かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

20歳の思い、ニザン「アデン、アラビア」

2013-01-10 19:12:48 | 本/小説:外国
 「20歳、それが人生で最も美しいときだなんて誰にも言わせない」
 20歳を過ぎたときから、僕らはこの言葉をしばしば口にした。それは、あっという間に過ぎ去った20歳という若さの象徴的年齢を嫉妬するようでもあり、20歳といえばまだ青二歳だという、自分より若い人間たちを軽くいなそうとする思いも含んでいた。
 僕らは、つまり僕の若い頃は、同世代の男たちは同じように、この20歳……という言葉を自嘲を含めて呪文のように口にした。この言葉だけで、まるでポール・ニザンという人間を知っているかのように。
 とりわけ若さをメタファーとして強調する場面では、遠のいていくそれへの逆説的言い訳のように、その台詞を口にした。僕はもう誰に出したかも忘れてしまったはるか昔に、恋文にもこの言葉を引用した。
 ポール・ニザンは、セピア色の青春の片隅に顔を出す名前だ。

 町の図書館の閑散とした棚の中から、ポール・ニザンの「アデン、アラビア」を見つけた。池澤夏樹編集による「世界文学全集」(河出書房新社刊)の1巻だ。
 それに、サルトルの研究者でフランス文学者の海老坂武の自伝にしばしば出てくる本である。
 この「アデン、アラビア」の冒頭の文が、この20歳……である。
 厳密に書けば、小野正嗣訳によるとこうである。
 「僕は20歳だった。それが人生で最も美しいときだなんて誰にも言わせない」
 そして、次のように続くのであった。
 「何もかもが若者を破滅させようとしている。恋、思想、家族を失うこと、大人たちのなかに入ること。この世界のなかで自分の場所を知るのはキツイことだ。」
いつの時代でも若さというものは、希望よりも現実に対する懐疑や否定や怒りの方が大きいものだろう。

 ニザンがフランスに生まれたのは1905年で、高等師範学校を卒業後アデンに出発したのは27年、翌年帰国。31年「アデン、アラビア」を出版している。まだ26歳のときだった。
 この本を20歳のときに読んだなら、僕はもっと熱狂しただろう。文体は若さの持つ発熱したものだし、時代と社会への懐疑と反逆の鋭敏なまなざしは、のちの実存主義の萌芽に満ちている。
 しかし、時代も僕も、時の流れのなかで移り変わってしまった。サルトルも読まれなくなった時代だ。
 それでも、この本の精神には普遍性がある。若者特有の痛ましい刃物のような精神の呟きと叫びが文章から溢れている。

 「旅って言葉にまだどんな意味があったのかって? このパンドラの箱には何が入っていたかって?
 自由、無私無欲、冒険、充実感。多くの不幸な人には届かず、カトリックの青年たちにとっての女性がそうであるように夢のなかでしか手に入らないものすべて。この言葉のなかには、平穏、喜び、世界を讃えること、おのれに満足することが含まれていた。
 崇拝の対象となった作家たちが引き合いに出された。スティーブンソン、ゴーギャン、ランボー、ルバート・ブルック。」

 1920年代、旅はまだ一般人には及ばない、自由や冒険を含んだ憧れの延長にあった。今日のように、簡単に飛行機で一飛びの物見遊山という時代ではない。わが国でいえば、永井荷風や金子光晴の旅のように遥かな人生行路だったのだ。
 そして旅とは、逃走でもあった。
 閉塞感溢れる世界からの逃走は、自由と自己変革への脱出だった。
 自閉症に苦しんでいた20歳の頃のニザンは、海外への脱出を夢み、アデンでの家庭教師の職を得る。雇い主はフランスの輸入業者の大商人であった。

 そう、20歳、それは決して美しいときではなく、今あるそこからの脱出、逃亡の季節なのである。
 20歳、まだ吉凶定かならぬ目の前に現れ始めた巨大な社会に臨むにあたって、それは精神的に最も苦しいときかもしれない。

 「ひと月の間、海の上にいて、風になぶられ、そこかしこで停泊し、風のなかでこそこそと話をしていると、この旅がどんなものからなりたっているかわかってくる。この旅に何が起こるのか?」

 古くから海運の要衝であったアデンはアラビア半島の先端に位置し、現在はイエメンに属するが、長くオスマン帝国の支配下にあった。のちにイギリスの植民地となり、スエズ運河が開通してからはさらに重要性が増した街である。
 ニザンがアデンに行った当時は、ヨーロッパ人の植民地政策によるコロニーができていた。

 「東洋と大英帝国が混じりあうここで、週ごと夜ごとに、めまいがどんどんひどくなっていったが、こんなとんでもないめまいがあるなんて思ってもみなかった。」

 「土地と顔が持っていた真新しさが失われ、さまざまな色あいにもあたり前になり、風景が色あせたものになっていけば、アデンを理解しようとすることはもう不可能ではない。
 アデンは数多くの縄をしっかり束ねる結び目である。この東洋の面白さを知りつくし、縄を引っぱりこの結び目を締めつける諸力を汲み尽くすには何か月もいらなかった。」

 ニザンがアデンで見たものは、ヨーロッパの植民地搾取の過酷な実態だった。その実情を見ながらも、彼は真剣にビジネスマンになろうかと考えたという。まるで、アデンで詩を捨て去ったランボーのように。

 ニザンはアデンから帰国後、結婚、そしてフランス共産党に入党し執筆活動を続けた。しかし、のちに独ソ不可侵条約にショックを受け党を脱退。直後、アルザスに兵士として動員され、1940年、ダンケルクから撤退の途中、戦火のなかで死亡した。35歳だった。

 戦後、いったんは文壇からも社会からも葬り去られたようなニザンだが、1960年、サルトルの序文を付した「アデン、アラビア」が再刊されるや、ニザンは復活する。時代を先取りしていたニザンに、やっと時代が追いついたと、本書の解説で澤田直(立教大教授)は書いている。
 フランスの1968年の5月革命を経て、怒れる若者のヒーローとなり、ニザンは青春の象徴的作家となった。
 「20歳、それが人生で最も美しいときだなんて誰にも言わせない」
 「アデン、アラビア」は読まれなくとも、ニザンのこの言葉だけは生き続けるだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古都長安を偲ぶ、元旦の「屠... | トップ | 時代を疾走した映画監督、大島渚 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本/小説:外国」カテゴリの最新記事