以下、無垢な獣医学生への回答全文である。
SK様
一般社団法人)アニマルウエルフェア畜産協会の現在監事をしているものです。本会には設立準備段階から係わり、設立後も二期理事をやり現在は監事を拝命しています。
ところで貴君は、ネオニコチノイドって聞いたことあるでしょうか?グリホサートをご存じでしょうか?ネオニコチノイドを知っていますか?
一般の消費者はこうしたこともほぼ無関心です。食品を購入する時に関心が最もあるのは価格です。価格以外にあるのは見た目位でしょうか?多くの人は、自分たちが毎日口にするものでありながら、生産現場のことなど知ることがないのです。新しい概念のアニマルフウエルフェアの認知度は極めて低く、家畜の飼養管理などは尚更でしょう。
それを無関心と断じても一向に構わないが、一方で消費者は価格で食料を選別しているともいえます。長年鶏卵は物価の優等生ともてはやされましたが、その陰で何が起きていたかを、殆どの消費者は知ることがありません。日本から養鶏農家がほとんど消えました。新たに登場したのが大資本によって組まれた企業養鶏です。これは最早畜産農家などではなく、単なる食料加工業者に他ならないといえます。消費者が価格で鶏卵農家を選択した結果とも言えます。
一般の農家は、アメリカから大量の遺伝子組み換えで無関税の輸入穀物、どのような栽培をされているかを全く知らされることにない穀物を、大量に鶏に与えて続けて玉子を売ることを躊躇します。
価格と流通の改革などによって、日本はそうした伝統的な農家は淘汰される仕組みを作ったのです。そうした飼育方法、栽培方法が生き残るシステムをこの国が作ってきたからです。
私たちは乳牛のアニマルフウエルフェアの評価基準を作りました。私も深く関わってきましたが、アニマルフウエルフェアが普及すること、特に酪農家が大型化することへの歯止めになればと、引き下がった部分もかなりあります。基準と設けても、評価をするとしても、酪農家は営農する経済の中での選択になります。
動物の苦痛と言われるものも、愛玩動物と家畜では異なります。最も近くで彼女たちを診てきた私の主張は、家畜にとって最大の苦痛は強制される過剰な生産です。大量の玉子産めとか、乳出せとか、早く肥れとかいうものです。過剰と思われる穀物などの給与ですが、この評価基準は世界的にありません。飢餓の逆で、飽食と過剰生産の苦痛です。本協会ではこれを、乾物量で粗飼料を穀物が超えないことに留めています。
ところで貴君の質問に大きな認識の誤りがあります。これは本会会員の中でも意見の分かれるところもありますが、長年農村にいるもの、へき地で暮らすものにとって、とても違和感のあるものです。それは日本人ほど家畜を労り慈しみ共に生きてきた民族はないと思われるからです。
どんな田舎に行っても、どんな山間僻地に行っても、農村には馬頭さんや獣魂碑などが必ずあります。繭塚や鯨塚などもあります。絹を紡ぐためにお蚕さんを熱湯で殺すことへの鎮魂の塚ですし、大量の贖罪や生活物資を与えてくれたことへの感謝の碑です。鯨を捉えて脂だけをとって他は廃棄していた欧米人が近年になって、食材にしている民族を非難する横柄な姿勢は、彼らの歴史と思想に基づくものなのです。
畜産と言う英語はありません。日本の農業では使役に使われたりもしていましたが、家畜を飼養する農家を有畜農家と呼ばれていました。戦前には日本には馬が150万頭もいました。“馬のくそ“と最近はあまり言わなくなりましたが、どこにでもあるつまらないもの例えになっていたほどです。戦争で多くの人が亡くなりましたが、同時に多くの農耕馬も徴用されて戦場に散っています。獣医師を目ℤ素ならそうしたことも知っていただければと思います。
欧米の畜産は近代化という形で日本の農村に入ってきました。大量飼育と大量生産によって、しかも経営的に安定することが課せられています。経済効率最優先の畜産が、伝統的な従来の農業とは無関係に導入されてきました。
アニマルフウエルフェアの考え方は、欧米で作られた彼らの歴史と宗教性の強いものと思います。ある家畜行動学の先生の講演を聞いて納得したのが、世界各国にはそれぞれの地域で育まれてきた文化の中に、生き物を労わる思想や宗教や倫理観が醸成されていているというものでした。
チベットのヤクなどの家畜が汚れてるからアニマルフウエルフェアの基準に合わないというのは、横柄な判断になるでしょう。先進国の家畜がどれほどきれいで清潔的であっても、ヤクは先進国の清潔な家畜より余程人に近くに置かれ共に生活し大切にされています。家畜福祉そのものだといえるでしょう。
とはいっても、基準を儲けて評価をあたえることは、いわば可視化する作業は、家畜に優しい形態を数値化することで消費者の理解が得られるのではないかと思い、大変重要な事でもあります。
21世紀の農業は他産業と同様に、巨大投資、大量生産、大量廃棄という20世紀に開発されたシステムを克服する世紀でなければならに思います。それは生命の循環に従うことをも意味します。あるいは人が決めた経済という縛りの中で、金銭的な効率を求めることへの諫めにもなります。生命の循環とは動物に限ることなく植物も土も大気も同様であり、人間も当然組み込まれています。
農薬などを使うことは経済効率を上げるためですが、そのために不要と判断した微生物や循環のシステムを選別することにもなるのです。家畜も同様です。
21世紀の世界の農業は、国連が推奨する家族型小規模農業の時代となるでしょう。世界の飢餓人口とその線上にある人たちは、5億人かになるでしょうが彼らの8割以上は元農民です。彼らを農地に戻し営農することで食料問題ばかりか、政情の安定の基盤を作ります。農業の大型化単作化を国の政策として推進しているのは日本だけです。
安全な食品と環境汚染の防止のためにも、これからは脱農薬、化学肥料の有機農業が安全で安定的な食糧を供給するスタイルとして求められることになるでしょう。畜産におけるアニマルフウエルフェアもこの延長上にあります。認証制度は大型酪農、非循環型で収奪畜産への警告と私は位置付けています。
以上がかいつまんだ、アニマルフウエルフェアへの基本底な私の考えであります。
PS:どうしてもこのことは記しておきたいことがあります。
それは加計学園の獣医学部開学の問題です。貴学の開設は違法であるばかりでなく、獣医界全体ひいては畜産の世界に大きな汚点を残し、禍根を末永く引くことになります。私は各シンポジュウムなどで、余っている獣医師の問題、偏在する獣医業の問題を強く訴えてきました。貴君にはかかわりはないことであるとは思いますが、どうしても引き下がることの出来ないこととであります。そう遠くない日に廃学になることを希望し、このことはこれからも間断なく訴えてゆきたいと思っています。