そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

2大政党が崩れるか、イギリス総選挙

2010-04-29 | 政治と金

100428 小沢が小選挙区制の導入に当たって、政策論議ができるとsて手本にしたのがアメリカとイギリスである。小選挙区で2大政党が争うと、政策論議が活発になるという論理だった。現実には、党の指導力ばかりが浮き立ち、党の意向に逆らえない議員ばかりになった。

その手本になった、イギリスの総選挙が様変わりしそうである。マルキシズムを依存する労働党とサッチャー以来新自由主義色を鮮明にする保守党しか選択することができなかったが、ここに来て自由民主党が台頭してきたのである。

80年代に自由党と社会民主党が合同して出来た、自由民主党であるがイデオロギー論争に与しない人たちが支援し始めたのである。現実には3大政党になりそうである。連立政権が視野に入り始めている。

ここに来て、労働党のブラウン首相が、支援者をこき下ろす発言がスイッチを切り忘れたテレビ100429 のモニターから、全国民に知れ渡ることになった。質問者の意見は極めて健全な内容であった。東からの移民の対策を何もやっていないというものだったが、ブラウンは馬鹿な女の質問だとか誰の差し金かとかを言ったのである。

投票日が後一週間に迫った時期の失態は致命的になるかもしれない。イギリスの政局は極めて流動的になってきた。自民党がキャスティングボードではなく、政権を握ることになるかもしれない。小選挙区制では、僅かなことが政局を逆転する。ほんの少しの違いが全体を大きく動かすのである。極めて不自然な選挙制度である。


嫌いだが小沢を擁護する

2010-04-28 | 政治と金

小沢一郎が、政治資金をめぐる疑惑で検察が不起訴したが、検察審会がこれを破棄し、起訴相当と判断した。小沢のような古い手法の政治家は消えてもらいたいものと思っている。他人の発言を聞かないし、陰からの力を信用する根回し型の政治家である。感情論も含め、小沢が嫌いである。

しかしながら今回の、くじ引きで決められる一般人の素人集団による検察審議会の決定にはど100125うも納得がいかない。起訴相当の内容は、16年10月に購入した土地代金の支払いがなされている報告が17年退出されているということである。それ以外にない。このことが不合理で不然な内容の全てである。

審査会は、国民感情として許せないとしている。事実、70%を超える人たちが、小沢一郎は民主党の幹事長を辞任するべきと答えている。何処の調査も大きくは変わらない。しかも今年に入ってずっと、変わらずに70%を超えて辞任の意見が多い。

検察審会は、さらには絶対権力者である小沢一郎とまで述べている。自らの政治資金団体で、小沢が絶対権力者であることは、当然のことである。要するに、感情論で起訴相当の結論を引き出したのである。法解釈に感情論を入れていいのか。

検察は、土地代金の支払いの記述遅れを贈賄に結び付けようと、かなり長い期間食いついていたが、これは立証できなかった。そもそも小沢には権限すらなかったのである。今回もこれには言い及んではいない。

報道は、小沢の不正と政治責任を煽っている。まるで絶対権力と記載されているのが、民主党内のことであるかのようでもある。市民感情という、審査会の表現も頻繁に用いて、小沢の悪役演出を彩っている。おかしな構図である。

小沢の手法は民主的ではないし、独断的である。剛腕があちこちに見受けられる。早く辞任してもらいたいと思っている。しかし、今回の審査会の起訴相当にはどうも納得がいかない。


最も大きな格差は国内にある

2010-04-27 | 公害

世界銀行の高官だった、ラリー・サマーという人物が次のような発言をしている。「工場が公害を起こして1人の人物を殺すとロサンジェルスでは年間3万ドルの被害が生じる。マニラだと300ドルで済む。したがって、公害を起こしそうな工場は低開発国に移すべきだ」と、発言している。

これは非人道的などと非難するより、新自由主義者のの発言としてじっくり考えさせられることである。事実こうした考えで多くの先進国は、危険な工場を低開発国に移してきた。賃金が安いことも当然前提になる。中国はそれを逆手にとって、世界の工場となって経済成長を成し遂げて55いるい。犠牲になるのは、中国国民である。

