そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

そりゃ、子ども扱いだろ

2006-06-30 | 国際・政治

Koijumibush 小泉総理がアメリカを訪問している。共同声明を出し、大統領専用機でプレスリー記念館を訪れる破格の扱いだそうである。しかし、アメリカの同盟国を自認する国家の首脳は、アメリカ議会で演説をするものである。我が国の総理にはそれが許されたことはなく、今回も同じである。アメリカ各紙のメディアの本日のトップニュースは、イスラエルの拉致事件とガンタナモの囚人扱いの問題である。首相との記者会見でもイラク関係の質問に終始している。破格の扱いは、行きたいところがあったら行かしてあげるよなどという、まるで子どもだましの手口である。それに乗る方も乗る方であるが、こんなお土産にされたのが、牛肉の自由化だから、畜産農家にとってはたまったものではない。

議会演説を断られた一因に、靖国神社参拝がある。アメリカとは3年足らずの戦争であったが、パールハーバーを忘れない彼らがA級戦犯に興味がないわけない。日清戦争からすると50年以上戦ったり支配された中国などが反対するのは当然のことである。アジア外交がどこにも行けないのも当然である。私の父も靖国神社に入っている。靖国神社をなくすとなると、靖国で会おうと言って出兵した父たちに申し訳ない気がするが、戦犯とに合祀は勘弁願いたいものである。

心の問題と言うにはあまりのも稚拙な論理しかない総理が、子ども扱いされるのは当然の結果であるともいえる。

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家畜福祉ってご存じ?

2006-06-29 | アニマルウエルフェアー

私は、自著「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊(http://www.creatorsworld.net/okai/)で何度も、家畜は経済性を機軸に飼養管理される主張しました。生産性をなくした家畜は、治療の対象にはならない。産業動物の獣医師は命を救うことが目的ではないと説明してきました。Syari 酪農の現場では、1992年頃から牛肉の自由化を背景に、搾ることができなくなって廃用にされる牛が、極端に安くなりました。20万円ほどだった牛が5万円以下になりました。これでは、酪農家は早く見切りをつけた診療を希望するようになります。加えて規模が大きくなって、牛に目が行き届かなくなりました。はっきり言って、扱いが乱暴になってきました。乳牛1頭当たりの経済価値が下がったからです。診療は増えるし複雑な病気になるし、治りが遅くなり諦めが早くなって来ました。

現在ヨーロッパ各国は、EU統合に向けて、多岐にわたっての規範の摺り合わせをやっています。農畜産業の分野でもその動きは盛んで、家畜を生きた個体として扱うようにとする動きが出てきました。家畜福祉という聴きなれない言葉です。家畜の自由を束縛したり苦痛を与えてはならないということです。具体的には、狭いケージ(かご)で飼われているニワトリを禁止する方向になってきました。これを実行すれば、当然玉子の価格は上がると思います。これを消費者が容認してくれるでしょうか?

見た目に周辺をきれいにしている、大型酪農家が沢山いますが、それらの牛は閉じ込められた空間で飼われて、高生産を強いられています。ここでは個体は経済最優先に飼養されています。大きくなるほど、投資が増えて経済性が強く求められ乳牛の内蔵は悲鳴を上げています。家畜の福祉に対する概念は、始まったばかりです。仏教国とキリスト教国の違いなど、今後機会をみて説明してゆきたいと思います。

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そりゃガキの理屈だろ

2006-06-26 | 国際・政治

北朝鮮が「お金くれなきゃ、テポドン発射する」などとのたまっているが、これは「お小遣いくれなきゃ勉強してやんない」などという、子供のおねだりと同じ論理である。自分のことだろうと思うのであるが、彼の国にはそんな理屈は存在しない。

最近読んだ本で秀逸のものがある。「新世界戦争論」ジョージ・フリードマン著、日本経済新聞社刊であるが、非常に冷静にそれでいてかなり緻密な分析で圧倒される。例えば、北朝鮮の我侭は、中国にとっては対アメリカ政策の懐刀的存在として持っておきたいのである。イランの核開発も同様の視点に立てば説明が簡単である。北朝鮮が、国民を飢えさせてでも、国際的に存在感をアピールするために、核やテポドンの開発は極めて有効なツールなのである。食料も自由もないこの国にどうして革命がおきないのか不思議であるが、現状政府の方が、対アメリカ政策に、中国やロシアにとってはうってつけなのである。

