かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

「東京にしがわ大学」って

2010-10-11 03:58:18 | 気まぐれな日々
 かつてタモリが「中洲産業大学」の教授を名乗っていたときがある。このような大学は存在しないのだが、中洲とは言わずとしれた博多の盛り場で、東京でいえば新宿歌舞伎町、渋谷道玄坂といったところである。
 ギャグとして面白いと思って、その当時僕も、新宿のネオンの下で、戯れに中洲産業大学の講師を名乗って、遊んだことがある。
 ちゃんとした大学でなくとも、各地に「雑学大学」なる大学が存在する。吉祥寺や小金井、町田市などで、原則受講料無料で、その名の通りいろいろなジャンルの雑学の授業が行われている。
 これと似たのに「自由大学」もある。こちらはれっきとした専門家による授業で、会員制で、カルチャースクールに近い。
 大学でのカリキュラムは退屈でも、雑学は面白いと思う人は多いだろう。あるいは、自分の興味のある授業だけ出席するというのなら、聴いてみたいと思う。

 近年、「しぶや大学」なるものを耳にした。
 こちらもいわゆる一般の大学ではなく、東京の街の中の雑学カルチャー、コミュニティー運動である。一定のキャンパスがあるわけではなく、様々なところをキャンパスに、あるいはキャンパス代わりにするらしい。
 一昔前だったら、こういうサブカルチャーの代表は、東京でいえば新宿だっただろうが、今では渋谷となった。「新宿しんじゅく大学」となれば、イメージも内容も大分変わるだろう。

 この「しぶや大学」の姉妹校ともいうべき大学ができた。
 東京の都心部「しぶや」とは一線を画して、都下の多摩地区における、街のカルチャー、コミュニティー運動をというもので、その開校式が行われた。その名前は、「東京にしがわ大学」。東京の西側の23区以外の多摩地区という意味である。
 開校式が行われたのは10月9日で、多摩市のパルテノン多摩(多摩センター)においてである。(写真)
 新聞報道もあってか、会場は溢れんばかりの多くの人がかけつけた。雨が降らなかったら、パルテノン多摩の奥の水上公園で行う予定だったのが、急遽室内となった。
 準備は以前から行われていたようで、学長、関係者による開校の挨拶や多摩市長の挨拶などに交じって、すでに決まっている約100人の講師が紹介された。
 各町に関係ある町興しの人たちから、音楽関係、カメラマン、編集者、料理関係、アート芸能関係、会社員まで、専門家から素人まで、ジャンルも人も多士済々である。肩ひじ張っていない、遊び心のところがいい。
 今後、月1回、場所を変えて3箇所で授業(講座)を行う予定だというが、どのような授業が展開されるか、興味深い。

 東京の西側は、先にも述べたように、旧西多摩、南多摩、北多摩郡の三多摩地区と呼ばれていて、実に多彩だ。
 吉祥寺の「武蔵野市」、その隣の「三鷹市」の都心寄りの市部から、山梨県の丹波山、埼玉県の秩父山地に面した「奥多摩町」、秋川渓谷のある「檜原村」の山林部まで、東京都三多摩地区である。つまり、東京には、三多摩地区に村もあるのだ。
 それに、多摩地区には各地に大学が多く散在しているのも特徴だ。
 
 上記の市町村のほか、多摩地区における個人的な町の特徴やイメージを、簡単に記してみよう。
 東京でもっとも古い市で、元々絹織物の町で高尾山をも含む「八王子市」。かつて基地があり特異な町であったが、近年発展が著しい「立川市」。小田急線とJR線が交叉し、若者文化が芽ばえている「町田市」。競馬場と大国魂神社のある「府中市」。深大寺のある「調布市」。
 ニュータウンの町から脱皮しようとしている、街が綺麗な元多摩丘陵だった「多摩市」。梨の産地、「稲城市」。学園都市の「国立市」。高幡不動尊がある新撰組隊士の故郷、「日野市」。自動車運転免許試験場のある「小金井市」。
 横田基地のある「福生市」。青梅線でこのあたりにくると、旅していると思える風景が広がる「青梅市」。拝島から分かれた五日市線が走る、愛嬌のある名前の「あきる野市」。
 サナトリウムのあった、医療の町「清瀬市」。田無と保谷が合併して、東京西側の代表のような名前となった「西東京市」。
 先に福岡県に久留米市があるので、名前に東が付いた「東久留米市」。山形県に村山市がある同じ理由による、都内唯一鉄道と国道がない「武蔵村山市」。現在、多摩センターから北上し、立川を通って「東大和市」の上北台まで通っている多摩都市モノレールが、武蔵村山市内に行く計画はあるが、実現していない。
 