中国の発展は、インフラの不整備はもちろんのこと、賃金の据え置きと労働条件の悪さ、更には知的所有権などの無視などによって支えられてきた。国家としては、GDPを稼ぎ富裕層を生み出し、都市部のインフラ整備が進むことになった。こうして、地域間格差が生じてくるのであ る。

人間らしく生きるためには豊かさが必要である。必要条件ではないが十分条件ではある。ところが、経済学はこれを逆さまに考えるようになってしまた。豊かになると(金が入ると)、人々が人間らしくなると思っているのである。残念ながら、豊かなった人たち(国家でも同じ)は、もっと豊かになりたいと思うようになるのである。賃金の安い国家や地域や職種は、そのための手段でしかないのである。

日本国内でなら、原発のような危険なものは、賃金が安く産業がなく疲弊する地域に持ってくることになるのである。原発が安全なら輸送コストやロスを考えると、都会の作る方が断然有利である。地方はこうして、産業廃棄施設や危険産業や自衛隊や時にはアメリカ海兵隊まで、受け入れることになるのである。

地方の主たる産業である農業が、経済学者あるいは新自由主義者たちにとっては邪魔で不要な存在である限りこの傾向は治まらないであろう。内橋克人氏は、地域分散型の共生経済を打ってている。F(食料)E(エネルギー)C(ケアー)の頭文字をとって、FECを訴えている。

「始まっている未来』宇沢弘文、内橋克人著、岩波書店より


日米構造協議覚えていますか?

2010-04-26 | 政治と金

「日米構造協議」は、1989年パパブッシュの時に、日本の最も短命だった宇野首相に突き付けた、アメリカの貿易赤字を減らすために日本が犠牲になれという、極めて不条理な協議でした。アメリカの貿易赤字の原因は好調な日本経済にある。その勢いを削ぐと、アメリカは立ち直れるという論理で、様々な要求を日本に押し付けてきました。

その最も核になるのが、日本のGNPの10%を公共投資に回せというものでした。しかも、その投資が日本企業を活性化させてはならないという条件付きでした。日本は忠実にそれを実行し、10年間で430兆円を無駄な公共投資に使ったことになります。さらに追加要求で、1994年に200兆円を、生産性を上げることのない公共投資をやらされたことになります。

この数字は、奇妙にもそっくり今日の国家の負債額に一致しています。この630兆円は、財政節度を守るという名目で国はそのまま地方に使わせた。この時期、地方には奇妙な構造物がにょきにょと建つことになります。我々がどう見ても目的が解らないような施設が乱立するのです。

国は地方には地方債を発行させ、とりあえずお金を使わせます。その後、国は地方交付税を大幅に増やすことでこの埋め合わせをやってゆきます。ところが、ろくにその埋め合わせがなされないままに、小泉政権の時に大幅にこれを切ってしまいます。三位一体とかのうたい文句が、耳に残っています。

地方には、運営困難な施設が残り、第三セクターなどにこれを移しますが、元々利益の検証されてのものでないことが多く、ほとんどが赤字経営になってしまうのです。更に地方は、赤字債権が残ることになってしまいます。国に忠実であった自治体ほどツケが大きく残ります。その典型が夕張市です。

その他、土地税制の見直しや大型店舗の規制緩和やあるが、今日のシャッター街の出現はここに原因がある。更には、アメリカに忠実に答えようとした、小泉は極めて地方では公共性の高い、郵政まで民営化してしまったのである。金融制度の開放がうたい文句であったが、郵便事業が国債の多くを買いこんで日本の財政を支えていることなど全く考えていない。

「始まっている日本の未来」宇沢弘文、内橋克人著 岩波書店より


金融危機が起きた理由

2010-04-24 | 政治と金

リーマンブラザーズの破たんについては、思惑も含め多くの論議があるところである。昭和大恐慌に対するルーズベルトの政策は、ニューデール政策ばかりが目立つ、ルーズベルトの経済対策を教えられてきた。不況になると公共投資をして、景気を回復させるという魂胆である。田中角栄以来、好景気でも公共投資をするように日本はなってしまった。

ルーズベルトの、ニューデール政策は一見成功したかに見えるが、実はその後に起きた太平洋戦争の拡大がこの政策の評価を見えにくくしてしまったのである。戦争によってアメリカは、景気を回復したのである。戦争こそ最大の公共投資というわけである。

