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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「おことば」をめぐる諸事実について ( NHKの報道 )

2025-01-07 14:31:55 | 徒然の記

 今回は別の観点から考察し、天皇陛下の「おことば」を読ませていただきました。

 「戦後レジームからの脱却」のためには、「皇室護持」と「憲法改正」が最優先と言いながら、平成時代以降の皇室を冷静に考えられなくなっている「ねこ庭」です。

 上皇陛下の、平成28年8月8日の「おことば」について、「過去記事」で何度か取り上げていますが、どうしても肯定的に受け止められず、批判する意見を述べてきました。

 「皇室護持」を願っている「ねこ庭」で、上皇陛下を批判するという矛盾に苦しめられ、その度に北畠親房の言葉にすがりました。

  「君は尊くましませど、民を苦しむれば、天これを許さず。」

 しかしこの言葉の効用は長続きせず、陛下を批判する自己矛盾に苦慮しました。「ねこ庭」の思考方法が、「正しいのはどちらなのか」と考える「二元論」のため、落ち込んだ穴から抜け出せなくなりました。

 深い穴ので苦しんでいた「ねこ庭」に、一筋の外の光が差し込んだのは訪問された方のコメントでした。

  ・当時の、天皇陛下のお言葉を改めて拝読いたしました。国民の立場を常に思っていらっしゃる天皇陛下の御心には、涙を流さずにはいられません。

  ・ここで、述べられた天皇陛下のお言葉は、単なる陛下個人の御意見ではなく、深い摂理と神意であると拝しております。

  ・このテーマは、まだまだ続くと思いますが、一応、現時点での、私の感想を述べさせていただきました。

 「ねこ庭」は、昭和天皇との比較で上皇陛下を考えているため、「おことば」には陛下の個人の想いが多く語られている気がして、深い摂理と神意が感じられませんでした。

 同じく日本を大切にし皇室を敬愛していながら、自分とこの方の意見が違うのはなぜかと思案しました。思案の先に見えた光は、賀屋興宣氏からのものでした。

 氏はA級戦犯として10年間巣鴨刑務所に入れられていましたが、アメリカに対する恨みを言いませんでした。

 この時氏が「ねこ庭」に教えてくれたのは、「恨みと憎しみ」の上に立たない事実の整理・・という姿勢でした。「和をもって尊しとなす」という聖徳太子の教えでもあったと、考えました。

  「国も個人も我欲があるのはお互い様なのだから、どっちもどっちだと知りなさい。」

  「自分だけが正しいとおもわず、相手の意見も聞きなさい。」

 こういう姿勢で議論に臨めば、対立する相手との間にも「和」のある結論が導き出せる可能性が出てきます。

 太子の教えを伝えた政治家だったかと頭を垂れ、氏を見習おうと決心したのに、未熟な学徒はすっかり忘れていました。氏を思い出させてもらったコメントに感謝しながら、情報を探しますと、やはり別の事実がありました。

 氏のように客観的な思考がどこまでできるのか自信はありませんが、努力してみたいと思います。

  NHKと「サンデー毎日」の記事を2つ見つけましたので、先ずNHKの記事のタイトルと内容を紹介します。

 「昭和天皇 100日を越える闘病」 放送年:1988年」

 ・天皇陛下は9月19日夜、お住まいの吹上御所で突然、吐血された。

 ・陛下は前年9月、慢性膵炎の疑いで手術を受けられており、吐血は手術からちょうど1年後のことだった。

 ・これに伴って国事行為は皇太子さまが代行されることになった。

 ・全国に設けられた記帳所では、ご病状を気遣って記帳した人は600万人にのぼった。

 ・しかし、陛下は吐血の後も発熱や出血が続き、年末にはご病状は予断を許さない状況になった。

 短い記事ですが、当時を思い出すにはこれで十分でした。1988年と言えば昭和63年、昭和の最後の年です。

 陛下の吐血、下血、嘔吐、体温、脈拍、呼吸数が、連日新聞のトップ記事となり、同時にテレビの報道でした。陛下の快癒を祈る国民が、全国の記帳所で列を作りました。

 笑ったり喜んだりするテレビ番組が自粛され、各地のお祭りが中止され、国民が陛下の御容体を見守った日々でした。100日間も続いていたのかと、改めて当時を思い出しました。

 『サンデー毎日』の記事は、さらにリアルに書いています。「開かれた皇室」報道に参加している週刊誌の遠慮のない記事を、次回に紹介します。

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天皇陛下の「おことば 」- 6 ( ゾルゲ事件のこと )

2025-01-06 13:46:42 | 徒然の記

 BBC放送の内容で風岡氏の影を感じたのは、陛下の「おことば」以外の事実が語られている部分です。

  ・「退位」の言葉を使うと政治的行為になり、憲法違反になるため、陛下が「退位」の言葉を使われなかったこと。

  ・共同通信社の世論調査では、国民が高い数字で「退位」に賛成していること

  ・退位は、1780年に即位した第119代の光格天皇以来のであること

  「おことば」の報道に直接関係がない話なので、宮内庁が英訳文の中で追記しなければ伝わらない話です。何故ここにこだわるのかは、BBCの報道の残り部分を読むと分かってもらえる気がします。

 BBCは、恐らく宮内庁の情報が元だと思われますが、上皇陛下の天皇時代のエピソードにタイトルをつけて説明しています。

 〈 天皇陛下について5つのこと 〉

  1.  より現代的なスタイルを取り入れ、皇室と国民の距離を縮める努力を重ねた。

  2.  1959年に、華族出身ではない正田美智子さんと結婚。「テニスコートのロマンス」と呼ばれた恋愛物語に、国民は夢中になった。夫妻には子供が3人いる。

  3.  第2次世界大戦による傷跡を癒そうと、努力を重ねてきた。昨年8月の全国戦没者追悼式では、「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べた。

  4.  2002年には日韓共催のサッカー・ワールドカップについて質問され、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べ、韓国出身の祖先がいることを認めた。日韓両国には朝鮮半島をめぐる歴史的な対立があるだけに、この発言は多くの日本人を驚かせた。

