そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

そりゃ、身勝手な理屈だろ

2006-07-30 | ゲノム編集

イスラエルがヒズボラが放ったロケット弾が”50キロも”飛んできた!と驚いている。イラMany_christians_from_southern_lebanon_co ンなどの関与の根拠としている。喧嘩両成敗ではないが、自国はアメリカのバックがなければ存在すらできない国家である。それより何よりも、自国は戦闘機や軍艦で攻撃するしミサイルすら持っている。何か不公平なAn_artillery_unit_fired_a_shell_toward_s我侭論理に思えてならない。”50キロ”も飛んできたロケット弾で、数人が怪我をしたらしい。イスラエルが大量の戦車で攻撃するその先には、人間がいることを忘れてはならない。自国が攻撃されると大騒ぎする変な姿がそこにある。人間の命は、国家の経済力によって軽重が存在する。

大国の論理は、当然のように国益が優先される。イラクや北朝鮮を非難する核拡散防止条約にしても、大国の核兵器は今のままでいましょう。なり上がりが持つのは、みんなで阻止しようとするのが趣旨である。核兵器の防止ではなく、拡散の防止である。

BSEについてのアメリカの理屈も、自分たちはこれで良いとしているのであるから、お前らも食え!という論理である。自国の論理に合わなければ糾弾する 大国の論理で、わが国の農業は風前の灯である。拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎http://www.creatorsworld.net/okai/参照

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そりゃ、茶番劇だろ

2006-07-29 | ゲノム編集

米国産牛肉の輸入再開に向けて、農水、厚生労働省が東京と大阪で説明会を開催した。輸入再開を決めてからの説明であるから、単なる言い訳会に過ぎない。だいたいが、事前に検査するところをと内容を通知した査察ですら、クリアーできない処理場があるくらいのていたらくである。日本では考えられないことである。その言い訳の事後説明に何の価値があるのであろうか。牛肉が政治的に利用されているとしか言いようのない、茶番劇である。

安全性の担保があるわけではない。彼らは「自分たちはもっと劣悪な処理場の肉を市場に出している。消費者は価格で購入する」と言うことだろう。安全性よりも、肉を食いたい文化的土壌が、優先されるのである。

それにしても、オーストラリアは上手くやっている。あるいは上手に振舞って日本の市場を開拓した。特定危険部位を自発的に取り除き、日本のニーズに応じて売り込んできたのである。日本の商社が、集約的に開発したオーストラリアの飼養形態はそれ自体が問題である。牛肉の危険性は何もBSEだけではないのである。

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そりゃ、従属だろ

2006-07-28 | 国際・政治

政府は、「日本はアメリカの同盟国である」と言ってはばからない。60年安保の時なら、日米軍事同盟であると野党は一斉に攻撃したものである。与党もそれを否定するのに躍起になっていた。それが今や、経済発展がいかにアメリカの恩恵を受けているか考えるだけで空恐ろしいが、明けても暮れてもアメリカ、アメリカである。アメリカのテロ叩きは、一昔前のマッカーシー旋風に翻弄されたレッドパージとそっくりである。理屈や事実などどうでも良い「アカ」であるといえばなんでもしょっ引けた、論理は現代ではテロなら何でもできる国になっている。

日本はアメリカの同盟国などではない。イラク戦争がいかに理不尽であったかは、今や明白な事実である。イスラエルのヒズボラ、レバノンへ圧倒的軍事力で攻撃する姿は、軍事作戦よりも市民の殺戮といえる状態である。同盟国なら、こうした状況にやや離れたところからでも忠告するのが本当であろう。ところが、現実はアメリカのやっることなら、なんでも無条件にこれを取り込み容認することのように見える。日本はアメリカの同盟国などではない。単なる属国に成り下がっている。

日本には国家としての、機能も理性も欠如したままである。牛肉の自由化がその典型的な姿である。日本の検査基準をアメリカに要求できない属国に明日があるのであろうか。拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊参照http://www.creatorsworld.net/okai/

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そりゃ、売り込みたいからだろ

2006-07-27 | ゲノム編集

アメリカ産牛肉が大手を振って入ってくる。不特定多数の撥ね肉をたんまり買い込んでPhoto_10 消費者に食わす「吉野屋」は大喜びだろうが、何も知らない消費者をうまく取り込んで「ギュウドン」がなくなると、騒いだ前回のように上手くはいかないだろう。同業者で、アメリカ産牛肉は使いませんとするのを、ウリにする業者も現れた。