しかし、この前に行われた重要な法案がある。グラス・スティガール法の実行である。この法の主たる目的は、銀行業務と証券業務の分離である。何しろお金をたんまり持っている銀行が、株取引をやったのが、昭和大恐慌ということである。それに歯止めをかけたのが、グラス・スティガール法である。1933年のことである。

近年になって、証券の取引が複雑多岐になり、アメリカはグラス・スティガール法を1999年に撤廃したのである。少なくとも66年間は、銀行の我が侭を抑え込んできたのである。グラス・スティガール法の撤廃を受けてリーマンブラザーズのような、投資銀行の出現となったのである。要するの、マネーゲームだけをやるような銀行が出来て、実体経済とは無関係に巨額の富を得るようになったのである。

一昨年起きた、金融危機の本質はマネーゲームにある。それを許したのが、グラス・スティガール法の撤廃である。麻生太郎は、日本が真っ先に世界普及から脱出したと、大見えを切った。一時持ち直したのは、公金を大量にばら撒いたからであるが、この発言彼自身が金融危機の本質をつかんでいないことを証明しているにすぎない。実際、日本は最もこの危機からの回復が遅れている。自民党は、民主党の対策がなっていないと主張するし、民主党は自民党の尻拭いと主張する。

公共投資依存の経済実態を作り上げてきたことを、強く反省しなければならない。そのことは、へき地の産業や農業をみると良く解る。実体のない経済は、いずれ破たんするのである。公共投資による景気対策は、国家に無限の金がある事が前提である。国家も破綻する。

「始まっている未来」宇沢弘文、内橋克人著 岩波書店を参考にして


ついになくなるフロッピーディスク

2010-04-23 | 政治と金

コンピューターをに手を出して何年になるであろう。当初はワープロからは入って行ったのであるが、媒体には3.5インチのフロッピーディスクを用いていた。磁気テーFloppy_disk_90mm プを記憶媒体で使ってた時期もあるが、フロッピーディスクは面として受け入れるので、大容量が嬉しかった記憶がある。

そのフロッピーディスクがついに製造中止となる。国内最大手のソニーが来年3月で製造を中止する。今でも年配者には文章の配布には重宝している。ポイと簡単に渡せるので、いつしか手元には残り少なくなってしまった。役割は終わったと思うが、ちょっとしたことには便利に使えたりもする。

今でも、ディスクトップのハードのAはフロッピーディスクの指定席になっている。ほとんど使うことがないが、席だけは用意されている。初期のコンピューターのブートアップには、Aのフロッピーディスクが担っていたものである。

購入したコンピュータにソフトとを、入れなければならない。MD-DOSを10枚足らず。Windowsを入力するのに20数枚次々入れ、オフィスは30枚を超える量のフロッピーディスクを次々入れなければならない。5時間はかかったものである。CDが出た時には、こんな便利なものはないと感慨に浸ったものである。

そのフロッピーディスクがなくなるとなると、一抹の淋しさを感じてしまう。もう今のコンピューターを制御、記憶するにはあまりにも力量不足になってしまった。これも時代の流れかもしれない。

さらば”フロッピーディスク”くん。又会うこともほとんどないだろう。消えて行くのみ。


誰もが良いとはならない

2010-04-22 | 政治と金

高速道路料金を巡って政府が混乱している。今回も国民の声だと馬鹿し乗り込んだ小沢一郎の剛腕と、これを拒否した前原国交大臣との凌ぎあいとも見える。図式的にはとても面白い。

これは、民主党政権がマニフェストで高速道路を原則無料化を打ち出しておきながら、無料化で恩恵を被る人たちと、それでは困ると主張する人たちの双方に良い顔をしようとするからである。高速道路建設を推進したい人たちと、無料化を望む人たち双方の票を欲しいからではないか。

鳩山首相は、小沢幹事長が『国民の声だ』と乗り込んでこれをその通り受けてしまった。見直す方向に舵を切った。ところが、頭越しにやられた前原大臣はこれも猛反発した。鳩山に辞任を覚悟でこれを拒否した。鳩山首相はオロオロしながらも、前原大臣の言い分を呑んだ。鳩山があちらにもこちらにも、良い顔をしたからである。

