
上記の本「鉄の暴風」は友人から頂いた本である。1950年(昭和25年)8月10日沖縄タイムス社より刊行されたもので、友人が購入した1979年で第8版も重ねている。伝聞や風評ではなく、鮮明な記憶の残る人たち、惨状を体験した者たちから聞き取り、綴った克明な記録の書、現代史第一級史料といえるものである。現在ちくま書房より文庫本として刊行されているとのこと。
本書には懸命に逃げまどった人たちそうした中、住民に自決命令を下す将校たち日本兵、集団自決し息のまだある肉親を鎌などで最期のとどめを刺す人たち。本書が拾わなかったところも含めて、無数の集団自決は行われた。
いたるところで、住民が避難していた壕から追い出し兵士たちが占拠した。下の絵は、本書のカットであるが、惨敗した兵士たちが民家から食料などを盗むさまである。
米軍に捕虜になった女5人に男一人が、立てこもる島民に降伏するように説得に行ったが、日本兵は殻ら6人の首を切り落とした。
集団自決を見届けると言って生き残った兵士たち。人間魚雷に乗ったが数日出撃せず生き残った日本兵。
これ等の日本兵は残虐で非道だと思えるが、彼らは決して悪くはない。沖縄に戦場を作った日本帝国と、兵士に止まらず民間人にも玉砕を命じた日本政府、22万人もの命を奪った日本軍国主義こそが非難されるべきである。
ところがこの参議院選挙で躍進した参政党の中田優子が、投開票日の20日、RKB毎日放送のインタビューで沖縄戦の日本軍について「国民を救うために助けに行った」「歴史認識も2パターンある」と発言している。
代表の神谷宗幣も「日本軍は県民を守りに来た」同類のことを発言している。神谷宗幣は更に、「戦ってくれたから本土復帰できた」 とまで述べている。裏付ける資料もなく根拠は不明である。
日本軍は沖縄で時間を稼いで、本土決戦を有利にするために来たのであるが、沖縄で現地住民も巻き込んだ上で徹底抗戦し、アメリカ軍に大打撃を与えて、本土侵攻を諦めさせようとしたことは、当時の記録などからも明らかになっている。
しかも、日本兵は戦況が厳しくなると、住民のものを奪うだけでなく命さえ奪うようになっていたのである。参政党は事実を学ぶこともなく、都合よく創作された歴史観しか持ち合わせていないのである。
しかも、日本兵は戦況が厳しくなると、住民のものを奪うだけでなく命さえ奪うようになっていたのである。参政党は事実を学ぶこともなく、都合よく創作された歴史観しか持ち合わせていないのである。
いずれの転居先<そりゃおかしいぜ第5章 >
