
空は魅力的だ。
特に、白い雲が浮かぶ青い空がいい。
佐賀の田舎の家からは、居間にごろんと寝そべっていても、振り向けば、窓の外の景色が見える。そこには、いつも遠くなだらかに緑の山が連なり、その向こうは青い空がある。
窓は大きな画布(キャンバス)のようで、窓の外はいつも変わらぬ風景だが、山の彼方の空はいつも違っているし、いつだって変わっていくのだった。
山の向こうの青い空に、雲が出てきては消えていく。
*
マレーシアの映画を観た。マレーシアの映画は初めてだった。
マレーシアという国は、地図を見ると分かるように、ベトナム、カンボジア、タイと続くインドシナ半島の蛇あるいは亀のように延びたマレー半島の大きな頭の部分と、南シナ海を隔てた東対面にあるカリマンタン島(ボルネオ)の北側部分からなっている。
マレー半島の北側はタイで、頭の先端はシンガポールという別の国である。カリマンタン島(ボルネオ)の中部から南側はインドネシアで、マレーシア領土の中ほどに、ブルネイ・ダイサラーム国がある。
島国の日本からしてみれば、複雑に国境を接し持った国である。
このカリマンタン島(ボルネオ)の北に、「サンダカン八番娼館」(山崎朋子著)で有名になった、からゆきさんの墓地があるサンダカンがある。
アジアの映画を観れば、どれも懐かしい気持ちになる。かつて見た風景、味わった体験、嗅いだ匂いが甦ってくる。
「アイス・カチャンは恋の味」は、最初、NHKアジア・フィルム・フェスティバル2010で上映されたマレーシアの映画である。
英語で表せば、「Ice Kacang Puppy Love」、中国語で表せば、「初恋红豆冰」となる。
アイス・カチャンとは、小豆のかき氷のことである。
マレーシアの小さな港町の物語である。
東南アジアにはよく見かける、店舗と住まいが一緒になった建物が連なる乾いた街の風景。 街には漢字が張られていて会話も中国語で、ペナンの近くということから、マレー半島の中ほどの華人が住む街が舞台である。
街の小さなコーヒーハウスを営む家に間借りしている母親と年頃の娘が主人公で、父親とは娘が幼いときに別れたようである。
娘のアンチー(アンジェリカ・リー/李心潔)は可愛く利発だが、打架魚(闘魚)のあだ名のとおり男勝りで、喧嘩をしても男に負けない活発な少女である。
居候の母娘と同じ屋根の下に住むコーヒーハウスの次男坊のボタック(阿牛)は、おとなしく無口で、勝ち気なアンチーの後を黙ってくっついて歩いている少年だ。
この街の界隈には、同じ年頃の少年や少女が何人かいて、それぞれが思春期を迎えている。いきがってアンチーに喧嘩を売っては打ちのめされる少年や、ミュージシャンを夢みる少年、街の男の子に恋心を抱く少女など、どこの街でもいそうな思春期の少年と少女の出来事が映しだされる。
大人になる前のこの時期の思いや体験は、誰でも、甘くて、滑稽で、少しほろ苦い。
湖のような海辺で、アンチーとボタックが背中合わせに座って、アンチーの父親の想い出でもあるアイス・カチャンの話をしながら、空を見ている場面がある。
その空に、歌が流れる。
「君は荒れる波、僕はくたびれた砂浜、暖かな西日が僕らの肩に落ちる…」
青い空には白い雲が浮かぶ。九州の田舎の空のようだ。アジアの空だ。
「心溶かすまなざしは、僕をつなぐ舫(もやい)網…」
「君はささやくように、ペナンの雨を語る…」
黙っているボタックは、心密かに アンチーを想っていたのだ。
「しばらくアイス・カチャンを食べていないね。今度、一緒に食べに行こう」と、二人は話す。
こんな穏やかな街にも、別れの時はやってくる。
各々少年や少女たちは、様々な夢を持って、一人ひとり都会へと旅立つ。
アンチーが旅立った後、少し遅れて、やはり都会の出たボタックは呟く。
「あれが初恋だったのかどうか分からないけど、その味はまるで午後のアイス・カチャン。甘くて、冷たくて、痛みが舌を刺す。なのに、味わいを確かめる前に、溶けて消えていく」
見終わった後で、監督はあの茫洋としたボタック役のアニュウ(阿牛)だと知った。彼はマレーシア出身の台湾などで活躍するシンガーソングライターで、初監督・脚本・主演作品である。
主演の少女である李心潔アンジェリカ・リーは、日本人少女が失った輝く眼をしている。
同じアジアの台湾の映画、「風櫃の少年」、「童年往事 時の流れ」、「恋恋風塵」の、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の映画を思い出す。
そして、青い空を思い浮かべる。
特に、白い雲が浮かぶ青い空がいい。
