そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

立憲民主党の提起したもの

2017-10-29 | 国際・政治
・リベラルの概念を再起させたこと
希望の党党首の小池百合子が、「排除します」と言ったことが選挙の流れを変えたという事になっているが、現実問題としてそれはありうるかもしれないが、小池としては当然の発言で、排除も立党からの当然の流れではある。日本会議のメンバーの小池は、到底リベラルと呼ばれる政治家ではない。排除、選択は当然のことである。
それではリベラルとは何かという事になるが、元々の理念と日本で急に多用されている現在とでは、微妙に異なるものである。北大の中島教授の説明によれば、16世紀の宗教対立にまで遡るとのことである。争わないために用いられた、戦わないための概念である。寛容と自由が根底にあり、国家権力などからの自由のを掲げる。
現在日本で用いられているリベラルの概念は、護憲と反米従属と言える。護憲は安保法制の違憲性と撤回が根底にあり、反米従属は自衛隊を専守防衛に限定し、アメリカ依存の外交からの脱却であるといえる。
従って、前原民進党代表と小池百合子は、リベラルを排除することは当然の帰結である。民進党を抜けて希望の党から出馬し、落選した元議員たちは、陳腐な政治倫理しかない存在でしかなったといえる。

・保守とリベラル
リベラルに対する言葉として、日本では保守を言う言葉を対峙として使っている。従って、現在使われている保守の概念は、自民党そのものを指すが、憲法改正と国家主義と言える。国家は個人の権利や自由を当然のこととして制限するというのである。更に対米従属がこれに加わることになる。
保守の概念をさらに進めようとしているのが、安倍晋三とその取り巻きによる、国粋主義、天皇を元首とする戦前回帰である。こうした意味から、保守でありながら自民党の保守本流の宏池会は護憲、他者への寛容からリベラルと分類されている。小選挙区制になって、この概念は宏池会から消えようとしている。

・保守と革新、右翼と左翼の概念の変質
これは、東西冷戦の遺物であり、現在その当時の概念として展開されることはない。資本主義は「保守」、社会主義は「革新」という事である。ほぼこの概念に近いのが、保守が右翼、革新は左翼という区分けである。左翼は主にマルクス経済学を標榜していたのである。今やマルクス経済学の大学での講座は日本から消えてしまっている。レッテルとしての意味は残ってはいるものの、保守と革新、右翼と左翼の概念はかつてのものではない。例えば、難民を排除するいわば民族主義者たちは、右翼と報道されている。ヨーロッパでは難民受け入れを巡って、拒否する民族主義者を右翼と呼んでいるのである。元々の右翼の概念とは重ならない。

・政治活動が不得手のリベラル、得意な保守
リベラル派の共通の底辺概念として、自由と寛容がある。これは現代の権力闘争、金権政治の力による政治力学には縁遠いものと言える。保守は国家権力への従属を当然のこととし、愛国・防衛・奉仕・経済効率などを主張する。保守権力は自ずと権威主義化する。現在の自民党がその典型と言える。小選挙区制による党の支配が強くなり、単一化の傾向にある。保守は政治活動としての取り組みが、安倍晋三のように虚言を並べ国民を扇情し恐喝政治へと向かわせるのである。

枝野幸男は保守を標榜するリベラル派と自認する。多様で無定型な政治家の寄せ集めだった民主党(さらには民進党)は、小池の言葉と枝野の決断で、立憲民主党として純化された感がある。立憲民主党がこれから立党の精神を失うことなく地道な活動を続けて行けば、虚偽・虚言の単一勢力に塗り固められる保守政治に対峙する、新たな巨大政党へと変貌する可能性を内包しているといえる。
コメント (2)
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