同時にアメリカが、BSE検査を縮小することはあまり大ききは報じられてはいない。それに、BSEばかりが問題になってはいるが、アメリカの肉牛はほぼ全頭がホルモン処理されていることはあまり知られてはいない。育成期の前段階で錠剤のホルモンを皮下投与して、成長を促し柔らかい肉を作るのである。さらには、陸続きであるためにメキシコやカナダとの流通はほとんど規制なく行われている。アメリカBSEの初発生については、いまだにアメリカはカナダの牛であると主張している。アメリカでは、牛の個体情報がほとんどないといって良いのである。

アメリカの乳牛はかなりの頭数が成長ホルモン(BST)の投与を受けています。BSTは毎日注射をしなければなりませんが、そんな面倒なことをしてまでするのは乳量が伸びるからです。そうした中で、ノンBST牛乳が、少し高い値段でも売られているのです。日本のギュウドン屋さんの対応にどこか似ている。

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そりゃ、人殺しだろパート3

2006-07-26 | 国際・政治

Hundreds_of_israeli_troops_moved_in_and_ 戦争は人殺しである。自らを安全な場所において為政者は、愛国心を鼓Smoke_billows_from_the_town_of_khiam_sou 舞する。ミサイルの先には、人がいる。その人を殺すために、ミサイルが発射される。なぜかしら、アメリカのメディアは現実的な映像を流す。イスラエルを支援するためであろうが、現実は大量のレバノン人が死亡している。国連軍にまで砲撃を加えなければならない理由がどこにあるのだろう。

A_man_held_a_photograph_of_the_hezbollah

喧嘩はどこにでもあることではある。行き詰まりがあるようだとそれTanks_mass_near_the_israeli_town_of_avivは強 者が退くことが最も解決につながる。イスラエルに殺され家を破壊された人々が、ヒズボラがいたからこんなことになったとは誰も思わない。イスラエルに対する、新たな反逆者を生産するだけである。Israel_finding_a_difficult_foe_in_hezbol Israeli_strike_kills_un_observers

戦争に大儀は必ずあるが、その大儀が人を救うことなどないのである。自らの利権以外のものは救うことなどないのである。

Smoke_rises_from_demolished_buildings_in_1

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そりゃ、農協失くすことになるだろ

2006-07-25 | 農協 食料自給率

Syari_1農業が、経済主導のこの国の中で邪魔者になって久しい。投資と販売実績を積み重ねれば、順調にどこまでも伸びる産業と、農業は肩を並べることができない。せいぜい、肥培管理を良くしても10%程度しか伸びない。しかも、そんなことは持続はしない。単年度で元の木阿弥になってしまう。それでいながら、農業は他の産業と異なりなくてはならない産業である。人は食べずに生きることができない。先進国の多くは、2、3次産業を育成する傍らでは、農業を賃金の安い国から輸入しようと試みるのである。中国を見るとそのことが良くわかる。国内の賃金格差としてそれが露呈している。経済発展から取り残された農業は、農薬をいっぱい使うのは当然の成り行きである。日本はこの国から、大量の野菜など農産物を輸入している。

後に小泉内閣に招聘される、竹中何とか大臣の言である。経済には不確実要素があるというのである。これが、経済をいっそう困難にしているとする主張である。その不確実要素とは、思い込みや感情や宗教などであり経済学が突き当たるところだというのである。これはまったくばかげた話で、本末転倒である。人を幸せにするのが、そうした感情の流れである。経済学とはそうしたことをおもねることのない、人を不幸にする学問といえる。

今農協が風前の灯になっている。農協自体が、金融などで組織の温存をしてきた経緯もあり、農協本来のあり方を問われることも必要ではあるが、農協の崩壊はこの国の農業と地域の存続を危うくすることになる