政策決定の一元化を掲げていた民主党のはずであった。にも拘らず、小沢が暫定税率の実質復活をねじ込んだのを、今回も再現したかったのであろう。これは明らかに、政策決定の2元化と言えるものである。マニフェストに違反する、高速道路料金体系にクレームをつけるくらいなら、先のねじ込みは何だったのであろう。小沢はこの後、前原を非難する演説を行っている。

民主党はとても人の良い人物をトップに据えてしまった。この方は、友愛とか命を守る政治とか、実態を伴わない演説が得意なようで、政策決定でも同様の抽象論が主体になってしまう。前原が短期的な実験であるというのであるから、首相はこれを見守るか後押しするべきなのである。普天間問題も、高速道路料金も同じことである。

その一方で、かなり官僚に食い込むことになる事業仕分けが又始まる。こうした本質的な政府の動きとは無関係な雑事が膨らみ過ぎている。金の問題や基地の問題も同様である。こんなものは、政府の仕事の傍流でしかないはずである。あちこちへ笑顔を見せるから混乱が生じるのである。


口蹄疫が発生しました

2010-04-20 | 獣医師

宮崎県の黒牛の繁殖農家で、口蹄疫が発生した。口蹄疫は偶蹄目(蹄が二つある動物)に発生する、ウイルスによる病気である。極めて伝染性が高く空気感染が起きるとされている。口の周りと蹄の周りに水泡が出来る病気である。これ単独感染ではそれほど重大な病気ではない。

かつては、列車と同じスピードで伝搬するとまで言われていた。最近は多くの変種が見つかっていて、それほどの伝搬力はないがそれでも恐ろしい感染力ではある。兎に角家畜の伝染病で最も厄介な病気である。対策が遅れると一気に広がってしまう。

今回の発生は、10年前の発生に酷似している。今年になって、韓国で口蹄疫の発生が確認されている。今年の3月に鹿の口蹄疫発声している。その直後の発生である。そのときも宮崎であった。この2つのことは10年前と同じである。何かあるのだろうか?

前回はその後に周辺で発生が見られて、その後北海道に飛び火した。今回もそうならないよう願いたいものである。前回は、どうやら輸入した稲藁が持ち込んだのではないかと思われている。確認はされていないが、推定である。

何でもかんでも安ければどんな国にでも出かけて、買って来るというシステムは見直すべきである。これは人の食い物も同じである。

農水省の対応は今のところ迅速である。大臣を貸先本部長に据え、半径10キロほどの移動禁止が敷かれることになる。人への感染は確認されいないが、類似の病気はある。

それにしても10年前の初回発生と構図が似ているのが気になって仕方ない。


鳩山由紀夫がやるべきだったこと

2010-04-19 | マスコミ報道

鳩山内閣支持率がついに30%を割った。朝日新聞では25%の数字が見られるが、各局それほどの差異がない。実行力に疑問を持っていることが大きな理由であり、さらには理念が見えない(期待はずれ)などが続く。

鳩山首相の実行力のなさ、判断力の欠如は普天間問題に典型的に表れている。自民党政権時代は、トップに躍り出るまで必ず党務の調整などの、いわば雑巾がけをさせられる時期がある。鳩山由紀夫にはそうした時期がない。自民党を飛び出した野党時代の、党の内部的な付け合わせほどの経験しかなかろう。

普天間問題を例にとるならば、真っ先に理念なり公約(マニフェスト)を打ち出すべきだったのである。前原国交大臣のように、ダムを止めますと打ち出すべきだったのである。普天間であれば、少なくとも県外移転をトップの鳩山が打ち出すべきだったのである。そのことが政治理念であり、その後の交渉や落とし所を探すことが実行力なのである。自民悪政の尻拭いだと責任転嫁してもかまわなかった。

その後に、アメリカと交渉すべきだったのである。政権交代とはこういうものだと、示すところから始まり、それではできないことをその後に交渉することになるのが手順でPlc1004182057011p1ある。

”友愛“も結構であるが、それでは泥をかぶるものがない。政治の世界は、誰もが仲良く過ごす善人だけが暮らす世界ではない。国民の友愛の精神を持ち込みたければ、自らが泥もかぶらなければならない。手法においても、騙しもなければならないだろうし、とぼけることも必要なのである。

そんなもたつきで時間ばかりが経過して、アメリカのメディアには最も失敗した首脳とまで揶揄され、いまだに”腹案”とやらすらテーブルに乗せられない。誰もが嫌がる施設である。札束で黙らせる手法で、手練手管でそれらを乗り越えてきた自民党である。政治資金すら集めることもしなくて良かった、とても両家の坊ちゃまである。

政治手法もなく”友愛”や“人の命を守る政治”は政治理念とは言えるほどの、手あかのついたものではない。普天間が命取りになるであろう。毎年首相が変わる国家になる日本に、憐れみすら感じる。


イスラエルは特別待遇か?