こんな国が主権を侵してまで拉致した人間を帰すには、面子を保つことと見返りがなければ必要である。困った国際間の国家論理である。

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そりゃ、歴史の違いだろ

2006-06-25 | TPP

ワールドカップでは見事な敗戦である。民族性の違い、歴史の差が見事なまでに見ることができたと思う。こんなもんである。薄型テレビやDVDレコーダーの販売を煽っていた連中やマスコミは思惑外れであったであろう。本当にサッカーが好きならば、これからが本番である。ベスト16の、後がない国の威信をかけた戦いこそがサッカーの醍醐味なのである。ここで覚めるのは、それこそ家電業界とマスコミに踊らされているだけである。

食生活でも似たようなことが言える。この数十年の子供たちの体型は、日本の本来のものではない。黒澤作品に出てくるような、痩身の皮下脂肪のない精悍な体つきの日本人は、なかなか見ることができない。ぶよぶよになったのは、肉や卵などの畜産製品と、流通される甘い口当たりがいいお菓子類が増えて、野菜やお米の摂取量が減ったからに他ならない。これは、アメリカ穀物協会の戦略に他ならない。実に日本は誠実に、アメリカの穀物を大量の輸入して、数千年に及ぶ食を転換したのである。今回の牛肉輸入にしてもなんとアメリカに誠実なことか。拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊参照http://www.creatorsworld.net/okai/

体力とは物を持ち上げたりする力や見た目に大きくなったり太ることではない。体力とはそうしたことに加えて、抗病力や持続力であり物事を総合的に判断する力のことである。それがかけているのでないかと思った、ワールドカップである。

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そりゃ、安けりゃ買うさ

2006-06-24 | ゲノム編集

いよいよアメリカ産牛肉の輸入解禁までが秒読みになってきた。今は、評論家面した連中が安全性だの、不安が拭いきれないなどと言ってはいるが、そんなもの当てに3なるわけない。安けりゃ買うさ。喉元過ぎれば何とかで、いずれ消費者は安いものを買うようになる。大体が「牛丼がなくなる」などとふざけたキャンペーンを張っていたのは、安物を求め る声でなかったか。牛丼など、国産の牛肉を使えばいくらでも作れたのである。キュウドンヤが輸入していた牛肉は、胸底といわれる、アメリカ人は誰も食べないハネモノに目をつけ輸入していたから安いのである。そんな少量のものを大量に輸入するためには、不特定多数の牛が必要になり危険この上ないのであるが、結局は安いから買っていただけのことである。

アメリカは狂牛病(BSE;牛海綿状脳症)の検査をやる気がない。現在も極めて限られた範囲でしかやってないないし、通常の屠場で検査体制が整っているところはほとんどないといわれている。検査もしないし、生産履歴もせずに経済効率を最優先に生産される大国の商品と、価格競争をして勝てるわけがない。中国の、農薬漬けの野菜が日本で売れる理由は安いからである。

国際競争力とは、すべてのものが均等になってなされるものではないか?それより何より、食料をそうした価格で競争させることが、もっとも大きな問題であると思われる。

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そりゃ、自給率が下がるだろ

2006-06-23 | 農業と食

わが国の穀物消費量は概ね4000万トン程度である。Photo_7 このうち、輸入されているのが概ね、3000万トンほどである。国内生産量は1000万トン足らずである。このほとんどが、米である。つまり、わが国の穀物自給率は25%少々である。この輸入されている穀物3000万トンの70%ほどがコーン(とうもろこし)であり、ほとんどが家畜用である。人が口にするのは小麦などであるが、あわせても2000万トン少々である。わが国の穀物消費の半分量は家畜が食べているのである。

家畜が消費する2000万トンほどの半分量が、ニワトリが食べている。つまり、わが国で生産されるお米と同じ量をニワトリが食べているのである。近年この傾向はさらに進んできている。若い人のお米離れと、畜産食品への移行が大きな要因になっている。わが国の、食料自給率を上げるためにはこうした食生活を考えることも重要である。拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊参照http://www.creatorsworld.net/okai/

