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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

やまゆり園の悲劇が教訓化されない国

2022-07-26 | 福祉社会

相模原市の知的障害者施設、津久井やまゆり園で19人が殺害された事件から今日で6年となる。
この事件は、現在の日本が抱える大きな問題を象徴的に顕在化した事件といえる。次の二つに絞って考えてみたいと思う。
〇植松聖の価値観
犯人の植松聖は、意思疎通の出来ない人間は存在意義がないとすつ、確信犯であった。やまゆり園の職員であり、内情に精通していた植松は、実行直前に衆議院議長に手紙を送り事件後の自らが称賛されると確信していた。
障がい者施設に係わる費用を軽減することで、国は自分の行為を高く評価し、犯罪者として捕まっても、新たな氏名と仕事身分をいただき安穏と暮らすことになる。と、嘯いていた。
優性思想を背景に、主に知的障碍者には人格がないとする考え方で、多くの特権階級の人物や権力者が社会的に不要な存在と位置付けている。
先日亡くなった石原慎太郎は裕福な家庭に育ち、文才を磨き社会の明るく高いところを歩き続けた人物である。東京知事時代に障がい者施設を訪れ、「ああいった人間に人格なんかあるんかねぇ」と呟いた。事件後石原は、植松の犯行に理解を示している。
人種や民族や国家として差別する思想は、自分たちは彼らを見下ろす位置に置き、差別をする考えは消えることがない。むしろ増えているかに見える。
植松は事件後、国民は私を賛同することになると述べている。
我々はこうした障がい者たちを、社会的に不要なものと僅かでも思っていないかである。汚い言葉で人を罵り非難することは根底にもそうした考えを伺うことができる。辺見庸の”ぐぐもった犯意”は多少とも万人が抱いている。こうした優性思想への検証がほとんどされていない。

〇警備を万全にすればいいのか
次に驚かされたことは、警備の問題である。警備が万全なら事件は起こらなかったというのである。
フェンスを高く強固にして、錠前を頑強なもの変え監視カメラの数を増やす必要があるというのである。この事件を警備の問題としてしてしまおうというのである。
こうした発想は隔離思想であるが、多少とも植松の抱く考えに近づいていないか。これは国家も同類のことを国民に訴える。軍事力の増強すればざれも攻めてこなかうなるとか、相手国が怯むというのである。
共生の考え方、平和思想が次々と壊されてゆく。
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年金を下げたのは、先の見通しすらできない安倍晋三である

2022-07-02 | 福祉社会

安倍晋三は一次内閣で、消えた年金最後の1人まで支払うと嘘ついたトラウマが残っているのであるか。
物価下落時(2000~2002年)に「高齢者の生活に配慮する」と、年金を据え置いたことで、受給額が本来の年金額より高くなってしまった。
安倍晋三はこれを、「もらいすぎ年金」と批判キャンペーンを展開し、2013年から3年間で2.5%減らした。それが終わると、2015年にはマクロ経済スライドを初めて発動した。2016年には「年金減額法」を成立させ、物価が上がっても賃金が下がれば年金を減らす新たな年金減額の仕組みをつくりあげた。
安倍年金改革では、キャリーオーバーという仕組みを導入し、物価上昇率がマクロ経済スライドの0.9%より低かったり、物価が下がってスライド(減額)が発動できない場合、マイナス分を翌年以降に繰り越して、次に物価が上昇したときに一気に適用して年金を目減りさせる仕組みを作り上げた。これで物価上昇と賃上げが同時に起きた場合も、年金アップはしなくて済むようにした。
キャリーオーバー分を合わせると、来年度のマクロ経済スライドは1.2%マイナスになる見込みとのことである。物価上昇率と賃上げがそれ以上の水準にならなければ、物価が上がっても年金は全く増えない仕組みである。8年間の政権在任中に、6.5%も下げたのである。
年金を積み立て方式から賦課方式にしたのは、バブル期に数億もの施設を日本中に建てて資金が枯渇したからだ。その責任を、団塊の世代が高齢化した現在ツケを追っているともいえる。年金の破綻はいまや明らかである。
麻生太郎は正直に、「老後は年金の他に2000万円が必要」と言い出した。
安倍晋三は、「マクロ経済スライドも発動されましたから、いわば『100年安心』ということはですね、確保された。」と、官僚文書を読み上げた。
この春から年金はかってないほど減額された。国、民の給与を上げることも出来なかったしGDPもしっかり下げたから年金も下げるちうのである。これは安倍晋三や麻生太郎のように年金不要の富裕層が作り上げた、高齢者は早くされというシグナルである
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教育政策を重んじると校舎を立派にし教育私財をドンドン増やし周辺産業が儲かる日本