2010-04-16 | 政治と金

アメリカのオバマ大統領が核廃絶に向けて開催した、核セキュリティーサミットが終わった。世界の核兵器の95%を所有する、米ロが削減に向けて動き調印した。その直後の開催である。核廃絶に向けての動きは、大いに歓迎されなるべきである。例えそれが僅かな動きでも、核廃Photo 絶への動きは評価しなければならない。

ところがここに、アメリカが恣意的に抜いている国家がある。イスラエルである。イスラエルは、多くの国が核保有国に分類している。イスラエルは、あるともないとも言わないとするのがこれまでの態度である。添付の絵は、中東の新聞から失敬したものであるが、どの国もイスラエルの核の存在を信じている。

イラクのフセインがオシラクに核施設を作り始めたことがある。フランスの技術提供である。平和利用という名目であったが、イスラエルはこれを空爆して徹底的に破壊した。その事は2年前のこのブログで述べたことがある。http://okaiken.blog.ocn.ne.jp/060607/cat7240955/index.html

この空爆作戦に使われたのが、アメリカから購入したばかりの(提供された?)ファントムF16である。国連の非難からレーガンはイスラエルを擁護した。1981年のことである。

今回の核サミットは、アメリカが核テロに怯え始めた初めての行動である。そう見ると、アメリカの核拡散防止は自国にの側につくものにとっては、核拡散は容認すると言うことなのである。核テロとは、核兵器の入手、濃縮ウランやプルトニュウムの入手(装置の製造)、放射性物質の入手(汚い爆弾)、核施設の攻撃の4つのケースが考えられる。

いずれも恐怖の無差別殺戮が起きる、恐ろしいテロ行為である。イスラエルはこれらのあらゆるケースからフリーで良いと、オバマにお墨付きをもらったことになる。周辺が敵国ばかりのイスラエルに取って、核兵器ほど魅力的な武器はない。国家は時としてテロ行為まで働くことがある。とりわけイスラエルは、そうした行為の選択が現実的である。

核サミットは、アメリカと中国が表舞台に登場するセレモニーのような様相を呈し、イスラエルには不問のままで行くことを決めたのである。更には、インドの核開発は平和目的と、お墨付きを与えている。アメリカは、ノーベル平和賞をもらったオバマになっても、ブッシュが行ってきた基本的なことはないも変えずに今日至っている。外交や軍事に関しては、何もチェンジしていないのである。


井上ひさしさんに教えられたこと

2010-04-15 | 政治と金

井上ひさしさんが亡くなられた。北海道新聞では追悼の文章が、芸能欄に掲載された。文芸欄ではなく、芸能欄に井上さんの追悼文が載ったことが何か象徴的でもある。

Photo 井上さんは、極めて筆の遅い作家として知られている。井上さんは小説家であり脚本家であり舞台作家でもあった。何度も志望大学から拒否されて、思うような大学生活でもなかった。苦学生でありながら、女遊びに没頭するなど、決して順調な道を歩んでこられた人ではない。悲惨な幼少期を過ごすなど、生い立ちも家庭内暴力と貧困で相当惨めであったようである。

井上さんの書かれた文章にはそうした暗さはない。「難しいことは易しく、易しいことは深く、深く掘り下げたことは愉快に明るく・・・」だったかの文章を残している。

井上さんの活動に二つ共感している。一つは九条の会の呼びかけ人であったことである。井上さんよりも高齢者の方は沢山おられるけれで、その人たちより先に逝ってしまった。平和の大切さを、軍国教育を受けた世代として強力に発信してこられた。平和憲法を平易に、だれもが読めるように説明された。