わが国の家畜が穀物を多給されても採算が合うのは、輸入穀物が安価で販売する畜産製品が高いからである。それは円が高いかドルが安いかあるいはその双方が条件で、日米関係が良好であることが前提となる。そうして、高収入を目指す畜産農家は、大量の穀物を家畜に給与することになり、家畜への大きな負荷となる。獣医さんは忙しくなる。

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そりゃ、環境破壊だろ

2006-06-22 | 国際・政治

この写真は、観光地で有名なある公共牧場の直下である。いわゆる三面工法と言われる河川改修がなされたところである。一見木や草がなくなりきれいに見えるが、瀬や淵(浅いところや深いところ)、急流や緩流をなくしてコンクリートで固めたものであるPhoto_3。河川周辺の昆虫などの小動物がいなくなり、少しの雨で増水し、しばらく雨が降らないと渇水する。放水路となった河川には魚がいなくなり、周辺には小鳥の声がなくなる。環境破壊と周辺の酪農家が気づくまでは相当な時間がかかる。

酪農家などの住民が気が付くのが遅れるのは、国がやってくださる農業の環境整備の一環だと「お上」を信じているからである。事実このような公共事業は地方僻地を潤していたことは否めない事実ではある。しかし、こうしたものを含めて農業予算が組み立てられていることに問題がある。農業予算は農業者見える形で還元されるべきである。先ごろの可決された法案は、直接払うことは良いのであるが、担い手を大きく制限することで返って自給率を減らすことになりはしないか。

こうしたことを知ってか知らずか、今日も大型観光バスなど観光客の歓声が丘の牧場上から聞こえる。

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そりゃ、米国の言いなりだろ

2006-06-21 | ゲノム編集

どうやら米国産Photo_1牛肉が大手を振ってこの国に入ってくること になるようだ。結局のところ、輸入停止された理由は忖度されることはない。わが国同様輸入停止をしていた台湾や韓国や香港などの輸入再開では、違反例がある一方で経済制裁を何度もちらつかせている。米国はノータリンではあるが、強大な力と金がある。

米国に感染牛がいないことが確認されないかぎり輸入停止を解除すべきではない。米国には十分な検査体制はないし、これからもやる気がない。どの牛を検査対象としてきたかも不透明だし、牛の月齢や種類も示されてはいない。BSEが発見されないのは搾乳牛の検査が極端に少ないからである。輸入再開は小泉首相の訪米の手土産だと誰もが思っている。こうした見方はシロウトの方が的を得ていることが多い。

今回のことに関して、新年度に向けて半数の委員が辞めたことで知られる食品安全委員会は蚊帳の外にある。委員会で決議された内容に関ることではないとしているが、ここにもとり急ぐ姿勢が見られる。自国の検査基準で輸入農産物を規制できない情けない国である。国内外の差別である。拙書「そやないよ獣医さん」新風舎刊参照http://www.creatorsworld.net/okai/

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無言館にて

2006-06-20 | 文化

信州上田市の小高い丘の一角に小さな「無言館」という美術館がある。コンクリートの壁をむき出しにした ままの、この美術館は戦没画03学生の作品を集めていることで知られている。先の大戦で私の父はフィリッピンで戦死している。私が生まれる前のことである。そうしたこともあって、戦争にかかわることについては人一倍感慨を覚えるのである。この美術館はいつの日か訪れるたいと思っていた。事前の知識は十分あったが、思ったほどの大きさはなく、ひんやりとしたコンクリートの壁面に飾られた作品は、習作といわれるレベルのものが多いが、胸打たれるのはこれらのすべてが遺作であり彼らが命を絶たれた背景である。

総じて裕福な画学生が多いが、どの作品も「もっと描きたかった」と訴えている。意思に反して戦場に狩り出された彼らではあるが、自らの死を超えて作品を世に残した。私の父なども同じように、内地に妻やまだ見ぬ子を残して死んでいくことの無念さは計り知れないものがあったであろう。彼らは、反戦主義でもなければコミニストでもなかった。そのため、かえってただ単に描きたかった無念が伝わってくる。