佐賀の田舎の家からは、居間にごろんと寝そべっていても、振り向けば、窓の外の景色が見える。そこには、いつも遠くなだらかに緑の山が連なり、その向こうは青い空がある。
窓は大きな画布(キャンバス)のようで、窓の外はいつも変わらぬ風景だが、山の彼方の空はいつも違っているし、いつだって変わっていくのだった。
山の向こうの青い空に、雲が出てきては消えていく。
*
マレーシアの映画を観た。マレーシアの映画は初めてだった。
マレーシアという国は、地図を見ると分かるように、ベトナム、カンボジア、タイと続くインドシナ半島の蛇あるいは亀のように延びたマレー半島の大きな頭の部分と、南シナ海を隔てた東対面にあるカリマンタン島(ボルネオ)の北側部分からなっている。
マレー半島の北側はタイで、頭の先端はシンガポールという別の国である。カリマンタン島(ボルネオ)の中部から南側はインドネシアで、マレーシア領土の中ほどに、ブルネイ・ダイサラーム国がある。
島国の日本からしてみれば、複雑に国境を接し持った国である。
このカリマンタン島(ボルネオ)の北に、「サンダカン八番娼館」(山崎朋子著)で有名になった、からゆきさんの墓地があるサンダカンがある。
アジアの映画を観れば、どれも懐かしい気持ちになる。かつて見た風景、味わった体験、嗅いだ匂いが甦ってくる。
「アイス・カチャンは恋の味」は、最初、NHKアジア・フィルム・フェスティバル2010で上映されたマレーシアの映画である。
英語で表せば、「Ice Kacang Puppy Love」、中国語で表せば、「初恋红豆冰」となる。
アイス・カチャンとは、小豆のかき氷のことである。
マレーシアの小さな港町の物語である。
東南アジアにはよく見かける、店舗と住まいが一緒になった建物が連なる乾いた街の風景。 街には漢字が張られていて会話も中国語で、ペナンの近くということから、マレー半島の中ほどの華人が住む街が舞台である。
街の小さなコーヒーハウスを営む家に間借りしている母親と年頃の娘が主人公で、父親とは娘が幼いときに別れたようである。
娘のアンチー(アンジェリカ・リー/李心潔)は可愛く利発だが、打架魚(闘魚)のあだ名のとおり男勝りで、喧嘩をしても男に負けない活発な少女である。
居候の母娘と同じ屋根の下に住むコーヒーハウスの次男坊のボタック(阿牛)は、おとなしく無口で、勝ち気なアンチーの後を黙ってくっついて歩いている少年だ。
この街の界隈には、同じ年頃の少年や少女が何人かいて、それぞれが思春期を迎えている。いきがってアンチーに喧嘩を売っては打ちのめされる少年や、ミュージシャンを夢みる少年、街の男の子に恋心を抱く少女など、どこの街でもいそうな思春期の少年と少女の出来事が映しだされる。
大人になる前のこの時期の思いや体験は、誰でも、甘くて、滑稽で、少しほろ苦い。
湖のような海辺で、アンチーとボタックが背中合わせに座って、アンチーの父親の想い出でもあるアイス・カチャンの話をしながら、空を見ている場面がある。
その空に、歌が流れる。
「君は荒れる波、僕はくたびれた砂浜、暖かな西日が僕らの肩に落ちる…」
青い空には白い雲が浮かぶ。九州の田舎の空のようだ。アジアの空だ。
「心溶かすまなざしは、僕をつなぐ舫(もやい)網…」
「君はささやくように、ペナンの雨を語る…」
黙っているボタックは、心密かに アンチーを想っていたのだ。
「しばらくアイス・カチャンを食べていないね。今度、一緒に食べに行こう」と、二人は話す。
こんな穏やかな街にも、別れの時はやってくる。
各々少年や少女たちは、様々な夢を持って、一人ひとり都会へと旅立つ。
アンチーが旅立った後、少し遅れて、やはり都会の出たボタックは呟く。
「あれが初恋だったのかどうか分からないけど、その味はまるで午後のアイス・カチャン。甘くて、冷たくて、痛みが舌を刺す。なのに、味わいを確かめる前に、溶けて消えていく」
見終わった後で、監督はあの茫洋としたボタック役のアニュウ(阿牛)だと知った。彼はマレーシア出身の台湾などで活躍するシンガーソングライターで、初監督・脚本・主演作品である。
主演の少女である李心潔アンジェリカ・リーは、日本人少女が失った輝く眼をしている。
同じアジアの台湾の映画、「風櫃の少年」、「童年往事 時の流れ」、「恋恋風塵」の、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の映画を思い出す。
そして、青い空を思い浮かべる。
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