そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

そりゃ自民党に受け皿がないからさ

2007-07-30 | 参議院

参議院選挙の大敗を受けて、政権維持を安部ボッチャマが平然と表明した。さらには、政策が否定されたわけではない、政策を実行することで責任を果たしたいなどと、発言している。まったく耳を疑うばかりの首相の発Photo_144 言である。安部か小沢かなどと言いながらも、負けても居座る論拠を理解できない。こんな程度の男を首相に抱く国民として恥ずかしい話である。

何やら、「選挙結果を厳しく受け止める」と、よくわからない言語を乱発するだけで、今後の政策にご理解を賜りたいそPhoto_145 うである。安倍ボンは教育改革に熱心のようであるが、民主主義とはこんなもんかと、子どもたちににも教育上良くない。

国民は何を審判したのだろう。国民に何の判断を仰いだのであろうか。身辺をお金と発言にルーズなイエスマンの連中で固めるからこのようなことになるのだろう。その中で、中川幹事長は辞表した。政府は無傷でいたいのであろう。

しかしながら、自民党にはこの男に代わる人物が見当たらない。政党内に受け皿がないのである。こうしてしばらく居座ると、衆議院選挙がそのうちやらなければならないことになる。そうなれば衆議院でも惨敗することになるであろう。それも良いことである。

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こりゃ善戦しただろ、安部ボン

2007-07-29 | 参議院

_44026421_abenew_ap203b参議院選挙で自由民主党の大敗が決定的となった。それでも30議席も取っているのだから大したものである。もっと議席を失ってこそ、本当だと思っていたが結構善戦しているとみて良いだろう。しJapans_prime_minister_shinzo_abe_speaks がらみから抜け出えない、日本人の体質が自民党の善戦を支えたのであろう。

27ほどの議案を強行採決し、戦争できる国に変えますと言いながらながら、この政党に投票する人たちを失っていない自民党は大したものである。今回敗北してもこの程度なら、いずれの時に、復活してくることであろう。

「逆風の中」と、多くの自民・公明の与党が訴えていたようであるが、逆風とは国民の声のことでないのか。これに抗するとは、国民の声を聞かないということである。この利権政党の凋落に危機感を抱く、土建業者たちが盛り返す時期と方法が見ものである。

自由競争、市場経済が弱者の切り捨てになることは自明の理である。強者は強者と戦うのではない。強者は弱者をた55_15たくことで強くなる。弱者とは地方である。一次産業である。

そして、一人区は地方である。へき地である。一次産業が支える地域でもある。その地方では、市場経済至上主義の自民党が大敗をした。思ったより自民党が善戦しているのは、大都市のたくさんの議席を献上しているからである。

それでは、自民党の受け皿になる民主党はどうかというと、まとまりがなく基本的な政策にぶれがある政党である。国民党法案が提出されると、急遽海外視察に出かけた、高坂極右翼の教え子の前原代表などそのいい例である。

日本の不幸は、フランスの大統領選挙のように真っ向から対立しての政策論争がないことである。そして投票率が極めて低いことである。

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良識の府は何処に行ったのか

2007-06-30 | 参議院

Photo_131 国会の会期を延長しておきながら、衆議院同様に参議院でも、阿部内閣は強行採決を行った。良識の府・参議院はどこへ行ってしまったのだろうか。戦後しばらくは、参議院では政党に支配されない、緑風会などの非政党的な色合いが強かったものである。

現在のように、衆議院と同様に政党の数の論理で推し進めるなら、参議院など必要ない。衆議院の二番煎じ、リプレイをやっているようなものである。

55_9一昨年のように、衆議院を可決した郵政民営化を差し戻したりすると、党議拘束とやらで、次々と政党論理で締め付けを小泉純一郎がやったことが強く影を落としている。参議院が存在価値を急速に失ってきたのである。

衆議院から重要法案とやらを、阿部内閣は何本も強行採決の連続で乗り切った。何のために会期を延長し たのか理解できない。選挙対策なのだと言われている。時間が経てば、アホな国民は与党に不利なことなど忘れると思っているらしい。

祖父の岸信介は強行採決で、内閣総理大臣の辞職に追い込まれた。時代が違うといえばそれまだけであるが、野党にも活力がないのも事実である。

数の論理は政治的手法ではあるが、民主的手法ではない。解散のない参議院こそ、じっくりと討論してしかるべきなのに、これでは単なる衆議院、あるいは与党の認可機関でしかない。

国民に法律としてやがて押し付けられることになるものである。殆んど論議なしに、決められることに対する切実感を、国民とりわけ若年層にないことも情けないことである。

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羅臼港

春誓い羅臼港