  6.  海洋生物学の研究を深く愛している。ハゼの研究が専門。

 上記5項目は、陛下の「おことば」の説明になくてはならない事実ではありません。3. 4. の項目については、国民の議論が分かれている微妙な問題です。

 3. は、「東京裁判史観」が背後にあり、4. は批判攻撃をやめない反日韓国への誤ったシグナルになります。学者の意見も分かれていて、国民感情からしても陛下のご発言には賛否両論があります。

 なぜ風岡氏は 、BBC放送に渡した「英訳文」の中にこのような余分な情報を付け加えたのか。ここからが、「ねこ庭」の孤独な検討作業と「思い込み」になるのかもしれません。

  ・風岡氏は、BBCを使って情報操作をしているのではないか。

  ・氏の親中・親韓的姿勢は、公明党の主張と似ている。

 これ以上は語る必要がありませんので止めますが、BBCの報道が風岡氏の情報操作の成功を語っています。

  ・日韓両国には朝鮮半島をめぐる歴史的な対立があるだけに、この発言は多くの日本人を驚かせた。

 驚かせただけでなく、多くの国民の陛下への失望を招きました。「皇室」を日本から無くしたい勢力にとっては、大成功でしょう。

 危険な敵対勢力の協力者は、最も信頼されている日本の中枢にいる・・というのが、「温故知新の読書」から学んだ「ねこ庭」の経験です。

 太平洋戦争直前の日本で、諜報・謀略活動を行ったとしてドイツ人ジャーナリスト、リヒャルト・ゾルゲ ( ソ連のスパイ ) が逮捕された事件がありました。

 昭和16年から17年にかけて、関係する人物が逮捕された「ゾルゲ事件」です。

  ・近衛総理の秘書官として日中戦争を推進した、元朝日新聞記者尾崎秀実 ( ほつみ )

  ・協力者として有罪となり廃嫡となった、華族の西園寺公一 ( きんかず  ) 

 まさかと思われる人物を外国勢力は狙い、協力者にしてしまいます。風岡氏がそうだと言っているのではなく、「戦前戦後の日本史の大河」の流れの中には危険な実例があるということを紹介しました。

 今回発生したgooブログのトラブルは、外国勢力によるハッカー攻撃だったそうです。まだ完全に復旧していませんが、遅れている原因の一つが、gooブログの業界での位置づけがマイナーなため、NTTの回復作業が後回しになっているせいだという説明もあります。

 gooブログの利用者には若者が少なく、高齢者が多いため先細りの状態にあるのだそうです。そんなマイナーなブログなら、多数の人に読まれる心配がありません。ブログ荒らしもそのうちいなくなるでしょうし、安心して「草莽崛起」活動ができることが分かりました。

 次回は新しい観点から考察した、天皇陛下の「おことば」報道です。事実を集めて検討すれば、状況判断がここまで変わるのかと驚きます。

 上皇陛下、風岡氏への印象も、もしかすると修正するのかも知れません。事実を集め客観的な検討をすることの困難さを、教えられた気がします。

 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、次回は報告しなくてなりません。 

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天皇陛下の「おことば 」- 5 ( BBC NEWS の解説 )

2025-01-06 07:39:10 | 徒然の記

 BBCは英国放送協会の略称で同協会はNHKと同じく、ラジオ・テレビを一括運営するイギリスの公共放送です。

 平成28年8月8日に、宮内庁が提供した英訳の陛下の「おことば」をどのように伝えているのかが、分かります。以下紹介するのは、BBCが放送した内容を日本語訳にしたものです。

  ・天皇陛下が、異例のお気持ちを表明するビデオメッセージが、8日午後3時公表された。

  ・「天皇もまた高齢となった場合どのようなあり方が好ましいか」を長年考えてきたと語り、天皇が高齢となった場合に国民の象徴としての公務を滞りなく遂行するにはどうするのが良いか、国民の理解を得たいと求めた。

  ・天皇陛下のお言葉を受けて、安倍晋三首相は記者団に、「どのようなことができるのか、しっかり考えていかなくてはいけない」と述べた。

  ・天皇陛下は、「現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら」と前置きをした上で、「社会の高齢化が進むなか、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」と切り出した。

  ・さらに、「2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました」と説明した。

 風岡宮内庁長官の経歴と、宮内庁での権限の大きさを知った「ねこ庭」は、BBCの報道の陰に氏の姿が重なります。つまり、氏の期待する方向でBBCが報道しているということ。

  ・さらに、天皇が「終焉」した後の皇室の葬儀行事には時間がかかる一方で、その間にも新しい天皇は国事行為を行わなくてはならないことの難しさに言及。

  ・「行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」と述べ、

  ・「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」と説明した上で、「国民の理解を得られることを、切に願っています」と理解を求めた。

  ・「退位」という言葉は使わなかった。

  ・現行の皇室典範に既定のない生前退位をするためには、法改正が必要となり、それを天皇陛下自らが希望することは、政治行為にあたるとみられるためと考えられる。

  ・天皇陛下の「お気持ち」公表受けて、安倍晋三首相は記者団を前に、「天皇陛下が国民に向けてご発言されたことを、重く受け止めている」と述べた。

  ・さらに、公務のあり方について天皇陛下の年齢や負担の現状をかんがみ、「天皇陛下のご心労に思いをいたし、どのようなことができるのか、しっかり考えていかなくてはいけないと思っている」と述べた。

  ・NHKによると、これまでに心臓の冠動脈バイパスや前立腺がんの手術を受けている天皇陛下は、公務の多くを皇太子殿下や美智子皇后陛下に託すことになるという。

  ・天皇陛下がビデオメッセージで国民に語りかけるのは、東日本大震災直後の2011年3月16日の「おことば」以来、2度目。

  ・NHKなど日本メディア各社は7月、82歳になる陛下が現代日本では前例のない「生前退位」を希望していると伝えた。

  ・共同通信の世論調査によると、回答者の90%が天皇陛下の公務が多すぎると答え、85%が譲位を選択肢として法制化すべきだと答えた。

  ・日本で最後に譲位(生前退位)した天皇は、1780年に即位した第119代の光格(こうかく)天皇。1817年に退位し、仁孝天皇に譲位して太上天皇(上皇)となり、1840年に死去した。