2019-09-21 | 福祉社会

これまで私は教育というものに本ブログで全く触れてこなかった。それは何といっても、自分自身が高度教育体制の中での落ちこぼれであったからである。高校の同級生たちはどんどん出世する一方で、自分は日本の最へき地の根釧原野で、乳牛の診療に取り組む、いわばドロップアウトの負い目の身であったからである。
フィンランドの教育が素晴らしい。デビー・ムーアのこの動画を見て教育とは何かを、大いに考えさせられた。
フィンランドでは、〇宿題がない。あっても最大10分程度で済ませる。〇選択式のテストがない。自分で考えて、正確に書く。〇統一テストがない。テストは点を取る訓練でしかなく、これは教育ではない。〇生徒が自分の脳の活性化する方法を考える。子供でいられる期間は短いのである。〇裕福になっても、他人を認めないようになってはならない。〇子供たちに希望を与える。〇日本では試験科目にない音楽や芸術なども、同じように教える等々である。
ざっとこんなところであるが、羨ましい限りといえる。現在の日本の教育者の頭では、こんなことすれば学力が一気に低下すると不安になることだろう。ところが現実は上のグラフのようである。半世紀前まではアメリカと同レベルだった学力は、一気に高まって世界一となっている。
日本はフィンランドの教育の現実から、多くのことを学ばなければならない。教育は学力を求めるものではないが、このような教育こそが結果的に学力を高めることになる。

日本では教育政策に力を入れるとなれば、巨大な学舎を建築し多種多様な教育資材しかも先端技術を導入したものが大量に用意される。児童のことなど考えていない。要するに教育の周辺産業が儲かるようになっているのである。
農業も同じである。現在酪農の現場では巨大な先端技術を駆使した、極めて高価な機械が導入される。農家の懐が潤うのではなく、周辺産業が儲かるばかりである。
防衛も同じである。「安全保障」という響きのいい言葉を使って、巨大な兵器を大量に購入する。何の役にも立たないことがはっきりしている、ミサイル防衛システムを導入する。その前にすることがある。
そうした日本は、先進国の中で教育にかける予算が最低となっている。大学の数だけは少子化の国をあざ笑うがごとく見事に乱立している。学校には金を出すからである。その一方で国立大学の研究予算を見事に減らしている。
日本の将来に暗澹たるものを感じざるを得ない。フィンランドの教育体制を見てつくづく思う。
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忘れたころを見計らって出された公的年金の財政検証

2019-08-28 | 福祉社会

厚生労働省は、5年に一度の公的年金の財政検証結果の一部を恒例に従い公表したが、選挙に不利になるにようになると、麻生財務大臣は受け取りを拒否した。年金が足らないので2000万円貯蓄がなければならないという内容に、麻生太郎は前例のない報告を受け取らないという行動に出たが、多くの国民は実感として持っていた内容ではあった。
多くの国民が選挙も終わり忘れてくれた昨日(27日)財政検証の結果を公表した。今すぐには解散もなかろうと受け取った。
ざっくり言って、年金を賦課方式にバブルを背景に変えたことが背景に色濃く出ていて、経済成長すれば制度は維持されるというものである。年金だけでは足らないから2000万円金貯めとけと市場への投資を控えさせて、経済成長が必須という矛盾が露わになったといえる。

