ドイツ人のナチスドイツに対する歴史認識を大きく変えたとされる1963年のアウシュビッツ裁判を題材に、真実を求めて奔走する若き検事の闘いを描いたドラマ。1958年、フランクフルト。終戦から10年以上が過ぎ、西ドイツでは多くの人々が戦争の記憶を忘れかけていた。そんな折、かつてアウシュビッツ強制収容所で親衛隊員だった男が、規則に違反して教師になっていることが判明する。新米検事のヨハンは、上司の制止も顧みずジャーナリストのグルニカやユダヤ人のシモンと共に調査を開始。様々な圧力にさらされながらも、収容所を生き延びた人々の証言や実証をもとに、ナチスドイツが犯した罪を明らかにしていく。主演は「ゲーテの恋 君に捧ぐ『若きウェルテルの悩み』」のアレクサンダー・フェーリング。共演に「ハンナ・アーレント」のフリーデリーケ・ベヒト。(映画.comより)
我々戦後生まれの人間の間でも、ナチスやヒトラー、戦後連合国がドイツを裁いたニュルンベルグ裁判などの事柄はよく知られていると思います。しかし私は、「スペシャリスト」というアイヒマン裁判の映画(スタローンとシャロン・ストーンの映画ではない!)や先日日本でも公開されていた「ハンナ・アーレント」に至るまで、その手の映画は数々見ながら、ドイツ人が初めてドイツ人を裁いたと言う「アウシュビッツ裁判」に関しては、確たる認識がないままでした。
お恥ずかしい話ですが、映画ではちゃんと描かれているんです。自分がスルーしてるんですね。ケイト・ウィンスレットが21歳も年上の女を演じた「愛を読む人」。この映画の半ばで、若い主人公(少年)の前から、彼女は突然姿を消します。なにがなんだかわからないまま、後半、長じて大学で法律を学んでいた青年は、裁判で証言台に立たされている彼女を発見するのです。これがアウシュビッツ裁判だったのですね。これほど主たるストーリーに絡んでいながら、深く考えずにスルーしていた私。
戦後、目覚ましい復興を遂げたドイツでは、戦時中の非人道的な出来事にもフタをし、とにかく復興することに全力を注いでいました。そんななか、あるユダヤ人が、アウシュビッツにいた元親衛隊員が普通に教師として働いていることを発見。知り合いのジャーナリストと共に検察庁で苦情を申し立てますが、皆は無視。今は政府機関にも元ナチ党員が復帰しているため、あらゆることがもみ消されてしまいます。しかし、駆け出しの検事ヨハンが関心を持ち、検事総長フリッツ・バウアーの後ろ盾を得て、粘り強い捜査を始めます。
「愛を読む人」のケイト・ウィンスレットは、この「アウシュビッツ裁判」に召集されていたのですね。まさに「普通のバスの車掌だった女性」が「看守だった」という事実ですね。
しかしながら、この裁判のつらいところは、戦時下において、やむを得ず命令を遂行した”普通の人々”を一人づつ見つけ出し裁判にかけなければならなかったこと。大きな犯罪者を裁くことに対する正義感は誰でも持てます。しかし、結論から言うと、結局大物は逃げおおせるのに、だからといってどうにもならないような小物(つまりは”善良な市民”)を片っ端から挙げるだけだったこと。もちろん、それでも彼らは相当なことをしています。まともには聞くことが耐えられない様な残虐なこともしているのですが、一番狂気だった”医者”は捕まえられなかったりするのです。まだナチスが行ったことがそれほど明るみには出てなかった時代。あまりの事実に、若い検事や速記の年輩女性が動揺して言葉を失ってしまう様がリアルです。
結局は大物を捕まえられない焦りから、行く先を見失うこともあるヨハンですが、検事総長に諭され職務を全うしてゆきます。結局、この裁判は、裁いた人数やあれこれではなく、ドイツ人がドイツ人を裁いた最初の裁判であること、また明るみに出てなかった事実をまず紐解いたこと、これらにより後進に道を開いたということで、歴史に残ったのです。
今回、いろいろと勉強になりました、本当に。ちなみにヨハン役のイケメン、私「ゲーテの恋」で見てるんですね。気がつかなかったですけど。これからも活躍して欲しいです。
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