  ・第2次世界大戦の終戦まで、日本の天皇は「現人神」とみなされた。

  ・昭和天皇が1946年1月に初めて「人間宣言」をし、日本国憲法第1条が規定する「日本の象徴かつ日本国民統合の象徴」となった。

 BBCが放送した内容の約3分の2を、紹介しました。次回は「ねこ庭」が、風岡長官の影を感じた部分を、息子たちと訪問された方々に伝えたいと思います。どうせ愚にもつかない推測だろうと感じられた方は、スルーされることをお勧めします。

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天皇陛下の「おことば 」- 4( 宮内庁長官風岡氏の経歴 )

2025-01-05 10:01:11 | 徒然の記

 令和2年6月11日の産経ネットの解説を、紹介します。前回の記事が令和元年の5月でしたから、産経ネットが「宮内庁参与」について根気よく追っていることが分かります。

 〈 産経ネットの解説 〉

  ・天皇陛下の相談役を務める「宮内庁参与」について、渡辺允(まこと)元侍従長(84)ら現在の4人が退き、風岡典之元同庁長官(73)ら3人が新たに就任することが17日、関係者への取材で分かった。

  ・近く正式に発表する。陛下が昨年5月に即位されたことに伴い、陛下と年齢が近い参与の必要性が指摘されていた。

  ・現在の参与は渡辺氏のほか、国松孝次(たかじ)元警察庁長官(82)、羽毛田(はけた)信吾元宮内庁長官( 78 )、竹崎博允(ひろのぶ)元最高裁長官(75 )の4人。

  ・平成期は皇居・御所(当時)で月1回程度開かれる「参与会議」の場で、上皇ご夫妻、宮内庁長官らと皇室の課題について意見交換。

  ・上皇さまのご意向で陛下、秋篠宮さまとも年2回程度会い、相談に乗ってきた。平成22年7月の参与会議では、上皇さまが初めて譲位の意向を公に示されたとされる。

  ・現行の参与は陛下の即位後も継続して務めていたが、84歳の渡辺氏を筆頭に86歳の上皇さまと年齢が近く、60歳の陛下には同年代か、世代の近い参与を選任すべきとの意見があり、宮内庁が人選を進めていた。

  ・現行の4人はいずれも交替し、一新される見通し。

  ・参与に関しては、近代では譲位の例がないことなどを踏まえ「上皇さまが気心の知れた相手に相談されるための仕組みが必要」との指摘もあったが、現在の参与が必要に応じ、上皇さまと面会する方向という。

  ・風岡氏は国土交通省事務次官を経て17年4月から宮内庁次長、24年6月から4年4カ月にわたって宮内庁長官を務め、パラオ、フィリピンと2度にわたる上皇ご夫妻の海外戦没者ご慰霊を取り仕切った。

  ・上皇さまが譲位の意向をにじませられた、28年8月のビデオメッセージの公表に際しても中心的役割を担った。

 産経ネットの説明によると、新しく参与に就任する風岡氏は元宮内庁長官で、参与会議だけでなく皇室の課題について深く関与していたことが読み取れます。

 今後は上皇様の参与を特に決めず、陛下の参与が必要に応じて御面会とするという決定も、陛下のご意向というより風岡氏の意見が反映しているように感じます。

  ・関係者によると、平成後期の「参与会議」の中心的な話題は、上皇さまの譲位に関することだったとされる。

  ・平成22年7月の参与会議で上皇さまが初めて譲位の意向を示されて以降も、参与会議では度々、譲位が話題に上がった。

   ・当初、参与全員が翻意を促したが、上皇さまは譲られず、次第に譲位の在り方について議論が交わされるようになったという。

 この説明は前回も読みましたが、次の解説を読みますと、参与の位置付けの変化は上皇陛下のご意向というより、風岡氏の意見が大きいのではないかと、その感を強くしました。

  ・今後、秋篠宮さまが皇嗣(こうし)となられたことを示す「立皇嗣の礼」の後、政府は安定的な皇位継承策の議論を本格化させるなど、

  ・皇室をめぐる諸課題は残るが「天皇陛下が即位した今、当面は差し迫った課題は見当たらない」(宮内庁関係者)とされる。

  ・参与会議は、上皇さまの譲位前は月に1度程度開かれていたが、新たな参与の元での参与会議は頻度が減る見通しといい、その位置づけが変わることも予想される。

 参与の役目に、上皇陛下と気心の知れた相談相手という点に主体があるのなら、陛下が面会を減らすことを意思表示されるとは考えにくい話です。

  ・皇室をめぐる諸課題は残るが「天皇陛下が即位した今、当面は差し迫った課題は見当たらない」(宮内庁関係者)とされる。

 産経ネットの説明にある「宮内庁関係者」とは、誰なのでしょう。差し迫った問題がないという判断をしたのは誰なのでしょうか。

 愛子さまを天皇にしたいというお考えを、上皇陛下と美智子様が持たれているというのは、知る者の間では公然の秘密です。皇室の伝統を揺るがす大問題が差し迫っている時、上皇陛下がこの判断をされるというのは不自然な話と思えてなりません。

 状況を勘案し、参与の仕組みを変化させる力を持つ人物は風岡氏以外にいないのでないかと、「ねこ庭」は推察します。次は「ねこ庭」がする思い込みかも知れませんので、違う意見の方は無視してください。