少子高齢化を受け、標準的なケースで約30年後にモデル世帯の年金の実質的な価値は現在の65歳と比べ2割近く目減りする。基礎年金部分(国民年金)は3割減少する。それも、経済成長が順調であればという前提である。
所得代替え率(現役時代の収入に比較した率)で見ると、経済成長が0.4%以上であっても、現在の61.7%に対して50.8%しかない。28%も減少する。基礎年金部分の下がりを食わえれば、30%以上目減りすることになる。政府は所得代替え率50%維持を掲げているので、経済成長率が0.4%以上なければならないことになる。
しかしこれはどう見ても粉飾の域を出ていない。厚労省の自画自賛、絵に描いた餅である。雇用が順調でなければならないし、その雇用関係も厚生年金加入者でなければならないし、人口減少を雇用延長と負担増でまかない切らない現実がある。
しかも国民年金にしか加入していない人たちは、少額である上に減額率が大きい。低所得者に厳しい消費税同様の、年金の逆進性がここでも起きている。
しかも、これらは悪くても0%という経済成長が前提にある。マクロ経済スライドは国民を守ることはないが、制度はしっかり守るシステムである。厚労省は制度の破たんを口に出せないが、2000万円以上備蓄しておけというのが、本音である。ただし現在40歳以上という前提である。それ以下の人達はもっと自己責任でため込んでおけという、年金制度である。
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年金を政争の具にするべきである

2019-06-27 | 福祉社会

衆議院で野党が提出した安倍晋三の内閣不信任案に対して、無恥を国会で何度も曝け出していた三原じゅん子が、「年金を政争の具にしてはならない」と、ヒステリックに叫んでいた。そういえばウルトラ右翼の稲田朋美も、「国民の生活」など政治の考えることでないと発言していた。国民に人権などあるのがおかしいと叫んでいた男は、今回の参議院改選議員である。結局単色化した自民党の中では、行為した感覚が底流にある。
三原じゅん子の演説は、恥を知れとか、安倍首相に感謝しろとか汚い言葉でののしり、年金を政争の具にするなというものである。賃金が上がった雇用が増えたというのであるが、実質賃金は減少し、増えた雇用の70%は非正規雇用である。雇用の実態を覆い隠したフェイク情報で非難する。
この女はきっと次回組閣の時には立派なポストをもらうことになるのだろう。安倍政権はこうしたことで支えられている。
日本の政治が貧層になった。与党議員は人事権を持つ党首に媚びへつらう。年金を政争の具にされては困るのが与党である。

年金は高齢者の命綱である。年金の健全化は政治的命題でなければならない。政権は党派を超えて、年金を真剣に検討するべきなのなのであるが、政権のトップは年金には全く興味がない。79才の財務大臣は受け取っていないと発言している。多くの高齢国会議員は同じようなものであろう。彼らには庶民感覚がない。
年金を問題にするなということこそが問題であろが、年金を政争にしないでなんとする。年金問題を政争の具にするべきである。
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「与死」という優生思想の国家、国民を遺棄し差別する

2019-01-22 | 福祉社会

辺見庸は自らを作家と名乗る哲学者である。相模原障害者施設殺傷事件をモチーフにした小説「月」を上梓し講演をした。
与死とは、「一定の判断基準を満たした者に、社会規律として死を与える」というものである。
与死とは国家が法律を通じて国民を死を与える。国家が死を与えられた国民は犯罪者である。世に不要な生命は国家が廃棄する。世の役に立たない人は不要である。優生社会と辺見はこれを断じる。
この考え方を個人レベルで成し遂げようとしたのが、神奈川県のやまゆり学園の事件の犯人であるという。実行者は、重障がい者を重点的に殺害している。殺害行為の正当性を主張している。障がい者は社会に不要であるばかりか負担となっている。国に代わって不要な人間を廃棄する自分は、国家から称賛されると信じていた。
元職員の犯人を精神鑑定して罪の存在を霧散させたり、警備の問題に封じ込めるのは問題の存在を転嫁し隠匿する結果になる。犯人は確信犯であである。塀を高くしたり鍵の機能を高めたりすることは、結果的に障がい者の隔離になる。昭和に戻ってしまう。

