫びの気持ちがどこにもなく、言い訳で終始しました。その直後に辞任したので、謝っていたのかと分かったくらいでした。
そんな氏が、戦時下の教師の責任問題について語るというのです。具体的な中身は次回から紹介しますが、氏を批判しない反日左翼の人間と「お花畑の住民たち」も、「反省の足りない日本の現実」を表しています。
科学的社会主義の正しさが絶対という、マルクス教信者の画一性と単純さの恐ろしさを、この本ほど教えてくれるものはありません。国論を二分している米国の大統領選挙で、アメリカの人々が苦悩している現実を無視し、バイデン氏側の報道だけを信じている日本人も、この本のに似ています。
表現が適切でないのかもしれませんが、トランプ氏とバイデン氏の争いは、「狐と狸の化かし合い」です。アメリカが大国であるだけに、世界を巻き込んだ政争になり、日本も無関係でおれません。
日本のマスコミが全てバイデン側に立ち、バイデン擁護の報道をしているため、国民の判断が歪められています。「ねこ庭」はトランプ氏を擁護しているのでなく、公正でないマスコミ報道を批判しています。
『戦後教育史の証言』も、米国大統領選挙と似ています。偏った証言を集めた本が国内に溢れたら、国民の判断が歪められます。
「ねこ庭」の思いを受け止められた方は、次回も「ねこ庭」をご訪問ください。
「バランスを弁えた読解力」は、努力なしに得られるものではないようです。
自分でも、それができているのか、本当は自信がありません。おそらく、両方の意見を聞く、双方の事実を比較検討する、という習慣の中から生まれるのでしょうね。
しかしそれは、もしかすると、努力なしで、私たち日本人の中にあるDNAかもしれません。ご先祖たちは、異国の様々な意見を知った上で、日本に適するものだけを選び、受け入れました。
一神教から生まれた神や、学問や、思想を、バランスよく取捨選択しました。これこそが、「生きる知恵」でないかと、そんな気がしてなりません。
私は現在、「反日左翼嫌い」ですが、「憲法改正」が終わり、「女系天皇や女性宮家」の亡国論が収まったら、今度は「過激な保守」への警報を鳴らすのでないかと思います。
これは変節でなく、ご先祖様から頂いた「バランス感覚」だと思います。「過激なものの中に、真実はない」・・・きっと、こういうことなのでしょう。
いつもながら、真摯なコメントに感謝いたします。
かねて思っていた事ですが、対政府与党批判に際し、
野党とマスコミは 大流行中の新型感染症が「未知の
ウィルスによるもの」である事を踏まえなさ過ぎると
思います。「初めに批判ありき」のせいで忘れている
、或いは「貶めを優先する」目的で意図的に避けている
のかも知れません。後者なら、誠に性悪な事です。
今回の貴連載もまだざっと見レベルで恐縮ですが、
著述家・むの たけじさんの記憶は 数年前某紙に
訃報が載ったのを見た事で、拙記憶にもありまして。
人としての弔意を示す一方、訃報にも 今回貴記事の
様な文面が認められたのを覚えています。ともすれば
左派容共勢力に利用され易い、反戦平和志向の文筆
活動に終始した辺りは「流石はあの 朝日新聞OBだわ」
とも思ったものでした。
公正とバランスを弁えた読解力を持つ努力をしない
、新聞や TVなどのブランドだけで見聞きする様な
向きは、往々にしてむのさんの様な人物の言動も真に
受け、結果として道を誤る様な失態も犯すのではと
心得ます。その様にはなりたくないと、拙者などは
思う所です。遅くに失礼致しました。
1. 「転向」・・愛国者から左翼へ変わった人間
2. 「逆転向・・左翼から愛国者へ変わった人間
「逆転向」は、「本家帰り」とも言う。
私の読んだ本では、こんな説明でした。むの氏は、愛国者でなく、売れる記事を書くだけの新聞記者でしたから、1. には該当しません。
氏を表現する日本語は、品位のある言葉がなく、「変節漢」あるいは「無節操」しかありません。
「死者に鞭打ちたくない気持ち」は、私も同じです。しかし氏が残した「たわごと」については、キチンと反論しなくては、子や孫のためになりませんので、もう少し続けます。
ご容赦ください。
私も、このヒトのことは、何度か聞いたことが有ります。
学生時代に古書店で、この人の『たいまつ』とかいう箴言集??を、立ち読みしましたよ。
もちろんパラパラっと、斜め読みした程度です。
むのたけじさんは、もう、故人ですから、死者の批判はしたくありませんが、
まあ、マスコミが言うほど尊敬できる人とは思えませんね。
朝日新聞を辞めてからも、何かおかしな『アカ新聞』を作ってるんですから、
もう、『いやはや、、、、、、』というしかないですわ。!
むのたけじさんが、自分の生き方に、それなりに、こころざしを果たしたと思っていらっしゃるなら、
別に言うことは有りませんが、
ただ、ああいう人を、
ちやほやするのは、見当違いだと思いますね。
むのさんは、ジャ-ナリストではありません!