  ・「ねこ庭」は、風岡氏が国土交通省事務次官を経て宮内庁次長になった経歴を重視する。

  ・国土交通省は、長年公明党が独占する大臣の指定席である。

  ・風岡氏の意見に、公明党の影響が皆無とは考えにくい。

  ・外務省と宮内庁に公明党の親派が多数を占めているという噂が、ネットの世界で語られている。

 杞憂であれば良いと願いながら、以上「ねこ庭」の考えを述べました。

産経ネットが解説の最後に注書きをしていますので、参考までに紹介しておきます。

 〈 宮内庁参与 〉 

  ・皇室の重要事項に関し、天皇に助言する。

  ・昭和天皇時代の昭和39年、吉田茂元首相、小泉信三元慶応義塾塾長ら4人が初めて起用され、その後も政官財界や宮内庁長官経験者、学者などに委嘱された。

   ・任期や定年、定員はなく報酬も支給されない。

  ・宮内庁が人選した上で、最終的には天皇が私的に就任を依頼する

 上記青字部分の、この傲慢な描きぶりにご注目ください。陛下が「決定」されるのでなく、「依頼」されるのです。表現が過ぎるのかも知れませんが、「ねこ庭」の頭をよぎるのは「君側の奸」という言葉です。

 次回は、天皇陛下の「おことば 」に関する  BBC NEWS の解説を紹介いたします。

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天皇陛下の「おことば 」- 3(宮内庁・参与とは)

2025-01-05 08:42:18 | 徒然の記

 宮内庁に「参与会議」があることを初めて知りました。

 天皇の「譲位」について、NHKの「おことば報道」より6年も前に当会議で検討されていたというのですから、権威のある組織のようです。

 令和元年の5月に、産経ネットが「参与会議」の解説をしているのを見つけました。

  ・5月1日の代替わりに伴い、上皇さまの相談役を務めてきた宮内庁参与の動向にも注目が集まる。

  ・上皇さまが初めて譲位の意向を打ち明けられるなど、節目で皇室の課題に助言する重要な役割を担ってきた。

  ・宮内庁関係者の間では、現行メンバーが上皇さまの相談相手となり、天皇陛下のための参与については新たに選任するよう求める声が上がる。

 説明によると、参与はもともと天皇の相談相手であるらしく、譲位された上皇陛下には無い組織のようです。

 不思議なことに宮内庁の組織図を確認しても、天皇の相談相手としての参与職はありません。職員の中に特別職と一般職がありますので、特別職にあるのかと探しても見つかりません。

 天皇の相談相手となり、重要な問題に意見を述べるという参与職が、宮内庁の組織図に表示されていないという不思議な事実を発見しました。

 産経ネットが、メンバーの名前を書いています。

  ・現在の参与は次の4人。

    国松孝次(くにまつ・たかじ)元警察庁長官(81)

    渡辺允(まこと)元侍従長(82)

    羽毛田(はけた)信吾元宮内庁長官(77)

    竹崎博允(ひろのぶ)元最高裁長官(74)

  ・参与は、皇居・御所で月1回程度開かれる「参与会議」で、上皇ご夫妻、宮内庁長官らと皇室の課題について意見交換する

  ・上皇さまのご意向で、陛下、皇嗣秋篠宮さまとも年2回程度会い、相談に乗ってきた。

 この説明を読みますと、参与は天皇に付随した組織というより、上皇陛下の私的な組織という色彩が強くなります。

  ・平成の代替わりに関する儀式や、陛下のおきさき選びにも当時の参与が関与したとされる。

 ということは4人の参与は、令和の代替わり儀式にも、雅子さまをお妃に選ばれるときにも関与していたということになります。正式な組織でないにも関わらず、皇室の行事や重要事に意見が言えるというのですから、「ねこ庭」には皇室の乱れと見えてなりません。

  ・平成22年7月の参与会議では、上皇さまが初めて譲位の意向を示され、その後も度々話題に上がった。

  ・当時参与だった三谷太一郎東大名誉教授(82)によると、当初、参与全員が翻意を促したが、上皇さまは譲られなかったという。

 前回ウィキペディアは、羽毛田長官の談話を次のように紹介していました。

  ・公表当時に前宮内庁長官だった羽毛田信吾によると、「6年前の平成22年の『参与会議』の席で、すでに第125代天皇の『譲位』についての議論は始まっていた」という

 その実態は産経ネットの解説によると、参与全員が反対しても、当時の陛下はご自分の意見を曲げられなかったのです。ウィキペディアの説明だけを読んでいると、不正確な話を信じる間違いもあるということでしょうか。

 曖昧な「参与会議」のあり方を知りますと、1月3日の過去記事で紹介した高森明勅氏の意見も無視できなくなります。

 〈 高森氏の意見 〉

 ・「天皇を秩序の基軸とする日本社会の伝統的な在り方自体が、たったお1人の皇族のご意思によって決定的に左右される事態になる」

  ・「ご本人のご意思で退位や即位・辞退が可能になると、無責任かつ悪質な週刊誌の記事などを鵜呑みにした人々が、ご本人に働きかけて天皇の退位や即位辞退を実現させようと、

  ・不敬不埒な署名活動やデモを活発に繰り広げないとも限らない」「自分たちが『支持』する皇族を何とか即位させようと、国民の間に激しい対立が生まれることもあり得る」

  ・「退位した天皇は歴史的には太上天皇(上皇)という地位を与えられて来たが、太上天皇にはどのようなご公務を考えているのか」

 氏は「譲位は、皇室に二重権力を生む」とも述べていましたが、参与組織の解説を読んでいますと、すでに宮内庁が二重権力に苦慮している様子が見える気がするのは「ねこ庭」だけなのでしょうか。

  ・上皇さまは譲位に伴い、象徴としてのほぼ全ての公務を陛下に引き継ぎ、魚類の研究など私的な活動に専念される。

  ・また仮住まい先を、仙洞(せんとう)御所(旧東宮御所、1日に赤坂御所に改称)へと住居を移し、新生活を送られる。

  ・宮内庁関係者は「近代では譲位の例がなく、上皇さまが気心の知れた相手に相談されるための仕組みは必要」と指摘。

  ・85歳の上皇さまと年齢が比較的近く、継続して助言してもらうのにふさわしいとして、現行メンバーを推す意見が出ている。

 参与に関する説明は、ウィキペディアより産経ネットの方が具体的で正確な気がします。宮内庁の苦慮する様子がよく分かりますので、息子たちと「ねこ庭」訪問される方々のため、次回も続きを紹介します。
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天皇陛下の「おことば」 - 2( ウィキペディアの解説 )