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そりゃ、BSEが見つかると困るからだろ

2006-07-23 | ゲノム編集

アメリカが、BSE(牛海綿状脳症:狂牛病)検査を縮小する、新たな縮小サーベイランス計画を発表した。サーベランスとは、BSE牛を摘発することだけではなく、発生原因の特定をもすることを意味している。それを縮小するのは、発生が少なくて検査の意味がPhoto_9ないということを受けてのことである。元々が、検査頭数が少ないだけでなく、検査された牛の半分以上が死亡牛から集められたものであり、標本採取協定で収集者に死因決定を義務付けていないために、牛の所有者を突き止めるのに必要な手段を持たない。これでは、サーベランスの意味がないばかりか、発生牛のデーターの信頼性がないことになる。こうした現実を背景にして、さらに検査を縮小するのである。

しかしながら、アメリカではチェリーヒルという町で、若年性のヤコブ病の発生がかなりの比率で発生していることを、フリーのルポライターが暴露しているが、これに関する報道はほとんどなくマスメディアは無視している。http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?sec=health&res=9E07EED81F31F93BA15750C0A9629C8B63報道関係者ですら無視するような、アメリカのBSE感覚には辟易する。

アメリカではBSE隠しに躍起になっている姿が見えてくる。怪しいと思われるような牛は、自家処理し、監査の対象にならないようにしている。事実も確認されている。早い話が、BSEが見つかると肉牛業者は困るからである。小うるさい日本向けの、ポーズ検査さえやっていればいいと思っている国の、牛肉を食べたいと思いますか?

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そりゃ、農業知らずだろ

2006-07-22 | 国際・政治

政府が規定する「土地非利用型農業」というものがある。つまり、養鶏業などは数十万羽Photo_8 ものニワトリを、工場のような閉塞した鶏舎で飼っている。ここには、鶏舎以外の土地などはなく、土地を使わなくてもできる農業として「非土地利用型」の農業と規定している。ところが、これはいかにもおかしな話である。ニワトリが食べている餌は、この地球上のどこかで作られたものである。日本にはないだけのことである。その多くの土地は、アメリカにあるのであるが、こうした畜産業は結局は家畜の排泄物、糞尿があまることになる。還元する土地がないのである。地球規模で見ると、このような家畜の糞尿は、輸出国に戻せばいいのである。穀物を輸入する船で、家畜の糞尿を輸出すればいいのである。そんなことは誰もしない。金にならないからである。

日本などの先進国の畜産はほとんどこうのような飼養形態になっている。輸入する穀物が安く、販売する国内の畜産価格が高いからである。これは、農業というものではなく「畜産加工業」と呼ぶに相応しいもである。このようなことが可能になるのは、円が高いかドルが安いかどちらか、あるいは双方の条件で成り立っている。10億の人間が飢える地球上で、金がある国は家畜に穀物を大量に与えるのである。わが国の、糞尿問題の本質はここにある。拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊参照http://www.creatorsworld.net/okai/

農業の本質は太陽のエネルギーを炭酸同化作用によって植物が取り込み、これを人間が戴いているのである。この基本は幾世代を経ても変わることはない。上手く取り込むなり、作物を選択したり改良したり、季節を選んだりとすることが農業の効率である。機械w入れて一気に大量の作物を作り労働効率を上げても、農業の効率が上がる保障はない。むしろその逆であることが多い。今、大規模化を政府は「担い手」という言葉で、政策的に選択しようとしている。農業は大きくしなければ、政策支援はやらないというのである。わが国は農業効率を犠牲にして、労働効率を追求するように農民に強要する。このままでは食料自給率があがることなどない。

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そりゃ、似て非なるものだろ

2006-07-18 | 出産・育児

わが国は少子化が深刻であるそうだ。出生率は1.29だそうで、2.07を切ると人口の減少が始まるとのことである。それに加えて、出産年齢も高くなり、少子化は人口減少を加速させている。私などは、女性の社会参加がこれに輪をかけているように見えるが、下手をするとこうした意見は時代遅れのセクハラ発言になりかねない。

0506033 酪農業は、ある意味分娩・出産率・受胎率と乳牛の入れ替え(更新率)との戦いのようなものである。簡単に言えば、早く数多く生んでくれると、効率が良くなるのである。いかに受胎させるかという繁殖こそが、酪農家の管理技術、腕の見せ所、酪農技術の基本といえる。かつては乳牛は一生に5~7回ほど分娩させたものである。

最近の、大規模で高泌乳を強いるような経営をする酪農家が増えているが、このようなところでは、平均2回分娩するような状況になってきた。高い生産性、乳量に加えて早く分娩させるために、長く生きれないのである。早い話が、2回も分娩するとボロボロになってしまうのである。牛が駄目になろうが、沢山の量を搾って出荷した方が儲かるからである。

人も乳牛も1、2回しか分娩しなくなったが、数字は似てはいるが、内容はまったく異なるものである。乳牛は弱くなって、人の女性は強くなった。・・・これもセクハラ発言になるか?