戦争とは人の命を奪う行為であり奪われる行為であり、人のすべてを断ち切る行為である。戦争を、国家観や防衛論などから語られてはならないものである。

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そりゃそうだろ!獣医さん

2006-06-19 | カジノ

産業動物の獣医師の仕事は、生産現場から脱落しそうになった家畜を生産現場Photoに戻してやることである。だからせっかく命を助けることができても、生産できなくなるようでは、治療に値しないことになる。乳牛を例に取るならば、相当具合が悪い牛をやっとの末治癒に持ち込んでも、牛乳を生産できなくなっては、家畜としての存在意義がなくなる。おまけに治療費が嵩むようでは、酪農家からは治療しないでくれと頼まれることになる。たとえ牛乳が出ているようでも、高齢になっていたりあるいは受胎したいなくて来年以降、酪農家に利益をもたらさないようだと、同じように治療することなく、廃用(肉に出されるなどして農場から出されること)になる。

病牛に限らず、健康な牛であっても生産量が少なかったり、生産される牛乳の質が悪かったりしても同じことである。収支を前提に飼養される家畜には、過酷な経済論理が待っている。家畜は愛玩動物ではないのである。拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊参照(http://www.creatorsworld.net/okai/

ところがここにきて、EUなどから「家畜福祉」という耳慣れない言葉が出てくるようになったのである。一例を挙げると、ニワトリは身動ができ砂遊びなどができるようにしなければならなくなる。より健康なニワトリが育つと思うが、卵の価格に跳ね返るのは当然のことである。消費者は容認してくれるだろうか?乳牛も年間200日は太陽の下に出しなさい、一日8時間以上拘束してはならないとなりそうである。当然飼養頭数は少なくなり、牛の病気も減ることだろうし、獣医さんは楽になるが、商売あがったりとなる。畜産農家も消費者もこの動きを認めてくれるのだろうか?

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そりゃ頑張るゼ

2006-06-16 | 農業と食

北海道の東には日本で一番遅く桜前線が到着する。この冷涼な地帯では、安定的に収穫されるものは牧草しかない。北海道の最も北海道らしさが感じられるところであるが、牧草が農民にとって重要な農産物であり肥培管理されていること知る旅人は少ない。広々とした、北海道らしい風景は左のギャラリーを見ていただきたい。この6月末から来月にかけて、酪農家は冬の餌の収穫に懸命にお働く。晴れた日の夜中の往診など、刈られた牧草地から逃げ出してきた虫が車のフロントグラスにバチバチ当たって、前が見えないほどになることがある。根室地方の酪農家は、この一月は大変忙しい時期となる。

牧草地には僅かの化学肥料は散布される程度である。今の乳牛たちはこの健全なものばかり食べているわけではない。食べるものの半分程度のカロリーはアメリカの輸入穀物に依存している。この穀物の安全性には極めて疑問が残る。とりわけ飼料大豆はほとんどが遺伝子組み換え作物である。酪農を有機産業とするには極めて困難なことが残る。いずれにしても、この時期は酪農家は大変忙しく頑張るしかないのである。

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そりゃ差別だろ

2006-06-15 | 国際・政治

昨日多くの人が無関心だろうと思われる「農政改革関連法案」国会を通りました。これは、日本農業にとって一大転換である。農家を、政府が指定した規模で切ってしまうというのです。府県では1.8ヘクタール以上なければ農業政策の対象農家としないとするのです。WTO交渉の中で、関税の設定が今までどおりには行かなくなるので、直接農家に所得の保証をしようというのである。これまでは農業予算の多くは、道路を作るなりしてかなりあちこちを潤してから農家に間接的に払われたことを考えるとそれは良いことある。しかし、現在のところこの政策の担い手を申請する農家は目標の10%にも達していない。

農村では、全国に先駆けて少子高齢化が始まり地域の崩壊が進行している。小農切捨て、地域での格差の増大、農産物の質の問題などがこの政策からより大きくなることが予測される。市場原理を農業に導入すること自体が効率優先の農業となるが、これを規模拡大だけで評価し差別化することは、本来の農業を育成するとは思えない。

水田と畑作の担い手を満たすのは現在三割程度しかいない。政府のもうひとつの大きな農政目標である、食料自給率の向上に寄与するとは到底思えない。わが国の農業政策の、一大転換の政策が昨日国会を静かに通過した。この国の食料はどうなるのだろう。