あんな時代に戻りたいのかと、庶民の目線で戦争体験や憲法を説く。難しい局面になればなるほど易しい言葉で説得します。自分の立場に戻って考えましょうとか、だれもが戦争をしたくないと多くの条約をしてきましたがそれらを引き合いに出して、平和の大切さや九条の持つ意味を、遅筆そのものの語り口調で説得します。

井上さんにもう一つ共感するのが、お米の問題です。米所の山形に生まれた井上さんは、お米の持つ意味を文化的に、歴史的に、自然環境的に、栄養学的に説明します。豊葦原瑞穂の国と日本がなったのは、この国の風土にお米がぴったり合ったからです。そして、お米を作ることによって、ムラやが成り立ち、日本文化が培われてきたのです。日本人の勤勉さや、お互いを支え合う文化はお米の作り上げたものだと井上さんは説明します。

つまり、平和であることと、食糧の自給は全く同じことなのだと、井上さんに教えられました。訥々と話す井上さんが亡くなられたことが残念でなりません。井上さんの冥福をお祈りいたします。


核セキュリティーサミット前夜、巧みな中国

2010-04-14 | 政治と金

自らの政治信条をかけてオバマ大統領が呼びかけた核サミット。この場を巧みに利用しているのが中国である。胡首相は欠席を匂わせながら、ギリギリになって参加を決めた。今や世界をPhoto 動かす2大体国となったアメリカと中国であるが、懸案事項も少なくはない。中国は、オバマの顔を立てる代償に、人民元の切り下げをしないことをオバマから引き出した。

中国は、核サミットで欧米から一定の距離を置くことで、自らの存在を誇示しようとしている。核拡散を懸念の態度を打ち出す一方で、イランの経済制裁には乗らないことで、欧米のダブルスタンダードを間接的に批判する。イランや北朝鮮への核開発の態度と、インドやイスラエルに対しては一定の理解を示すことに難色を示しているのである。

中国は途上国の不満の受け皿になろうとしているのである。核の圧倒的大国米ロが、核削減をすることで、相対的に中国の核の位置が浮上する。中国はこうした複数の得策をこの会議に見出し、見事それを演出し成果を上げたのである。

その一方で惨めなのが、日本の鳩山首相である。公式な会談すら持たせてもらうことが出来ず、夕食を隣にしてもらうことで、ちょいと話が出来た?らしいという、体たらくである。この会議では、唯一の被爆国としての存在を誇示できたはずである。核管理や処理についても、技術的な提案や協力を世界に示すこともできたはずである。

ところが、鳩山の頭の中は普天間一色であった。オバマはどのような反応をしたかも、表明すら出来ない。アメリカ側もこのことについては、何のコメントも発表すらなかった。

日本の凋落は経済的な位置の喪失だけではない。この4年間で毎年9月になると、おボッチャマの首相が次々と登場する体たらくである。宰相には中長期的な視点もなく、ひたすら世論調査を気にしながら、党内の抗争と足の引っ張り合いに終始しているのである。

今回のような、世界的な転換点になるであろう会議に、ちゃちな外国軍基地問題にオロオロするばかりの惨めな首相の姿を見た。堂々とした隣国の指導者を見ていただきたいものである。


新しい感性に打たれる

2010-04-13 | 政治と金

今年の第15回中原中也賞を受賞した、札幌の高校生がいる。文月悠光と言う女性であるが受賞時は高校生であった。受賞作である「適切な世界の適切らざる私」という詩集を購入した。彼女の北海道新聞の記事が、詩には欠かせない感性に溢れていたからである。

一言で表現するには、なんと瑞々しい感覚で書かれた文章であるかと思える危うさに満ちている。整然と並ぶ活字ほど、表現能力には言葉が足らずで勢いが目立つ場面もあり、勇み足と思える形で見ることができる。然し、それらを埋めて余りある鮮度が読者を引き留める。

学校や家庭の出来事には、周辺への気遣う言い回しもあるが、長らく学校生活を離れる身にとっては、それも違和感と言うより懐かしさとして受け入れておこう。十代の置かれた位置で確実にそれを表現する。その試みが懐かしくもあり、淡い彩りとして息苦しくもある。