2025-01-04 19:40:58 | 徒然の記

 陛下の「おことば」に続き、今回からウィキペディアとBBC NEWSの解説を紹介します。

 重要な事柄なので、なるべく客観的な事実を息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々へお伝えしたいと考えています。「ねこ庭」のコメントは、その後で述べたいと思います。

 〈 ウィキペディアの解説 〉

  ・平成28年7月13日にNHKが『NHKニュース7 』の冒頭において、「天皇が数年内の生前退位(当時の皇太子徳仁親王への譲位)の意向を示していることが、宮内庁関係者への取材で分かった」とスクープした。

  ・宮内庁側は、(報道されたようなことは)「あり得ない」「事実とは異なる」等といったように否定をしたが

  ・5月半ばから、風岡典之宮内庁長官や河相周夫 ( かわい ちかお ) 侍従長らの会合で検討が進められてきていたと修正され、8月4日に、天皇自身による「おことば」が放送されることが発表された

  ・8月7日に皇居宮殿・表御座所(執務棟)において皇后美智子の立ち合いの下、「おことば」の朗読を収録し、

  ・翌8日15時をもって解禁、公共放送NHK・民放全国網の地上波テレビ各局で、急遽編成された特別番組内で放送された

  ・「おことば」の中で天皇は「憲法上の制約により、具体的な制度についての言及は避ける」と述べていたが、「加齢による体力の低下から、象徴としての職務を勤め続けることが困難になりつつあり、そのため、生前退位の意向をにじませる」と報道される

  ・そのほか、「おことば」では摂政を置くことには否定的であり、身体不良時の社会の自粛傾向や、長期の葬儀関連行事による負担にも触れられており、それらも含め、象徴天皇の務めに対する国民の理解を求めている。

  ・天皇の生前退位は 、江戸時代後期にあたる文化14年の、光格天皇以来行われていない。

  ・現行の「皇室典範」には天皇が退位する規定はなく、既存の君主制にも倣い、天皇は即位したら崩御(死去)するまで天皇の位にある、「終身制」が採用されているため、生前退位を実現するには、皇室典範の改正や特別法の制定などの法整備が必要である

  ・しかしながら、「日本国憲法」では「天皇は国政に関する一切の権能を有さない」(罤4条)と規定されているため、天皇が退位の意向を明確にし、法整備を求めることは憲法に違反する懸念があった。

 ウィキペディアの解説を読みますと、陛下の「おことば」放送は、関係者の間で十分に検討されないまま行われたのではないかと推察されてきます。

 国の重大事であるのに「あり得ない」「事実とは異なる」と、7月の時点で宮内庁が否定し8月には放送されています。

 ウィキペディアの解説では、

  ・5月半ばから、風岡典之宮内庁長官や河相周夫 ( かわい ちかお )らの会合で検討が進められてきていた

 と内情が語られています。みっともない間違いをしないのが宮内庁のはずですから、辻褄合わせのような言い訳しかできない不始末は更に疑問を生じさせました。

 陛下が「おことば」の中で「退位」の意向を明確にされなかったのは、憲法違反の恐れがあったからだというウィキペディアの解説が、さらに疑問を深めさせます。

 陛下のお立場であれば、「憲法違反」にならない手立てを考える学者がいくらでも集まります。一流の学者は、世間を騒がせないための知恵を絞るのが役目ですから、陛下のためなら、白を黒とする意見をと知恵を絞ります。

 その良い例が、日本随一の憲法学者だった宮沢俊義氏です。氏は国際法違反の「日本国憲法」を日本国民が自主的に作ったという理屈を考え出して、GHQを喜ばせました。

 学者に検討させたり、宮内庁幹部と打ち合わせをしたりと、そのような手順を踏まずに「おことば」の発信が行われたことが伺えてきます。

 ウィキペディアの解説を、続けます。

  ・宮内庁関係者は、ビデオメッセージという形式を選択した理由について「天皇陛下のお気持ちを国民に分かりやすく正確に伝える」ためとしている

  ・発表後、宮内庁ウェブサイトに英語訳を含めた全文が掲載され、ビデオメッセージも公開された

 「おことば」の発信は、宮内庁の主要関係者や内閣と密な相談がなされていないようですが、海外向けの英訳の準備がされていた手回しの良さが目立つ気がします。

  ・同年12月23日の83歳の天皇誕生日の記者会見で、天皇は「多くの人々が耳を傾け、親身に考えてくれている」と感謝の意を示し、おことばを「内閣とも相談しながら表明した」と述べた

  ・公表当時に前宮内庁長官だった羽毛田信吾によると、「6年前の平成22年の『参与会議』の席で、すでに第125代天皇の『譲位』についての議論は始まっていた」という

  ・天皇自身によるビデオメッセージの公表という具体的案に関しては、平成28年5月半ばから、風岡典之宮内庁長官や河相周夫侍従長らの会合で検討が進められてきたとされる

 陛下は内閣とも相談したと述べられていますが、当時安倍首相は「預かり知らなかった」と語っていました。どちらの意見が正しいのかでなく、「ねこ庭」は、ことほど左様な混乱の中で「おことば」が発信されたという事実を重視しています。

 ウィキペディアの解説の途中ですが、突然出てきた『参与会議』について、次回に併せて紹介します。

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天皇陛下の「おことば」(平成28年8月8日)

2025-01-04 09:54:15 | 徒然の記

 宮内庁のホームページから、上皇陛下 ( 当時の天皇陛下 ) がNHKを通じて述べられた「おことば」( 全文 ) を、転記いたします。

 

 ・戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。

 ・私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。

 ・本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 ・即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

