かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

曜変天目の謎に迫る、「中国と茶碗と日本」

2013-04-25 03:02:12 | 本/小説:外国
 中国に「南橘北枳」(なんきつほっき)という言葉があるらしい。南の橘(たちばな)が北へ移ったら枳(からたち)に変わってしまうということである。橘も枳も同じミカン科であるが違う木である。
 中国人で日中の比較文化の研究をしている彭丹(ほうたん)(法政大社会学部講師)は、日本と中国の文化の違いをこの例えをもって説明する。

 2009年に、私が中国の上海を旅したときである。
 中国語はできないが、同じ漢字の国だから少しは分かるだろう。いざとなったら筆談でもいいわけだから。こう思っていたのは甘かった。駅や街中の表示は漢字で書かれているにもかかわらず、大半がわからなかった。中国が略字体というだけでなく、そもそも日本と違う単語が多すぎた。同じ漢字文化圏でありながら、こうも違うのかと思った。

 こう思ったのは、日本人だけでなく、日本語を勉強した中国人もそうなのだった。
 先にあげた彭丹が、中国にいたときに日本語を学び始めて、日本の漢字に驚く。
 日本の漢字に「訓読」と「音読」の2通りの読み方がある。訓読が日本のやまと言葉の読みだから中国語にはないとして、音読が中国読みかといえば、そうとは限らなかったのである。いや、現代の中国読みとは全く異なっているという。
 それだけではない。中国では、原則的には1漢字につき1音が統一されているが、日本の漢字には、音読にいくつもの読み(発音)がある。
 例えば、日本では、「青」は訓読みの「あお」以外に、音読みでは「ショウ」と「セイ」がある。それより多いのもいくつもある。例えば、「行」「明」「経」の類は、音読みだけで3通りもある。
 氏は、このことに驚く。
 なぜこうなったかというと、日本にこれらの漢字が中国からもたらされた時代によって、読み方が違ったのが原因だが、それを日本は丁寧にも残していたということである。
 例えば、「行」は、訓読みでは「いく」。音読みでは、呉音で「ギョウ」「ギャウ」、漢音で「コウ」 「カウ」、唐音で「アン」となった。
 中国では、古いものを捨てて新しいものに変えてきたというのに、日本では中国に残っていないものも残してきたという事実に、氏は驚きと感嘆の念を持つ。

 彭丹が日本に来て、習慣や漢字など、中国からもたらされたものでも、今では日本と中国がまったく違う形になっていたりする、多くの文化の違いに遭遇する。
 そもそも、氏は日本に留学し、日本に住むようになって、彼女が日本文化の粋とはなんですかと日本の知人に訊いてみる。すると、日本人の多くは侘び、さびと答える。日本の茶のなかに、その真髄があると言う。
 氏は、さっそく日本文化の茶道の門をたたく。そこで氏が興味が注がれたのは、茶器である。お茶にとって茶器は重要な要素で、昔から大名はじめ日本人はそれを慈しんだ。中国から輸入された貴重な陶磁器は、ことさら重宝がられてきた。
 しかし、日本人が重宝がるその茶器の陶磁器に、中国との違いを見て、氏は驚く。
 そもそも、陶磁器は中国から日本に入ってきたものである。しかし、その違いへの疑問と興味から、陶磁器を通して日本と中国の文化の違いを研究する旅に出る。
 日本や中国の多くの文献を渉猟し、ある時は現地まで訪れ、日中の様々な人から意見を聴く。
 こうして纏められたのが、「中国と茶碗と日本」(小学館)である。氏は中国人であるが、本書は翻訳でなく日本語で書かれてある労作である。
 
 この本は、今年(2013年)1月2日の本ブログ「長安を忍ぶ、元旦の屠蘇酒」で、少しふれた。屠蘇も中国では文献でしかなく、日本で元旦に屠蘇酒を飲む習慣があるのに出合い、著者の彭丹は感動したのであった。
 それを、改めて読み直したのである。

 *

 この本によって、青磁や曜変天目などがわかったし、中国人の龍紋に対する執着も理解できた。陶磁器を通して見た日本と中国の違いは、とても興味深く、それを探っていく過程は、あたかも推理小説を読むようであった。
 日本人ではたどり着かないだろうことが、中国人の目を通せば、ああこういうことかというのも、貴重な視点発見だった。

 現在、日本には8点の国宝茶碗がある。そのうち中国製が5点を占める。
 そのなかで、「曜変天目茶碗」というのがある。世界に3点しか現存しなく、その3点は中国製で、しかし3点とも日本にあり、国宝となっている。この事実は、注目すべきことだ。
 「天目茶碗」とは、宋代に中国で焼かれた、漆黒の釉色が特徴の黒磁茶碗である。「天目茶碗」とは日本での呼称で、中国では「黒盞」(こくさん)と言うらしい。盞とは茶碗の意とある。
 「曜変天目」は、漆黒の釉色のなかに、いくつかの瑠璃色の暈を持った銀色の斑点が浮かびあがった茶碗である。
 私も数年前、世田谷美術館でこの展示会をやっていたのを見に行ったことがある。黒い茶碗の底に妖しく虹色の歪んだ点が光るさまは、確かに人智を超えたもののようであった。
 「油滴天目」とは、漆黒の釉色のなかに、銀色の油滴様斑点が一面に散りばめられた茶碗である。曜変と比べて遺品が多く、曜変より評価は低い。
 その曜変天目であるが、中国で作製されたにもかかわらず、なぜか中国には1品すら残っておらず、それどころかその痕跡すらないという。なぜなのか?
 その謎が、この本では解かれていく。
 中国では、どの時代でも、天上の日月星辰、地上の陰陽五行の変化を通して、天意を推測し、吉凶を判断してきた。曜変天目と、この中国の陰陽五行が関係があると氏はいう。
 そして、おそらく「窯変」から「曜変」へと名称が変わった過程も突き詰めている。

 曜変天目の作り方はいまだ分かっていない。現代でも、多くの陶工家がこの曜変天目の再生に挑戦してきた。しかし、まだ誰も成功した人間はいないようだ。
 私の手元にある、曜変天目ではないが、「油滴天目」と「禾目(のぎめ)天目」と思われるもの(それを目指したものか)があるので、掲示してみた。(写真、右:油滴天目、左:禾目天目)
 もちろん宋時代のものではなく、今日の日本人作家のものである。
 今でも曜変天目に挑戦して、黙々と作り続けている陶工がいるに違いない、と想像するだけで胸がわくわくする。
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