「世代」(1954)、「地下水道」(56)、「灰とダイヤモンド」(57)の抵抗3部作や「カティンの森」(2007)で知られるポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダが、同国の作家ヤロスワフ・イバシュキェビチによる短編小説を映画化した文芸ドラマ。ポーランドの小さな町に暮らすマルタは、医師の夫と長年連れ添っていたが、ワルシャワ蜂起で息子を亡くして以来、夫婦の間には距離が生まれていた。夫は自身の診察で妻が不治の病にかかっていることを知るが、そのことを妻に言い出せず時間が過ぎていく。亡き息子への罪の意識が消えないマルタは、ある日、息子が亡くなった時と同世代の20歳の青年ボグシと出会い、ひかれていく。ボグシを誘って河辺で逢引していたマルタだったが、ボグシが菖蒲の根に足をとられて溺死してしまい……。(映画.comより)
アンジェイ・ワイダの作品も久しぶりです。一番最近では「カティンの森」でしょうか。でも若い頃はよく見ました。「聖週間」「ヴィルコの娘たち」「灰と・・・」などなど。しかし、今ちょっと調べると製作年が随分前なんですね、思っていたよりも。私はなにかの特集上映で見たのかもしれません。あるいは日本に来るのがものすごく遅かったのか(笑)。まぁ、いいです。
今回の映画は、製作途中に予定が変わったのだそうです。主演の女優さんのご主人であり、監督の長くにわたって盟友であった撮影監督が、不治の病であることが判明し、彼の病状や治療に合わせて撮影スタイルを変更していたらしいのですが、その努力もむなしく、製作半ばで亡くなってしまったらしいのです。
そこで、この映画は「ヤンダ(主演女優)が夫と過ごした日々を語るシーン」「原作を基にした”菖蒲”の物語」そして「ワイダ監督も登場する撮影現場が映し出されるシーン」の三重構造になってます。
物語の中では、ヤンダが不治の病をわずらっており、医者である夫は深刻な病状を伝えることができずにいます。彼らには二人の息子がいたのですが、ワルシャワ蜂起で二人共を失ってしまっており、どことなく冷たい空気が漂う家庭となってしまっています。
その一方、場面が変わると、ヤンダは自分の夫の死ぬまでを詳細に独白し続けます。
そして、「菖蒲」の撮影場面。ほとばしるような「生」を感じさせる若い青年ボグシに魅せられたヤンダは、彼と川でのデートを約束し、早めについて彼を待ちます。
しかし、彼は若い女性とお話ししながらやって来るのが見え、思わず我に返ったヤンダは帰ろうとします。が、彼に見つかり、「どうしたの」と声をかけられ、帰るに帰れなくなってしまい、結局デートします。彼女は送って行っただけなんだそうです。
さて「もうすぐお祭りだから菖蒲の葉を集めるのよ」とヤンダ。川に潜って葉を集めてくるボグシ。「後で怠け者と言われるのはイヤだからね。もっと取って来るよ」と言ってもう一度潜ったボグシはしかし、上がって来ません。
取り乱すヤンダ。それは映画の撮影とわかっているはずなのに、主人の死と重なってしまったのでしょうか、撮影スタッフの制止を振り切って走り去ってしまいます。ワイダ監督も驚いています。
水着のままタクシーを拾うヤンダ。ガタガタ震えています。
見ている方も、ここで映画と現実が混ざるわけですが、わかりやすいのできちんと理解できます。
さて、映画「菖蒲」に戻ります。ヤンダはきちんとお芝居をこなし、友人たちに引き上げられた、息のないボグシを抱きしめて嗚咽します。「どうして、どうして・・・」と。
映画の半ばで、医師であるヤンダの夫が「忘れているようだね。生はとても簡単に死に転じる」と述べる場面があるのですが、これがテーマなのでしょう。ワイダ監督、86歳。さすがです。
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