かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ いちご白書

2007-07-19 00:57:02 | 映画:外国映画
 スチュアート・ハグマン監督 ジェームス・グーネン原作 ブルース・デイビソン キム・ダービー 1970年米

 日本人なら「いちご白書」は知らなくても、「「いちご白書」をもう一度」の歌なら知っているだろう。荒井(松任谷)由実が作詞・作曲し「ばんばん」が歌って1975年に大ヒットした曲(荒井由実最初のオリコン第1位の曲)だ。
 荒井由実は、ここで、君(恋人と思われる)と見た「いちご白書」の映画を思い出しながら、過ぎた青春を歌っている。
 とりわけ印象深い詞は、二番である。
 「僕は、無精髭と髪を伸ばし、学生集会へも時々出かけた」と、当時の学生の情景を歌う。過激派学生ならずとも普通の学生でも、髪を無造作に伸ばし、学生集会やデモには参加していたと歌う。70年の東大安田講堂陥落以降、急速に日本の学生運動は衰退していったので、ここでいうのはそれ以前の情景と言っていい。
 このあと「就職が決まって髪を切ってきたとき、もう若くはないさと君に言い訳したね」と続く。この台詞が、若者の心をとらえた。学生運動に参加した人間にもしなかった人間にも、その心に触れたと思われる。
 つまり、学生時代には少しは過激なことを言ったり行動したりしたが、就職するためには社会への妥協は仕方ないんだと、ネクタイをした元学生は、自分の口で言えないので、荒井由実(ばんばん)の歌で歌ったのだった。
 学生運動に参加した人間は、今はこうして穏健だがかつてはそうではなかったんだよと自己弁護の代弁として、参加しなかった人間は、ノンポリに見えるだろうが実は僕だって学生時代は一応前衛の空気は吸っていたんだよという背伸びのつもりで……。
 荒井由実が大学(多摩美大)に入ったのが72年で、作曲家としてデビューしたのがその前年の高校生の時である。だから、荒井が直接学生運動を体験したというのではなく、八王子出身の早熟の少女は60年代のアメリカ、イギリスの音楽の影響を強く受けたと同時に、日本の若者の感受性を感じとる感性を強く持っていた証左ととるべきであろう。

 ここで歌われた「いちご白書」は、1960年代後半のアメリカの学生運動が舞台の映画である。詳しくは、68年コロンビア大学の学園紛争をモデルにした小説の映画化である。
 映画は、政治にも学生運動にも興味のないボート部の学生が、スト中の学校の中で活動をしている可愛い女子学生を好きになり、紛争のただ中に入っていくという単純なストーリーだ。
 最後、大学側の要請で警官隊が催涙弾を噴射して学内に乱入して学生を学外へ強制退去する。このシーンは、東大安田講堂の陥落を見るようであったが、東大闘争は70年だから、アメリカの方が早いということになる。
 映画の中で歌われる歌は、バティー・セイントメリーの「サークル・ゲーム」。
ここでも、回転木馬に喩えて、帰り来ぬ青春を歌っている。
 「みんな時の回転木馬の捕らわれ人。戻れない過去を人は振り返るだけ」

 今日の平穏なキャンパスからは想像もできないが、このような学生生活、学園闘争が、アメリカにも日本にもあったということである(もちろん、フランスにもあった)。
 そして、このようなシチュエーションを題材とした歌が、若者の心をとらえヒットしたということである。
 映画の中での「サークル・ゲーム」は歌う。
 「今を楽しめ、残り時間も長くはない。回転木馬もじきに速度が鈍る」と。
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