籠池の言い方に従えば、「同じ方向を目指すもの」からは無条件で、こうした学校建設には支援を受けることになると思ったのであろう。何しろ思い込みが激しい。この手の人物はよく見かけるが、汚いことはやらない。何が汚いかは本人が決めているのであるが、そうした一方的な論理には比較的忠実である。別の言い方をすれば、極めて単純な一本気な男である。
籠池は信頼していた日本会議を軸にした右翼連中が、異様な国有地払い下げの実態が明るみに出るや、一斉に引いてしまった。籠池にしてみればこうした時にこそ頼りになるのが、同じ方向を向いている右翼の連中だったはずである。特に頼りにしていたのは、同じ考えとまで持ち上げてもらった安倍晋三である。一本気な男は裏切りに写ったことであろう。
この極右翼の男は、こともあろうか野党にその反転攻勢の矛先の介助を依頼した。民進党は党の肩書がやっと着くような代行を向けたが、共産党や民社党や自由党は問うのかをになる人物を寄こして、籠池の意見を聞くことになった。間に入ったのは、ベストセラー「日本会議の研究」の著者の菅野完氏である。菅野氏は特段左翼とは思えないが、日本会議から見ると目の上のたん瘤(コブ)的存在である。こともあるにこうした人物と政党に、籠池は右翼の連中への反乱を依頼したのである。徒手空拳の野党はすっかり舞い上がって乗ってしまった。
古色蒼然たる皇国史観に基づく学校建設に、籠池がお助けに呼びつけた野党が賛成するはずもない。もともと売名行為などしか興味のない、右翼の評論家や政治家たちに辟易し被害者感覚になった籠池の最後っ屁のようなものである。
国会で爆弾発言はなかろう。弾は殆ど菅野に渡している。せいぜい信じた、同じ方向を目指していた連中に嫌味を投げかける程度で終わる。しかし、学校建設に跳梁跋扈した安倍昭惠というほぼ公人の後始末として、安倍晋三には道義的責任は残る。関係していたら止めると豪語した言葉を実行する裁量はななかろう。。
このアッキード事件の本質である、国有財産をただ同然で叩き売ろうとした背景こそが問題なのである。ことの本質は、この問題を初めて世の出した豊中市議の木村真氏の追及があってこそであるが、彼の真摯な当初の取り組みにその本質を見ることができる。国会はこのことを忘れて、ワイドショー化するのであろうか。
今回露呈した国有地払い下げの違法性に最大限それを利用した。考え方が近いということが、親近感を与えるのだろう。安倍昭恵は教育内容に感動したと、公然と述べている。頼まれ倒されたので、渋々名誉園長を引き受けたというのは大嘘である。
鴻池元防災大臣は3年ほど前に日本会議つながりで学園に呼ばれ、「教育内容に感動して涙が出そうになった」とまで述べている。下品で粗野の鴻池は記者会見をして、自分に降りかかり火の粉を先に払ったのである。学園側のねつ造内容と言われて反論できない。
この塚本幼稚園の教育実態の異様性があからさまになっている。ワイドショーが泣いて喜ぶ疑惑のテーマパークのような不法取引事件で、森友学園にスポットが当たったおかげである。
何しろ運動会の選手宣誓で、6歳の園児に『日本を悪者として扱っている中国、韓国が心改め、歴史でうそを教えないようお願いいたします』『安倍首相がんばれ』『安保法制国会通過、よかったです』などと言わせているのである。
教育勅語や五カ条のご誓文を暗唱させる。軍歌を歌わせる。愛国教育というにはおぞましく、単なる戦前の日本の軍事教育を倣った、皇国史観を前面に出した復古調教育である。極めて危険な教育であり、右翼カルト集団らしく国家への奉仕を掲げる。教育基本法に違反するレベルの問題ではない。
韓国や中国を敵にする、愛国主義というより、大和民族がよければ良いという民族主義教育である。しかも現場では、海軍で行われていた規律を園児に押し付ける。トイレに行く時間の制限や、戻したものは無理やり口に押し込まれる。規律違反者には見せしめに曝し辱めるといった具合である。
日本にはこの学園の他にも、安倍晋三が泣いて喜ぶようなこのような極右翼軍国教育をする私学があるのだろうか。
下の新聞記事もかなりの誇張はあるとは思われるが、100人なんて殺せないということで、事実を否定するのには無理があるというものである。稲田朋美がこの二人の名誉回復の馬鹿げた訴訟を起こしている。
もう一つ、日本軍と闘ったのは蒋介石の率いる国府軍であり、毛沢東たちの八路軍(共産党軍)は、後方で観戦していた。国府軍と闘っていた八路軍は、蒋介石の敗退を歓迎していたという、極めて複雑な国内状況にあった。