 こう挙げてみると、知らない西側の街がいっぱいある。いくつかの市町がもれてしまったが、申し訳ない。
 これを機に、東京西側探索も面白そうだ。
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◇ 勝負(かた)をつけろ

2010-10-09 01:19:47 | 映画:フランス映画
 原作:ジョゼ・ジョヴァンニ 監督・脚本:ジャン・ベッケル 出演:ジャン=ポール・ベルモンド クリスティーネ・カウフマン ベアトリス・アルタリバ ピエール・ヴァネック 1961年仏

 邦画のタイトルは「勝負(かた)をつけろ」だが、フランスでの映画原題は「ラ・ロッカという男」(Un nommé La Rocca)であり、ジョゼ・ジョヴァンニの小説「ひとり狼(原題:L’Excommunié)」(1958年)を原作とした映画である。
 ジョゼ・ジョヴァンニが、収獄時代に知りあったという一匹狼の男を題材にしたものである。

 虚無的な犯罪映画「フィルム・ノワール」の系譜にあるものである。
 主人公は、「勝手にしやがれ」(1959年)で、一躍ヌーヴェル・ヴァーグのスターとなった、ジャン=ポール・ベルモンド。
 台詞は少なく、映像はモノクロである。苦悩することなく、簡単に殺人は行われる。
 今日の日本の映画では、北野武の映画に通じる。

 無実の罪で逮捕されている親友のアデ(ピエール・ヴァネック)を救うためにマルセイユにやってきた男、ラ・ロッカ(ジャン=ポール・ベルモンド)。
 そこで、アデを陥れた街のならず者ビラノバを探すために、彼の情婦モード(ベアトリス・アルタリバ)を自分の女にする。自分の女を寝取られ怒ったビラノバはラ・ロッカを殺そうとするが、逆に殺されてしまう。
 ビラノバを殺された部下はラ・ロッカに従い、ラ・ロッカはビラノバが営業している賭博の店も自分の支配下に置くことに成功する。
 いわゆる、街のチンピラ・ギャングの頭になったのである。
 そこへ、アメリカ人のチンピラ・グループが、「ミカジメ料」(ショバ代)を取りに、店にやってくる。それを断わったラ・ロッカは、そのチンピラを殺してしまい、自分も腹を撃たれ、逮捕される。
 収監されたラ・ロッカは、アデと同じ監獄に入れられる。そこで、2人は早く出獄できるというので、危険な地雷除去作業班に入る。しかし、アデは地雷除去の際片腕を失う。
 やがて出獄した2人は、アデの可憐な妹ジュヌヴィエーヴ(クリスティーネ・カウフマン)を含め、3人で暮らし始める。
 アデは、3人で暮らす生活として、郊外の農場を買うための資金を得ようと、かつて自分を売った男から金をせしめる。しかし、金を取り戻すために男の部下がやってきて、誤ってジュヌヴィエーヴが撃たれ、彼女は死んでしまう。
 ラ・ロッカはアデにこう言って、アドの元を去る。
 「おまえが、彼女を殺したのだ」

 主演のジャン=ポール・ベルモンドは、当時まだ20代で、一匹狼の殺し屋の凄みはないが、アラン・ドロンとフランスで人気を二分する、スターの片鱗を見せている。
 クリスティーネ・カウフマンは、清純なフランス人形のような雰囲気がある。少しマリナ・ブラディーのようであり、アンナ・カリーナのようでもある。
 「戦後西ドイツ最大の清純スター」と言われたが、役柄に恵まれなかったせいか、女優としては大成しなかった。
 原作者、ジョゼ・ジョヴァンニは、のちに自ら監督し、主演もジャン=ポール・ベルモンドで、『ラ・スクムーン』(1972年)として再映画化している。こちらの方は、クラウディア・カルディナーレが出演している。
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□ ダウンタウンに時は流れて

