
大川原化学工業の公安によるでっち上げ、冤罪事件で捜査の最中に8回もの保釈請求を認められず、胃がんで亡くなった相場静夫さん(享年72歳)の墓前に、現在の責任者が墓前に謝罪しに来た。
左から、最高検の小池隆公安部長、東京地検の市川宏次席検事、警視庁の鎌田徹郎副総監、そしてその様子を見守る相嶋さんの長男、次男である。
相嶋さんの奥さんは、はその場で、胃がんと診断された後に東京拘置所長あてに書いた手紙を取り出し「保釈されず困り果てています。日々衰弱し、夫は見殺しにされてしまうのかと気が狂いそうです。命だけは助けてください。どうか、どうか助けてください」と、3人に読み聞かせた。
鎌田副総監は遺族に対し「違法な捜査を行ったことを深くおわびします」と陳謝し、市川次席検事も「重大な人権侵害を生じさせ、保釈請求に対する不当な対応で治療の機会を損失させてしまい、誠に申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
これに対し、相嶋さんの奥さんは「謝罪は受け入れるが、決して許すことはできない」と強調した。
冤罪が繰り返されるが、日本の冤罪は単なる間違いや不本意の捜査などによる偶発的なものは少ない。日本の警察には、戦前の特高のような
成果を各部署で競い合う公安だからこそ際立ったものがある。捜査官の操作の違法性もさることながら、捏造までするという極めて悪質な、えん罪でっち上げ事件である。
こうした場合、捜査官の違法性について法による処罰はないのか不思議でならない。捜査官を逮捕してこそこうした、冤罪の創作は減ることがない。上司がいくら頭を下げたとしても、時の上司でもなければ冤罪事件の指揮官でもなければ、責任者でもない。
官僚は責任を分散する形で、責任の所在を希薄にして法子郎とするのである。
そうしたことに加えて、今回の大川原化工の冤罪事件には、病気によって拘束者が死亡するということが重なり、より一層その不当性が浮き彫りになっているといえる。捜査官が罪を法的に問われない限り、冤罪はなくならず、責任の所在が不明となって繰り返されるのである。