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好きなものだけを食べる

2006-06-14 | マスコミ

先日放送されたNHKの番組は衝撃的だった。チョコレートバナナにコーラの朝食、野菜を食べない子供らに迎合す親たち。「好きなものだけを食べる」この思想は、「好きなことをして何が悪い、他人に迷惑をかけなければ良い」とどこか符丁が合う。戦後この国が指標をなくし、それぞれが自らの保全に走った結果でないだろうか。われわれ戦後教育で育った世代は、実存主義を信奉するものが増えてきた。実存主義は、神への対抗軸として人間の存在を定義するなど、本来はかなり深遠な内容を持つ思想であるが、「あなたと私は違う」「価値観の相違」などと、ある意味論争すらしなくなる風潮の基礎を作ったように思えてならない。その結果が「好きなものだけを食べる」となり、自らの将来も社会のありようも無関心な人種を作ってきた。

これは「好きな人としか付き合わない」などとなって、社会構造などとは無縁の存在となる。しかし、彼らの好きなものは実は、様々な形でコントロールされていることすら気がつかないでいる。好きな食べ物は、甘く口当たりがよく簡便に作れるように作られ、繰り返しコマーシャルされる。それを受けて好きなものになっているに過ぎない。利潤追求の企業思想の傘下にあるだけである。好きな人も、マスコミが作り上げた虚構を追っているに過ぎない。タレントたちが声を高めて、他人を見下す番組が多すぎる。それも、読書すらしない「好きな番組だけを見る」人種には理解できないことかもしれない。

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そりゃシロウトの方がましだゼ

2006-06-12 | ゲノム編集

村上何某が、経歴と儲けを自慢する意味で自らのことを「プロ中のプロ」などと喋りまくって、逮捕された。彼の発言に関心した人もたくさんいることだと思うが、それは日本人の専門家コンプレックスではないだろうか。プロのいうことだと何とか納得してしまう。

畜産業界でも同じような連中がいる。高度な技術、研究理論を展開して効率の高い生産を目指すのである。効率を高めるということは、結局は穀物を多給して家畜に負担をかけることである。そうしたプロの専門技術が、BSE(牛海綿状脳症:狂牛病)を作り出す技術となったのである。プロフェッショナル、専門家とは、特殊な一点に長けることであるなら、非常に危険なことである。(拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊http://www.creatorsworld.net/okai/参照)

専門家が展開する技術や知識が、効率一辺倒の論理になるのは当然の成り行きである。投資家なら、拝金主義となり産業界では市場原理主義となる。それは、村上何某をみれば分かるように、金の亡者でしかないのである。我が国は、このような形骸しか持たない株のプロの存在を容認してはならない。阪神電車の割引券を貰ったりして喜ぶ、シロウトの株主に本当の姿があるような気がする。

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そりゃクロウトわがままだゼ

2006-06-11 | 文化

中学の頃、近くに美術館があり絵を観察するのが好きであった。今でも450キロも走って、札幌に農民画家のミレーの作品を見に行くくらいである。そうした私にとって許せない事件があった。例の盗作騒ぎである。少し気の弱そうな画家が、ほとんど同じ作品を「クロウトが見れば、作品の雰囲気や空間の扱いや、筆のタッチを見れば全く異なる作品だとわかります」言ってのけた。恐ろしい発言である。

盗作であるかにかは、クロウトなどが判断することではない。シロウトが見て判断する方が正しいのでないか。第一、何とか会員や何とか賞を選考した「クロウト」連中は、大騒ぎになってやっと気がつくようなお粗末である。クロウトは作者に近かったり、人としてのつながりもあるだろう。クロウトがこれを盗作と判断せずに、「よく似ているから」今までの賞などを取り消す。ヨクワカラン。

食も同じである。農業、畜産分野は、現在いろいろな技術が行き交っている。それぞれの分野では、かなり苦労し、勉強や研究を重ねてきたことは理解できるが、生産者が消費者に向かって、シロウトには解らないことだと説明を拒否するのは問題である。シロウト(消費者)は、ニワトリや牛がかわいそうだとか、農薬は嫌いだという発言や感情を、農業の専門家が嫌悪感を持つのはやはりおかしい。こういうことこそ、シロウト感情で十分なのではないか。

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羅臼港

春誓い羅臼港