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ねこ庭の独り言

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橋川文三氏著『ナショナリズム』 - 3 ( フランス革命は、日本の江戸時代 )

2018-09-18 08:58:24 | 徒然の記

   今回は難しい意見が沢山紹介され.ので、中々ついていけません。

 氏が力説しているのは、「郷土愛」と 「祖国愛」の違いです。「祖国愛」は、ヨーロッパの歴史段階において、初めて登場した新しい概念であるといいます。日本の「ナショナリズム」を説明するのに、フランスの話がそれほど重要なのかと、私には疑問でならないのですが、大学の先生である氏は通説を大事にします。

  ・ナショナリズムの実践的形態を、初めて展開したのがフランス革命であり、直接にその理念を提示したのが、ルソーであったという通説に従い、まずルソーから、入るとしよう。

  ・ルソーの思想の重要性は、いかに誇張しても、誇張しすぎることはない。

  ・ルソーの与えた理論的土台の上にのみ、19世紀の「ナショナリズム」は、築かれることができた。ルソーの理念は、人々がこれまで、馴染み深い環境や習慣に向けていた、感情や忠誠心を、より抽象的な実体、すなわち政治的共同体に移さねばならないというところにあった。

 分かるような、分からないような説明ですが、分からないついでに、もう少し紹介してみます。

  ・一般意思は、ルソーの国家哲学の根本概念である。それは主権者の意思であり、国家の一体性を形成するものである。

  ・すなわち、一般意志においては、存在するものと存在すべきものとは、常に一致しているという特性である。

 こうなるともう、私には何のことやら、ちんぷんかんぷんです。氏の本だけに頼らず、関連する書籍を読めば、理解できるのかもしれませんが、私は先を急ぎますから勝手な解釈をします。

 いろいろ難しいことを言っても、要は「郷土愛」と 「祖国愛」の違いの話に過ぎません。ルソーにしても、橋川氏にしましても、学者同士の会話を続けるのでなく、修学中の学徒にも分かる説明にして欲しいものです。

 二人が言いたいのは、「郷土愛」の場合の個人と、「祖国愛」の場合の個人が、全く別だという話です。「郷土愛」の個人には、誰でも無自覚のうちになれるが、「祖国愛」の個人には、簡単になれないと言います。

 自由と権利に目覚め、意思表示をする個人でなくてはならないという、理由からです。愚昧な個人が漠然と存在するのでなく、目覚めた個人が、所属する集団や組織に対し、共に生きると契約を交わすところから、「祖国愛」が始まると言う理屈です。

 こんなややこしい理屈を考えた出したのが、ルソーですから、ルソー以前に、あるはずのない概念です。ルソーがこれを『社会契約論』として、世に出したのが、1762 ( 宝暦12 ) 年でした。氏の説明では、1789( 寛政13 ) 年のフランス革命において、ルソーのナショナリズムが実践された、となります。

 フランス革命は、絶対王政を倒したブルジョア革命と言われていますが、別名では、「市民革命」とも呼ばれています。現在で言う一般市民でなく、王政を倒すだけの力を持った、富裕層の市民です。

 ヨーロッパでは、ルソーが高く評価され、人々が信じていますが、そんな西欧の話が、どうして日本の祖国愛と同列に語られなくてならないのかと、やはり疑問は解けません。

 フランス革命当時の日本が、どういう状況であったかを、自分で調べてみました。ルソーの『社会契約論』が出されたとき、日本は江戸時代です。9代将軍徳川家重の治世で、かの有名な田沼意次が活躍していました。

 フランス革命のあった頃は、日本史で有名な松平定信が、奢侈に溺れる武家と町人の社会を戒めようと、「寛政の倹約令」を出しています。その頃の主な出来事を、拾い出してみました。

  1791年   米国商船ワシントン号来航

  1792年   林子平『海国兵談』  ロシア使節来航

  1797年   イギリス船来航

  1798年   本居宣長『古事記伝』

  1800年   伊能忠敬 蝦夷地の測量

 こうして歴史を辿りますと、氏には申し訳ないことですが、西欧と日本では違う時間が流れ、郷土愛と祖国愛も違う形で動いています。氏のような学者も、私のような学徒も、知識として外国を知ることは大切ですが、無理をして日本に結びつける必要があるのでしょうか。

 外国船の度重なる来航に危機を感じつつある時、ペリーの武力による威嚇があり、日本国や天皇の存在を嫌でも考える時が来ます。幕府はもちろんのこと、下級武士や豪商、豪農に至るまで、国の守りを考え始め、走り出す者も生じてきます。これをルソーと関連づけて考えますと、「これらの動きは、真の意味での祖国愛」ではない、という説明になります。

 なぜなら、日本の武士や豪商や豪農は、自由と権利に目覚め、意思表示をする個人でないからです。「一般意志」という基本認識すら持っていないという話になり、西欧に比べると遅れた国民にされてしまいます。前回のブログでは、生徒が先生に異を唱えてはいけないと言いましたが、ここでは日本人として意見を差し挟みます。

 明治時代になりますと、政府の指導者たちが「攘夷」の旗を捨て、西欧社会の文明に目を見張り、「富国強兵」と「文明開化」に大きく舵を切りますので、日本より西欧諸国の方が先進国であったのは、間違いありません。

 だからといって、祖国愛や愛国心までが、ヨーロッパの基準でしか語れないとは、おかしな話です。武士道や剣道、あるいは柔道が、日本固有の道として続いてきたように、祖国愛や愛国心も、日本固有の育ち方があるのではないかと、そう思えてなりません。

 序章はここで一区切りをつけ、次回からは、「第1章 日本におけるネーションの探求」に進みます。先へ進むにつれ、橋川氏の意見に頭を垂れる自分が出てきます。異を唱えるのは、おそらく今回で終わりになるはずです。

 久しぶりに遭遇した「啓蒙の書」ですから、そうなって当然です。

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