音楽家の坂本龍一が沖縄・琉球はいまだに遺棄される。アイヌと同様に琉球人をも日本は差別してきた。それは近代に入って継続的に続ていることであって、その象徴が辺野古であるという。坂本氏の発言で心を打ったのは、「人類が発明した最も愚かなもの、それは”国家”である」という。国家は民を抑圧し
国家は理念の間に立ちはだかり、国民に愛国心を喚起する。戦争や人殺しは絶対悪である。その理念の前に愛国心を広げ、国民に銃を持たせる。
安倍晋三が政権を執ってから、日本から理念が消え知性が影を潜めた。国家の意思は強く国民に一層押し付けられ、ただひたすら軍事国家へと走り抜ける。
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働き方改革の前にすることがたくさんあるはず

2017-02-16 | 福祉社会
電通の入社9が月の新人女性社員が自殺した。長時間の時間外労働が彼女を圧迫したのであろうが、果たしてそれは時間だけのことか際めて疑わしい。一昨日の本ブログの記事を見てもらえばわかるが、酪農家の労働時間はそんなものではない。
この記事を拝借すると、一般的な酪農家は2.4人で年間8078時間働いている。一人当たり3365時間働いている。一日10時間ほど働いていることになる。しかも休日はない。基本的に酪農家に土日も祝日もない。それが嫌で辞めた酪農家もあるが、酪農に喜びを持つ人たちも少なくはない。
自ら命を絶った電通の新人女性社員は、自分で解決できないことが多くあったり大変だったろうが、酪農家ほどの労働時間があったとは思えない。では何が違うのかというと、労働の質でないかと思われる。働いたことが目に前に結果としてあらわれ、それを喜びとして確認できないからである。酪農家は、良い草が獲れたり、期待の子牛が生まれたりと、労働の結果を目のあたりにすることができる職業である。勿論その逆もあり、酪農家は落ち込んだりもする。経営も自らの責任結果としてみることもできる。
翻って、電通の子の無機質な事務所でコンピューターに向かっての作業からは、そうした結果を見ることができないし喜びもない。労働の質の濃淡や喜びや悲しみが実感できないのではないか。しかも上司に命令されて、自らの意思と異なる作業も数多くあったであろう。
この労災認定された女性の事故から私自身を振り返っても見た。最も忙しかった時には、獣医師を15名ほど抱える診療所であったが、病人が出たりしていたのでとても忙しかった。時間外が毎月100時間はあった。みなし時間として計算されているが、実労働時間も変わらない。それが半年も続いた。私は当時所長であったから更に上乗せする作業や実務があったが、多忙であったが労働荷重とは思わなかった。診療に行けば、病牛がいるので治療すると、酪農家は笑顔で応えてくれる。病牛が治ればさらに喜びがある。勿論その逆もある。他の獣医師もそれほど変わらなかった。私たちの仕事の結果は、目も前に確認することができるのである。
大動物の診療は往診しかなく、待つ酪農家も獣医師も結構な時間がかかる。それでも音を上げるようなことがなかったのは、好きな仕事だったこともあるし労働の質もある。組合とは36協定を結んでいて、時間外の対価は支払われてはいた。
働き方改革は重要なことではあるが、現行の労働三法を遵守していっれば何ら問題がない。労働組合すら結成できない、非正規雇用者を山のように生み出す制度を作った政権の責任である。組合にも加入できない、労働者の権利すら持つことができないようにした政府の、小泉・竹中改革こそ問題なのである。
その結果起きた格差を雇用制度に手を付けず進めようとする働き方改革は、日の当たる人たちだけを対象にした改革でしかない。
そしてそれ以前に、特に若者たちが自らの仕事の質を真剣に追及することはさらに重要なことなのである。
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所詮は金持ち対策でしかないマイナス金利政策