 ・そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,

 ・また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。

 ・私が天皇の位についてから,ほぼ28年,このかん私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,

 ・同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,

 ・天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。

 ・皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

 ・天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。

 ・しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 ・天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,

  ・重い殯 ( もがり ) の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀そうぎに関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

 ・始めにも述べましたように,憲法のもと,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,

 ・相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。

  国民の理解を得られることを,切に願っています。

 
 今回は陛下の「おことば」のみをご紹介し、次回はウィキペディアとBBC  NEWSが、どのように解説していたのかを紹介いたします。
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女性皇族の考え「理解を」- 28 ( 参考としての、高森氏の意見 )

2025-01-03 18:41:20 | 徒然の記

 高森氏の意見について、ウイキペディアの説明がもう少しあります。

 ・その後平成28年に、NHKのいわゆる「生前退位」速報と、その後の「象徴としての務めについてのお言葉」の発表直後、

 ・月刊誌『WiLL』の特集記事で述べられた、「天皇・皇族の政治利用」「2人の天皇が併存する問題点」など、かつて自身も述べていた懸念について、

 ・「無知、理解力の無さ、事実誤認、不遜、不敬の程度が、想像を絶して甚だし過ぎる」と述べている

  ウィキペディアのこの説明もよく理解できませんが、かって自分が言っていたことを『WiLL』が述べると、今度は激しく批判したと言う意味なのでしょうか。

 次がウィキペディアの紹介する氏の最後の意見です。

 ・「選択的夫婦別姓に反対する保守の人間が男系の縛りにこだわるのは、自己矛盾」と述べている

 失礼にあたるのかもしれませんが、氏の意見の全部を読んだ上で、「ねこ庭」は次のように考えました。

 「この人は、本当に皇室研究者と呼べる学者なのだろうか。」

 今はいくら探してもネット上から消えていますが、著名な保守学者の意見がありました。

  ・皇室について、「側室」と言う言葉を使う者がいるが、ものを知らないにも程がある。

  ・「側室」は、将軍や大名のような武家の場合に使う言葉で、皇室には別の用語がある。

  ・正妻は皇后 (こうごう) 、中宮 (ちゅうぐう) 、正妻でない人は后妃 (こうひ) 、妃 (きさき) 、女御 (にょうご )  とあるのだから、使い分けるのが正しい。

 正妻は天皇や将軍と対等の立場ですが、正妻以外の女性は仕える人という違いがあることも、教えてもらいました。

 祖先の祭祀 (さいし) を絶やさぬため、儒教の道徳思想からも公認されていたと言いますから、身分の高い人々にとって正妻以外の女性を身近に置くと言うのは、普通の制度だったようです。

 高森氏は皇室研究家として有名な人のようですが、「天皇の側室」と言う言葉を平気で使っています。「ねこ庭」の頭が硬いのかもしれませんが、著名な保守学者の意見を信じてきましたので、「高森氏は、ものを知らない学者なのか ? 」と思います。

  ・高森は、「側室制度 ( 一夫多妻制 ) が廃止された状況下では、皇統を維持できなくなる」として、女系天皇容認の立場をとる。

 ウィキペディアが紹介した上記説明には、氏の間違いが二つあります。一つは「皇室の側室」という言葉の間違いですが、これについては氏がものを知らない学者という話になるだけで、たいした問題でありません。

 しかし「一夫多妻制」が無くなったので女系天皇を容認すると言う意見は、致命的な間違いです。氏が日本を大切にする保守学者なら、「天皇家の男系」を途絶えさせる女系天皇の容認は論理的にあり得ません。

 今更元へ戻せない皇室の「一夫多妻制」に言及し、それが出来なければ「女系天皇容認」という理屈では、神道学者、歴史家、皇室研究者の肩書きが泣きます。

 学者で無い「ねこ庭」でも分かりますが、「一夫多妻制」がなくなった現在、選ぶのは「11宮家の皇籍復帰」しかありません。

 「一夫多妻制」を無くされたのは、大正天皇でした。

 明治天皇の第三皇子(皇男子)として誕生された大正天皇は、ご自分の生母を明治天皇の皇后・昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう) であると信じておられました。

 病弱だった自分を献身的に育ててくれた生母が昭憲皇太后で無く、権典侍・柳原愛子様と知った時大きな衝撃を受けられ、ご自分の代になられた時から「一夫多妻制」を止められたのだそうです。

 大正天皇は貞明皇后(ていめいこうごう ) 以外の女性をそばに置かれず、貞明皇后は天皇家での「一夫一婦制」の最初の皇后と言われています。

 制度として「一夫多妻制」を廃止されたのは昭和天皇でしたから、皇室が元の制度に戻ることは今ではまずあり得ません。高森氏が皇室研究家で神道学者なら、ウィキペディアが紹介する次の意見は、出てきません。

  ・高森は、「側室制度 ( 一夫多妻制 ) が廃止された状況下では、皇統を維持できなくなる」として、女系天皇容認の立場をとる。

 まして次のような意見は、論理破綻としか考えられなくなります。

  ・「選択的夫婦別姓に反対する保守の人間が男系の縛りにこだわるのは、自己矛盾」と述べている

 「ねこ庭」からみますと、自己矛盾しているのは高森氏自身でないかと思えますが、「ねこ庭」を訪問された方々はどのように判断されるのでしょうか。

 上皇陛下がNHKを使って「譲位」の意思を述べられた事件について、氏は「ねこ庭」と同じ意見です。過去記事を読み返すと、「ねこ庭」も矛盾した意見を述べていますから、それも氏であり、これも氏であろうと思い、一方的な批判はしません。

 息子や「ねこ庭」を訪問される方々には、参考になる意見を紹介したということにとどめ、いよいよ本来の課題へ戻ります。

   4.  上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと

   5.  秋篠宮様のご長女眞子さまのご結婚のこと

 次回は、 4.  上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと です。
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女性皇族の考え「理解を」- 26 ( 昭和天皇のご挨拶 )