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そりゃ、人殺しだろうパート2

2006-07-17 | 国際・政治

Smoke_rises_from_demolished_buildings_in イスラエルとレバノンが戦争をしている。戦争とどうして表現しないのだろうか?宣戦布告をしていないし、イスラエルはハマスと戦っているからも知れないが、実態は戦争である。イスラエルは、建国以来周辺国家あるいは今回のような特定の集団との戦いを繰り返してきた。今回も、報道はなんとなくどちらも悪いような感じでされているが、イスラエルの死者は8名であるが、レバノンの死者は160名ほどである。過去の中東戦争の死者はイスラエル1名にたいして380名である。この戦いは、均等であろうか?

Israeli_artillery_fires_at_a_target_in_s イラク戦争でも同じことが言える。イラク人の死者10万人から20万人ほどと推察されているが、アメリカ人は1万人に届いてはいない。死者の数が戦争の本質を物語っている。戦争は人殺しに他ならないからである。アメリカの大統領はイラクのこともあり、イスラエルよりの発言をしている。

戦争はいかなる理由があろうとも、人殺し行為であることに変わりがない。人殺しを理念や信条にするのは人の道を外れる行為である。現在行われている、サミットも結局は利害関係から成り立っているに過ぎない。北朝鮮問題で利害を受けるのは、オブザーバーの中国だけであるから、非難決議は簡単にできたのである。

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そりゃ、人殺しだろう

2006-07-15 | 国際・政治

14cnd_mideast_milita 戦争は何故起きるのだろうか?様々な言い分があるかもしれない。国家や人権や利権が侵された、復讐や面子が犯された、あるいは宗教的理念があるかもしれない。しかしいずれの場合であっても戦争が「人殺し」であることにはなんら変わることがない。戦争の本質は人殺しである。人殺しを、国家理念や宗教観、あるいは経済的利害あるいはその他のいかなる理由からも容認されるべきではない。

北朝鮮が行っていることは単なる挑発である。しかし、中東で行われているイスラエルがレバノンを攻撃していることはまさしく戦争である。イスラエルは人殺しをやっている。国家の経済力が、日本の下のクラスの県レベルの北朝鮮に、戦闘能力などあるはずがない。最貧国の挑発に、国防論やナショナリズムを振りかざして戦争ができる国に変身する必要などない。戦争とは人殺しに他ならないからである。

農業は人を生かす産業である。農業を蔑ろにすることは、自立国家を放棄しいずれ戦争への道を歩むことになる。平和とは、戦争のない状態のことではない。戦争をなくすために武器を持つ権力者が必ず現れる。平和とは、何かの理念を理由に人を殺さないことであり、武器を持たないことである。憲法九条はそうした意味を持っている。「酪農九条の会」立ち上げています。

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そりゃ、偏向報道でないか

2006-07-14 | 国際・政治

人はどうしてこれほど身勝手で主観的なのだろうか?国内で事件が起きると大々的に報道され、いろんな視点から評論されるが、海外の出来事となると本当に無関心である。イスラエルがヨルダンを空爆するなんて、どう見ても不条理でしかない。空港の破壊や50人もの死者を出したことなど、異常とも思える大量の北朝鮮関係の報道に比べるといかにも小さい。本当に重要なことならば、国家間の壁など考えずに差別のない報道がされるべきではないか。

国家間のことならば理由がなくもないが、内容で差別を受けているのは容認できない。例えば、今年は大雨などの異常災害が多いが、農作物への被害や少量への影響などは、関心の対象になってないようである。いったんことが起きるまで、食料自給率の問題などは棚にあげらっれたままである。北朝鮮の貧困の象徴は食料不足に見られるが、あらゆる商品の中で、食料ほど重要なものはないと思ってはいるが、この国の報道者は無関心のようである。

核兵器の拡散を防止しようとはしているが、核兵器の廃絶は眼中にない。核兵器を現在所有するものの権力を保持しようをする思惑に反発する国家を悪人に仕立てる報道は偏向報道である。