2016-01-30 | 福祉社会
日本銀行は昨日(29日)の金融政策決定会合で、金融機関が日銀に任意で預けるお金に付ける利子をマイナスにする「マイナス金利政策」、マイナス0.1%の導入を黒田総裁が発表した。金を預ければ金利を預金者が払うことになる。ということには一般庶民はならないということであるが、金融緩和策の終点がゼロであったはずであるが、マイナスは奇策といえる。
早速市場が反応して株価が上がったそうである。週明けにはさらにこの傾向が強くなると思われる。マイナス金利政策で投資家が儲けるが、結局金融政策とは金満家をより一層裕福にするだけである。
石油価格が下がったのでインフレが抑制されたというような発想は、これを歓迎する庶民の生活とはかけ離れたところでしか経済対策が行われていないことを意味している。資本主義社会での経済対策は、一般庶民・労働者はおこぼれを待っているだけの存在でしかない。国内消費がGDPの6割を占めるこの国では、労働者の賃金を上げることが真の意味での経済対策になる。ところが、賃金対策としては現政権が行っているように、経済団体のドンたちを集めたところで、「賃金上げてください」と懇願するしかないのである。それとて国民向けのポーズでしかない。経済対策としての賃金の上昇などは存在しないのである。
市場にさらに大量の金を流すことを促すこのマイナス金利政策は、アベノミクスの第一の矢がいまだに効果を上げていないことを認めているのである。もうすでに2%のインフレが起きていなければならないが、マイナス金利政策は、政権側の焦りである。甘利が辞任挨拶の席で、アベノミクスを取り組んだ成果を誇っていたが、成功しているのは金満家を潤す、第一の矢の金融対策だけである。実質経済は悪化の一途である。
そもそも、デフレの原因は賃金の抑制政策の結果である。労働者の平均賃金が250万円ほどにまで落ち込み、非正規雇用者を40%までして、貧困率を16%まで上げておきながら、物が売れなくなるのは当たり前である。デフレの実態は賃金が抑制されているからである。そこへさらに、金満家が懐を潤す政策をさらに進めたところで、デフレが好転することはないし実体経済がよくなるわけではない。
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「弱肉強食」は食物連鎖であって経済原理ではない

2014-12-19 | 福祉社会
人間社会の経済原理・原則として、「弱肉強食」という言葉がよく用いられる。弱肉強食がまるで、自然界の原則であって当然の理として引用されることが珍しくない。更には、進化論の自然淘汰まで引き合いに出す不届き者さえいる。
弱肉強食という言葉は、動物の世界の食物連鎖を表現しているにすぎない。トラやライオンが鹿や羚羊を食べることを言うのであるが、トラやライオンが強いわけではない。トラやライオンの方が強ければ、自然界はトラやライオンだらけになってしまう。現実には鹿や羚羊の方が圧倒的に多い。知トラややライオンの鋭い牙も強靭な爪も、いわばナイフとフォークのようなものであって、基本的には武器ではない。ヒトも食事の対象になるので、単にこちらの思い込みにすぎない。ヒトが持つ刀や銃とは全く異なるものである。
弱肉強食は、異種間で起きる食物連鎖の形であって、彼らが同種間で食べ合うことは、基本的にない。
ところが、経済学者たちが自らの経済理論をの弱点を補完するために、自然界の原理として弱肉強食を引用されるのは、誤引用であって許すことが出来ない。経済の場は人間同士である。強いものがより強くなって巨大化するのは、自然の摂理とは程遠い、ヒトの欲望のなれの果てである。
新自由主義者たちが、強いものが勝つ原理を「市場」という言葉で置き換えて、政治は手を出すべきでないとする。商品の価格も量も市場が決める、富の配分も市場が決めるというものである。弱いものは消えて行けというのである。
同種間で争うのは人ヒトだけである。様々な動物も争うことはあるが、餌を求めたり雌を求めたりするのであって、殺し合うことはない。殺し合うのはヒトだけである。それは欲望のなせる結果である。欲望とは富への希求である。富とはヒトが作り出した虚構である。
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羅臼港

春誓い羅臼港