幼いという病は、彼女の成長とためらいがもたらした表現でしょうか。それとも、大人への当てつけなのだろうか。言葉という彼を一生追いかけたいと彼女は言う。

初めてのこの詩集を、助走と表現する論者もいる。何よりも彼女自身が感性に追いつけない言葉に、もどかしさを感じていることであろう。そうであれば、これから先、恋をし、それを失い、都会の生活を体験し、他人の表現を学び、さらに広がる世界体験し、変身する彼女を楽しみにしたいものである。

適切な世界の適切ならざる私


米国産牛肉の輸入制限は当然である

2010-04-12 | ゲノム編集

アメリカのオバマ大統領が、今年始めに牛肉の大幅な輸出方針を打ち出した。それを受けて、ビルザック米国農務長官が来日した。8日に農業通でない赤松大臣にお願いに来た。政権も変わり、少し腰が低くなったようである。従来の20カ月以下の制限要求を、30カ月とトーンダウンPhoto してきた。赤松大臣は拒否した。

アメリカで03年12月にBSEが確認されて輸入中断され、05年に条件付きで輸入が緩和されてきた。しかしながら、この5年間で13回もの危険部位の混入があった。この事実1つだけでも、いかににアメリカに対応能力がないかが分かる。多くのメディアは不誠実な対応と表現するが、現実にはアメリカのと場や、精肉処理場ではこのような細かいことには対応できないのである。

アメリカの精肉生産の杜撰な実体は、極めて安価なと場従業員を雇用していることからも分かるように、民間経営であるからやむを得ない面がある。アメリカ国民は、主食とも言える牛肉は安価であることが第一条件なのである。畜産業者ですら、BSEの発生実態を知らないし、興味 すら持ってはいない。

日本の牛には全てに耳標が取り付けられている。個体管理は即座に分かるようになっているPhoto_2。経歴を追跡できる、トレイサビリティーと呼ばれるシステムである。ヨーロッパのオランダなどではある程度の、個体管理がなされているものの、アメリカでは皆無である。年齢を大きさや肉質や歯の様子で類推するのがせいぜいである。

BSEの発生頻度は交通事故以下であるとの、不見識な発言が時折なされる。これは待ったこことなる実状を比較する無意味なことである。交通事故や飛行機事故は、発生するとその原因が特定できる。よほどのことがない限り原因の究明は可能なのである。BSEは未だにその原因が究明されていない。科学的な原因なども分かってはいない。そのための検査であり、個体識別の導入であった筈である。事故の確率を論議するのは、興味恩威の実情を知らない風評に類することである。

米国産牛肉は、豪州産に取って代わられている。そのオーストラリアは、トレイサビリティーの導入に向けて動き出してきている。当分アメリカの牛乳は漫然とは日本に入ってこないことだろう。


たそがれ日本たちあがれるか?

2010-04-11 | 政治と金

平均年齢70才になる議員どもが、本当に新たらしい党を作ってしまった。若者が不甲斐ないというのは判らなくもないが、そもそも思想信条が基本的に異なる老体の集まりである。極めつけPhotoは、最後の5人目として参加した、中川義夫氏である。高齢を理由に自民党からの出馬ができなくなった、余命3カ月ほどの議員である。それとも本人はここから出馬するのだろうか?

新自由主義者でもあり積極経済の与謝野氏は、郵政民営化を推進した人物であり、これを理由に自民党を離党した平沼氏とは根本思想が異なる。政党を渡り歩く園田氏は、お友達ということで顔を貸した程度であろう。Photo_2

応援団を自称する石原都知事以上に平沼氏は、皇国史観を標榜する国粋主義者である。こう して彼等のた”そがれ旧党”は、憲法改正と消費税導入を掲げる訳のかからない、奇妙な老人集団になってしまった。

反民主、非自民と与謝野が言うが、自民党とは選挙協力をするようでもある。参議院選挙のために数を急遽集めたたそがれ旧党には、イタチの最後っぺ程度の威力は残っているだろうか。みんなの党が以外と検討しているので、第三局よりもキャスティングボードをとれる存在であればいいと見込んでいるのであろうか。いずれにしても将来の姿の見えない、変なたそがれ政党であることだけは間違いない。

彼等の分派行動で、自民党の浮上することはこれから先全くなくなったと見て良いだろう。政権をなくし、与党経験しかなかった政党にはこうした分裂が相応しい。


羅臼港

春誓い羅臼港