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そりゃ、無能だろ

2006-07-13 | 国際・政治

政府高官が「敵国に攻撃する」などと、しかも防衛庁を預かる人間が発言した。このセイジカは、日本の憲法も知らなければ自衛隊が持つ軍事力の実体も知らないままの、単なる無知の発言である。感情的な反応は、右傾化する日本人、とりわけ安部官房長官を勢いづかせることになった。一般感覚では説明できないような国家の危機を背景に憲法改悪や、自衛軍の設立などがスケジュールに入ってくることも目前である気がする。

もっとも、国際政治は持論を述べるだけで成り立つものではない。こうした発言は、韓国や中国を北側に追いやる効果を生むことになる。北朝鮮を孤立化することが、最も重要なことであるはずである。靖国神社参拝を譲らない、一本気な持論しか通さない政権には無理なことかもしれない。

結果的には、日本より程度の低い国際世論、動向を読みきれない北朝鮮の強硬な姿勢が、日本を救うことになりそうである。自らが孤立の道を選択したのでる。国民を飢えさせながらも、持論を譲らない国家はいつ崩壊するのであろうか。

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そりゃ、物忘れの日本人だろ

2006-07-11 | 先住民族

今日この頃のこの国の最大の関心事は、北朝鮮問題である。ミサイル発射の国連安保理会でどうなるかとまるで蜂の巣をつついたように騒いでいる。北朝鮮問題の本質は、この隣の最貧国が、唯一の被爆国にとって核兵器を持つことが本来の問題である。拉致にしても、さらった国が悪いのは当然であるが、国民を守ることさえできなかった日本の貧相な思想がまず問題である。友人が「横田めぐみ」さん事件の事務局を立ち上げた頃は、日本政府はまったくの玄関払いであった。日本が国民を守ることさえできなかったことが最大の問題ではないのか。この国はどうやら過ぎたものはすぐに忘れるように心がけているかに見える。

少し前までは、隣の子どもを絞め殺した女が騒がれていたが、そういえば家の中から5人もの死体が出てきた事件や、家に火を放って親兄弟を殺したりした高校生や大学生はどはどうしたのか。あんなに騒いでいたのに、忘れてしまったのかもしれない。そのうち拉致問題も、そんなことがあったっけなんて時代が来そうである。

現に、牛肉問題などはすっかり忘れ去られている。「安けりゃ買うさ」(6月24日)で書いたように、BSE検査なんてどこ吹く風ということになる。この国の人たちは安い方を買うのに決まっている。安全なんて忘れてしまうさ。食料自給率や食の安全は誰かが騒いでいたり、問題が噴出したときにしか気にかけない情けない国家である。

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牛も人も無情な時代か?

2006-07-10 | 出産・育児

Naka 最近目に付くのが、子どもの家族に対する暴力である。親から注意されたり咎められて、親を刺したり家に火を放ったりと、一昔前なら考えられないような事件が相次いでいる。子どもが親の言うことを聞かないばかりか、親の命を奪うというのは信じられない。その逆もかなりある。親が、子どもを虐待したり殺してしまう事件である。

日本の法律は、古い言い方であるが「性善説」に基づいているような気がする。犯罪を犯した人たちには理由があり、犯罪は非情でも環境が良くなかったのだということである。つまり環境を改善すると犯罪者は立ち直るという考え方である。ところが、現在起きている親殺しなどは、誰もが羨むような立派な家庭であることが少なくない。むしろそうした家庭の方が事件が頻発しているかに見える。衣食足りて礼節を知らなくなる不思議な現象である。(拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊http://www.creatorsworld.net/okai/)衣食が足りると、もっと衣食が欲しいと言うこの社会は異常でないか?

酪農の世界でも似たようなことが起きている。昔なら分娩した子牛を取り上げようものなら、親牛は一晩中返してくれと”モーモー”鳴かれたものである。ところが、いつとはなく子牛への愛おしさがなくなってきた。ひどい牛など分娩している最中の餌を食っていたりもする。子牛を取り上げてもまったく見向きもしない母牛も珍しくもなくなってきた。親子の絆が淡白になってきたのは、乳牛たちの食が足りすぎるためだろうか??

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羅臼港

春誓い羅臼港