2025-01-01 23:32:37 | 徒然の記

 新しい年が来ました。静かな元旦の一日が終わり、机に向かっています。

 昨年は、皇籍離脱した元皇族との晩さん会で昭和天皇がされた挨拶を紹介いたしました。この時陛下がどのようなお気持だったのかを、斉藤勝久氏が間接的に述べています。

 〈 終戦直後の皇族の方々 〉

  ・昭和20年8月15日、終戦の玉音放送の後、鈴木貫太郎内閣は総辞職したが、日本の難局は続いた。

  ・不穏な動きを見せる軍部、特に陸軍を抑え、終戦を成し遂げるため、昭和天皇はかねてから、後継の内閣総理大臣を決めていた。

  ・陸軍大将にして、皇族の東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)王である。前編で述べたように、明治天皇の第9皇女と結婚し、また2年前には昭和天皇の長女が嫁いだ東久邇宮家の当主になっている。

  ・東久邇宮は、皇族が政治に関与することに反対で首相就任を固辞したが、終戦を決意した昭和天皇のやつれた様子を見て、決断する。日記にこう記した。

  ・「この未曾有の危機を突破するため、死力をつくすことは日本国民の一人として、また、つねに優遇を受けてきた皇族として、最高の責任であると考えた」

  ・昭和天皇は、終戦を前例のない「皇族内閣」で乗り切るしかない、というお考えだったと言われる。

  ・昭和天皇は玉音放送の翌日に軍人皇族を呼び、天皇の特使として外地の日本軍に終戦を伝達するため、

  ・朝香宮(あさかのみや)を支那派遣軍に、竹田宮(たけだのみや)は関東軍と朝鮮軍に、閑院宮は南方総軍に派遣した。

  ・首相になった東久邇宮は「全国民が総懺悔(ざんげ)するのが我が国再建の第一歩」と「一億総懺悔」を訴えた。

  ・しかし、連合国軍総司令部(GHQ)が内務大臣、内務省の警察部門(警保局)幹部の罷免などを命じてきた。

  ・「総理大臣宮」は突然の “ 内政干渉 ” に抵抗の意地を示し、在任わずか54日間で総辞職した。

 不穏な動きを見せる外地の陸軍が、平穏裡に武装解除をしたのは、天皇の特使として宮家の方々が行かれたからだったということは、別の書物にも書かれていました。国内でも外地でも陸軍の中には敗戦を認めず、「徹底抗戦」を主張する軍人がいましたから、天皇の「お言葉」を宮家の方々が直接伝え、説得された功績には大なものがありました。

 国内の陸軍に対しては、東久邇宮様を昭和天皇は首相に指名され、騒乱の抑えとされました。

 皇族が政治に関与することに反対されていた東久邇宮様が、首相の任を受けられたのは、

  「昭和天皇のやつれた様子を見て、決断する。日記にこう記した。」

 と、斉藤氏が宮様のお気持を説明しています。敗戦、占領軍の進駐、GHQによる統治と、経験したことのない事態に陥った日本を内戦の危機から救ったのは、昭和天皇のご判断と、皇族の責任を果たそうと協力された宮家の方々の献身があったからと「ねこ庭」は考えます。

 天皇家の存続のため、数の増減はありながら、複数の宮家が常に作られる仕組みが何時の時代から始まったのか正確に知りませんが、昔からあったのは確実だろうと思っています。

 その大切な宮家を、GHQの強制を受け11家も一度に「皇籍離脱」を伝えるのですから、昭和天皇が心穏やかにご挨拶されたと考える方が不自然ではないでしょうか。

  「従来の縁故は、今後においても何ら変わるところはないのであって、将来ますますお互いに親しくご交際をいたしたいというのが、私の念願であります。」

  「皆さんも私の気持ちをご了解になって、機会あるごとに遠慮なく、親しい気持ちでお話にお出でなさるように希望いたします」

 斉藤氏が紹介する晩餐会での昭和天皇の「ご挨拶」には、様々な想いが込められていたと推察します。

 氏は昭和天皇のお気持と、敗戦後の宮家のお働きを知っているから、次のような説明になるのだと考えます。
 
  ・11宮家51人が戦後に皇籍離脱してから今年で75年。
 
  ・敗戦の混乱の中で一般国民となった旧宮家の人々と、その子孫は、
 
  ・戦後も皇室の親族らが集まって「菊栄(きくえい)親睦会」を開いたり、
 
  ・皇室行事や宮中祭祀(さいし)などに参列したりして、皇室とのつながりを保っている。
 
  ・現皇族が減り続ける中で、「旧宮家の男系男子の皇族復帰」の日は来るのか・・。
 
 氏の説明を読み、「11宮家の皇籍復帰」の必要性と重要度への理解を深めましたが、違った意見を言う専門家もいます。神道学者・皇室研究家として知られる高森明勅 ( あきのり ) 氏がその人です。
 
 新年早々脇道を更に進みますが、「戦後日本史の大河」を語るには、高森氏の意見も紹介しない訳にいかなくなりました。時間のある方は、次回の「ねこ庭」へ足をお運びください。
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女性皇族の考え「理解を」- 25 ( 斉藤勝久氏の説明 )

2024-12-31 21:17:32 | 徒然の記

 〈 GHQが11宮家の皇籍離脱を進めた時の状況 〉

 発言記録では、「11宮家の皇籍離脱は、宮家の方々の自発的な申し出があったため」となっていました。
 
 「nippon.com」が掲載している斉藤勝久氏の記事のタイトル「GHQからの皇室への脅し」が、前回紹介した片山首相の発言記録をひっくり返しています。氏の記事をそのまま紹介します。 
 