2010-10-03 16:26:24 | 本/小説:日本
 多田富雄著 集英社刊

 人はいつしか自分の人生を振りかえるときが来る。
 振り返り、そこに甦るものは、返らない自分の人生の一こまである。確かにあったものだけど、今はどこにもないもの。もう、記憶の中でしか見いだせないものである。しかも、自分の中にしかないものである。

 「私はこの『ダウンタウンに時は流れて』という自伝的エッセイ集のなかで、私の「青春の黄金の時」を思い出した。それも、涙でキーボードが何度も見えなくなるまで、切実に思い出した。すると、回想の魔術が、あのダウンタウンを目前に現出させたのである。
 ぼろ車で、毎日通った夕暮れの町。得体の知れない幻を追いかけてうろつきまわった、あの情熱は一体何だったのであろうか。しかし今になってそれが、若さ故に奇跡的に現出した「私の黄金の時」であったことに改めて気づくのである。」

 「回想の中で、町はきらびやかな光をまとっていた」と、著者は書いている。
 著者の多田富雄は、1934年生まれの免疫学者で東大名誉教授。現在脳梗塞を煩い、半身不随の身でベッドにいる。
 もう二度とアメリカはおろか、近くにもさまよい歩くことができなくなった老学者が、若き日に過ごした町を鮮やかに甦らせた。
 「ダウンタウンに時は流れて」の中で描かれている話は、著者が1964年、医学部大学院を卒業したあと、アメリカのコロラド州のデンバーに留学したときの、見知らぬ町での瑞々しい生活の記憶だ。ここで甦らせた40数年前の記憶は、まるで昨日の出来事のようだ。そのとき彼は30歳であるが、それは青春のただ中であった。
 1964年といえば、日本では開催間際の東京オリンピックに湧いていたときである。その一方で、アメリカの西部の都会では、そんなお祭り騒ぎはどこ吹く風と、静かな夏が過ぎようとしていた、と著者は述懐する。

 ロマンチックな「春楡の木陰で」というタイトルの章では、彼のデンバーでの間借りした家の老夫婦との生活、一人で夜の町中に出かけていき、いつしか常連客になったカントリー音楽を奏でているバーの生態などが、活きいきと描かれている。
 それは、実際起こった思い出というより、小説の中の物語のようだ。

 「折しも流行っていた「ダウンタウン」という歌のリフレインを、今宵ばかりの殷賑(いんしん)を誇るナイトクラブの楽団がけだるく繰り返す声が、妙に懐かしげに町に響いた。それを思うと、私の胸は今でも張り裂けんばかりに、その音を慕うのだ。」

 誰でも、その時代が甦る歌というものがあるものだ。それも、青春の面影をもたらしてくれる歌が。
 彼がしげく通ったデンバーの町を追いかけるように、リフレインされる当時流行ったペトゥラ・クラークの「ダウンタウン」という歌声。日本でも、「恋のダウンタウン」というタイトルで流行した。
 本のページの間から、町が浮かび、歌声が聞こえてきそうだ。
 著者の浮き浮きとした遅れてきた青春が、まるで自分のことのように想像を膨らませる。この学者に、こんなアメリカ生活があったのかと、驚きと新鮮な感慨に打たれる。
 僕はデンバーには行ったことがないけど、その町が、そしてそこに住まう人々が、懐かしい風景のように思い浮かびさせるのは、著者が奇跡のように青春を甦らせたからだろう。

 当然のことだが、誰にでも青春はある。そして、それはどのような日々であれ、活きいきとした回想の文を読むのは、著者と一緒に過去を旅しているようで胸が熱くなる。
 金子光晴の「どくろ杯」3部作の時もそうだった。壇一雄の「火宅の人」も、多くが自伝に基づいているから、本の間から息づかいが聞こえてくるのだろう。
 作家が晩年を自覚した時、自分を振り返って書いた自伝的小説は、自分をさらけ出して清々しさを与えることが多い。最近、団鬼六、勝目梓等、異色の分野から純文学風の自伝的小説が目につく。

 誰にでも青春がある。
 その時代が、とてもいとおしくなるときが来る。
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