戦後中国共産党が日本に好意的だったのは、国府軍に対して悪くない関係にあったからである。更には、戦後の冷戦構造が日本に対して、侵略戦争の実態などをもみ消してきた経緯もある。こうしたことを背景に、日本会議などの極右翼勢力が、戦争の正当性を未だに言い続けるのである。他国に軍隊を侵攻させる事実だけで十分侵略行為である。その量を問題にするのは、被侵略国家にとって失礼であるばかりか、もっと上手く戦争をやればよかったと思う人たちを生むことになる。
ホテルチェーン最大手のアパホテルが、客室に設置していた南京大虐殺否定本が中国のSNSで広まり反発が起こっている。2月に札幌で開催される冬季アジア大会の組織委員会は、選手がアパホテルに宿泊する予定であることから書籍の撤去を打診したが、アパ側は撤去に応じるつもりはないという。
これを日本のネットなどで、中国に屈しない姿勢と評価する動きがある。日本が右傾化している現象であるが、南京大虐殺事件も国民の多くが否定する時代が来るかもしれない。上の写真は100名ほどの斬首した首を前に、誇ったように写真に納まる日本軍幹部である。三笠宮も現実を見た、とても悲しい事実である。
アパホテル会長の元谷外志雄と、社長で妻である元谷芙美子は日本会議の幹部である。元谷外志雄は、安倍晋三の後援会「安晋会」の副会長でもある。自らが主宰する懸賞論文で、元航空幕僚長田母神俊雄の「日本の戦争は侵略戦争でなかった」とする内容の論文を表彰している。
反中国を通すことで、戦争の事実、人殺しの歴史を忘れ去ろうとする風潮が、急速に右傾化する日本で浸透している。日本は悪くなかったと、日本人なら思いたいのに乗じた戦争肯定論へと走るのである。
虚偽の内容でもいいと言っているのではない。司法の方に、日本会議に対する忖度を超えた、恐れが感じられるのである。
それは、第三次となる安倍内閣では、日本会議のメンバーが3名増えて19名閣僚のうち15名という、まるでカルト集団のような内閣なのである。関係者が、日本会議の顔色をことあるたびに伺うのも、保身を考えれば当然と言えば当然のことである。
決められる政治とは、一方で独断であって民主主義とは無関係といえる。極右翼団体の、日本会議が日本の政権中枢で存在感を占める現状は、極めて危険な状況といえる。
天皇の生前退位に関して、「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」と名付けられた有識者会議が設けられた。今月結論を出すとのことである。日本会議は天皇の生前退位に強く反対している。国民のほとんどは、生前退位に好意的である。この有識者会議がどれほど日本会議に抗した結論を出せるか見ものである。多分一代限りの特例法で乗り切るのであろうが、すでに日本会議は強く異論を唱えている。
更に、保守傾向の強い「神道政治連盟国会議員懇談会」には、公明党出身の石井啓一国交相を除く全閣僚が参加している。新年の神社参拝を利用して、憲法改正の署名を集めている。
海外のメディアはこうした戦前の日本回帰と見える動きに対して、民主主義としての形の異様さを報道している。日本のメディアが二の足を踏んだ報道しかできないのは、今回の菅野氏の新書本への判決を見ても良く解るのである。
日本会議はうねりを持った巨大な活動の上で組織された政治団体ではなく、ほんの「一群の人たちが」がコツコツと活動を通じて積み上げてきた組織である。出自は、生長の家に行きつくが、生長の家は現在政治活動から手をひいている。日本会議の主体は1960年代の左翼学生運動に対抗してできた、民族主義団体の一群の人たちを母体としている。
現在日本会議の事務総長で実質的に会を取り仕切りこの本の発行をやめるように抗議した人物の椛島有三、安倍晋三のブレーンとして改憲を唱える伊藤哲夫、安保関連法(戦争法)は合法と主張する学者と官房長官がやっと名を挙げた三人の一人の百地章、安倍晋三に恩義を売られた首相補佐官の衛藤晟一、生長の家の創始者の谷口雅春を引き継ぐ安東巌、ほぼこれらによって仕切られている日本会議である。
日本のマスコミは、東京新聞以外はほとんど、安倍政権の80%を超えるメンバーを占める日本会議について取り上げることがない。国家権力機構に重要な働き、影響を持つ日本会議への取材が少ないことへ、海外メディアも不審を抱いている。それは学問の対象にするには生々過ぎ、報道がカバーするには長すぎるためと、著者は好意的である。