〈 GHQからの皇室への脅し 〉
 
  ・昭和20 (1945) 年8月15日、終戦の玉音放送の年の12月、GHQから戦犯の逮捕命令が出て、

  ・元帥陸軍大将だった梨本宮(なしもとのみや)が、A級戦犯容疑で戦犯を収容した拘置所巣鴨プリズンに入った。

  ・戦勝国側の皇室への脅しとも捉えられたが、4カ月ほどで不起訴となり、釈放された。

 GHQによる戦犯宣言と、該当者の逮捕、巣鴨拘置所への収監は、皇族の方だけでなく、全ての政府関係者に不安と恐怖を与えました。

  ・翌昭和21年1月GHQの指令により、軍国主義者、戦争協力者、軍人らを対象とする「公職追放」が始まって間もなく、衝撃的な記事が新聞に載った。

  ・昭和天皇の弟宮3方(直宮)をはじめ、東久邇前首相ら皇族15人が追放指定者に含まれるという内容だ。

  ・終戦までの男子皇族は軍歴があったためだが、この時は皇族の公職追放が見送られる。

 氏は書いていませんが、報道を大々的に発信したのは「プレスコード」の優等生だつた朝日新聞が先頭だったのではないかと推察します。 

  ・GHQはさらに、皇室の財産にメスを入れてきた。

  ・各皇族の全財産の調査を命じ、最高税率を90%まで引き上げた財産税がかけられることになる。

 戦前の日本では想像もできないことですが、戦犯としての逮捕、収監で脅されていた政治家と軍人は、皇室財産に手をつけるGHQに異議を唱えることさえできなかったのではないでしょうか。

 昭和天皇の財産は約37億円(現在の貨幣価値だと百数十倍という)と算出され、その9割が財産税として国有財産となってしまう。

 旧宮家の宗家と言われる伏見宮(ふしのみや)家は、直宮家以外の11宮家で3番目の、792万円の資産があったが、債務などを引いた額に85%の財産税をかけられることになった。

 昭和22年5月3日に施行された「皇室経済法」を根拠に、GHQはこの乱暴な課税を実行したのだと思われますが、斉藤氏の具体的な叙述がなければアメリカが実施した過酷な課税を知らないままでした。

 戦争に勝利し、勝ちに驕ったアメリカは「日本弱体化」を強行し、「財閥解体」だけでなく「皇室解体」まで手を突っ込んでいました。当時の国民が知っていれば、各地で反GHQの動きが発生していた可能性もあります。

 しかしマスコミが「プレスコード」の優等生になってしまうと、事実が国民に伝わりません。GHQが朝日新聞を優遇し、他のマスコミが右へ倣えした結果が今日の日本ではないでしょうか。

 斉藤氏の説明を続けます。

   ・昭和天皇は、日本国憲法が公布された同年11月、直宮を除く宮家の皇族を集め、「臣籍降下(皇籍離脱)のやむを得ざる事態」について説明した。

   ・憲法は第88条に、「すべて皇室財産は、国に属する」と明記され、皇室にはもう11宮家を支える経済力がなくなったのである。

 タイトルを改めて氏が説明を続け、片山首相の発言を紹介しています。「ねこ庭」が息子たちと訪問される方々に是非読んで欲しい部分です。

 〈 11宮家の皇籍離脱でも、皇位継承に心配なしと判断 〉

  ・昭和22年10月、初めての皇室会議が開かれて、11宮家51人の皇籍離脱を決定した。会議の片山哲議長(首相)はこう説明した。

   「皇籍離脱の御意思を有せられる皇族は、後伏見天皇(第93代、即位1298年)より20世から22世を隔てられる方々でありまして、

   今上陛下(昭和天皇、第124代)とは、男系を追いますと四十数世を隔てておられる。」

   「これらの方々が、これまで宗室(天皇本家)を助け、皇族として国運の興隆に寄与した事績は、まことに大きいものでありましたが、」

   「戦後の国内外の情勢、とりわけ新憲法の精神、新憲法による皇室財産の処理及びこれに関連する皇族費等諸般の事情から致しまして、この際これらの方々の皇籍離脱の御意思を実現することが適当であると考えられるのであります」

   「皇位継承の御資格者としましては、現在、今上陛下に2親王(現上皇さまと常陸宮さま)、皇弟として3親王(直宮)、

   「皇甥(こうせい)として1親王(三笠宮寛仁親王)がおわしますので、皇位継承の点で不安が存しないと信ずる次第であります」

 ウィキペディアが伝える首相の「発言記録」と、斉藤氏が紹介する「首相発言」のいずれが正しいのか、「ねこ庭」は判断する材料がありません。

 国の根幹を左右する「宮家の皇籍離脱」について、ウィキぺディアの解説は簡単すぎる気がします。社会党の首相だとしても、会議では懇切丁寧に説明したと考える方が自然な気がします。

 だから「ねこ庭」は、斉藤氏の次の説明を信頼します。

  ・皇籍離脱する宮家皇族には26人の皇位継承者がいたが、当時は天皇家、直宮家に合わせて男子6人の皇位継承者がいるから、

  ・血縁の遠い11宮家を皇室から離しても心配はない、と政府は判断していたのである。

  ・同じ日に皇室経済会議も開かれ、皇籍を離れる51人中、軍籍にあった11人を除く40人に一時金として、当主には210万円、それ以外の王は約145万円などとして、合計4747万余円の支出を決めた。

 氏の解説を信頼する根拠は、内容が具体的詳細であることだけでなく、令4年4月という日付にあります。戦後76年が経過しているため、やっと事実を語れるようになったのでないのかと、「ねこ庭」は解釈します。

  判断は「ねこ庭」を訪問される方々に委ねることにし、氏の説明を続けます。 

  ・昭和天皇は皇室会議から数日後、皇籍離脱した元皇族との晩さん会で挨拶した。

   「従来の縁故は今後においても何ら変わるところはないのであって、将来ますますお互いに親しくご交際をいたしたいというのが、私の念願であります。」

   「皆さんも私の気持ちをご了解になって、機会あるごとに遠慮なく、親しい気持ちでお話にお出でなさるように希望いたします」

 天皇のご挨拶を氏が紹介していますが、皇籍離脱される方々へ陛下の思いがどのようなものであったかについては、次回の説明が示唆しています。脇道へそれますが、省略せずに続けます。

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