日本会議の主張は、天皇を神と抱く国家への回帰であり、かつての国家神道への回帰であり、明治憲法への回帰と思われる古色蒼然としたかび臭い論理でしかない。しかしながら著者の指摘する通り、地道な活動をこの50年続けてきたその結果である。
また、政治が右翼化したのではない、政治家が右翼化しただけである。日本会議が大きいわけではない。他の団体が小さくなっただけであると結んでいる。
多くの国民が政治離れしてきた50年でもある。政治的発言は公的な場では差し控える傾向になり、若者は論議を嫌う。反論されると炎上という言葉で逃げる。安倍政権内で権力の味を占めた、日本会議は権力者の庇護のもとさらに巨大化し横暴になるであろう。日本という国家が、こうした戦前回帰を基調とする非民主的、反近代的な政治団体、日本会議に翻弄されることであってはならない。それは単に憲法という枠内の問題ではなく、人類の将来を見据えた、あるいは地球を見つめた視点から遠ざかることをも意味するのである。
報道各社は出版停止を椛島が要求したとあるが、微妙な言い方であるが(下の本文参照)内容が良くないと言っているだけである。「日本会議について裏付けの取れない証言を並べ、活動を貶める目的で編集されており、団体・個人の名誉を傷つける。」ということで、出版停止までは述べてはいあない。彼らは巧妙である。しかしながら、実質的には出版差し止め要求であることには変わりない。極右翼団体の面目そのままである。安倍政権の権力機構に圧倒的なメンバーを送り込む、恐怖の右翼団体、日本会議である。
今のところ出版社も著者も屈していない。そのおかげで、ゴールデンウイークも重なったおかげで現在入手が極めて困難である。先日書店でただしたが一冊も入庫していない。店員は即座に答えた。問い合わせが多いこと窺わせた。そういうわけで現在のところ、いまだに本書を読んではいない。彼らにとってよほど都合が悪いことが書かれているのであろう。
自らの信念があって、生長の家などが母体となって数多くの右翼団体を糾合し結成した政治団体である。異論を切り捨てる言論統制をこうした団体の会員が唱えるようになるのは、至極当然の成り行きである。今回の抗議文もその一端であるといえる。
インド訪問中の安倍首相が、ラダ・ビノード・パール判事の長男と会談した。極東軍事裁判(東京裁判)で、祖父の岸信介をはじめとするA級戦犯の無罪を訴えてくれたことへの、謝意を込めた会談だったらしい。
しかし、それは大きな勘違いである。極東軍事裁判の11か国の判事は、ことごとく日本の軍人の有罪を説いていた。事前の打ち合わせがあったことも事実であるし、インドのパール判事が遅れてきたことも事実である。パール判事が、A級戦犯を含めた多くの人たちの無罪を主張したことも事実である。
しかし、パール判事は彼らのすべてを無罪としたわけではない。平和に対する犯罪や人道に対する犯罪は、後で決めたことであって「事後法」である。「法の不遡及原則」を逸脱している。つまり、当時は概念がなかったことにつ いて、後ほど罪をつくって裁くことはできないとしたのである。その意味で無罪、あるいは判ずるべきでないとしたのである。
又、戦勝国が敗戦国を裁くことへの不当性も主張している。彼は、戦勝国が勝ったのは、武力の優位がなせる結果であって、正義の結果とは限らない。したがって、戦勝国が敗戦国を負けたことの理由として、裁くことは不当であるとしたのである。
彼は、非暴力主義者でインド建国の祖マハトマ・ガンジーを敬愛していた。非暴力による平和そのものを希求していたのである。パール判事は、アメリカによる原爆や空襲の非人道性も同時に訴えていた。もちろん、南京事件についても、事実関係の大小はあっても、その非人道的殺戮をナチのホロコースト同様に厳しく非難していたのである。
ところがどう血迷ったか、日本の極右翼の連中は、極東裁判を無効だと言った、A級戦犯を無罪だと言ってくれたと上げ奉り、事もあろうに靖国神社の遊就館の前に一昨年、顕彰碑まで作ってしまったのである。いまや東京裁判を無効にして、戦前の日本の正当性を何としても引き出したい、右翼の連中の神様的な存在になっている。
パール判事の、真の平和に対する理念などお構いなく、日本の右翼は彼を持ち上げているのである。その中に安倍ボンもいる。パール判事が存命なら、核武装を主張したり、イラク侵攻を手助けする首相を非難することであろう。一国の首相が、深い検証もなくただ、じい様の無罪を主張してくれたことへのお礼のあいさつをするなんて、全く情けないことである。