オリヴィエ・ダアン監督 マリオン・コティヤール ジェラール・ドバルデュー 2007年フランス/チェコ/イギリス合作
天才とは、そのような生き方しかできない人である。
だから、その生き方で認められ、名声や富を得ようとも幸せとは限らない。なぜなら、幸せとは周囲や関わっている世界との関係で決まり、極めて個人的な価値観だからだ。
エディット・ピアフはシャンソンの大御所的存在だった人で、シャルル・アズナブールやイブ・モンタンを見いだし、愛人関係にもあった恋多き人である。そして、彼女の歌には、いまだ歌い継がれている素晴らしい曲、有名な曲が数多くある。
ところが、エディット・ピアフを僕はあまり好きではなかった。
ピアフの代表的な歌の「愛の讃歌」や「バラ色の人生」を誰かが歌っているのを聴くと、何だかむず痒くなってくるのだった。そんなに、素晴らしい愛だ、幸せだと大声で訴えなくてもいいだろうという気持ちになってくるのだ。
つまり、愛を熱唱する歌より、愛に傷ついた思いや、愛なんて何になるのといった、愛を哀しんだり、中傷したりする歌が好きなのだった。
ところが、このピアフの映画を見て、この歌に対する思いが少し変わった。
この愛を滔々と讃える歌は、ピアフの哀しみと苦しみに彩られた人生の果てにたどり着いた思いを訴えたものであった。ピアフだからこその歌だったのだ。やはり、僕はピアフの上っ面しか知らなかった。
「愛の讃歌」や「バラ色の人生」は、ピアフ以外の人が歌うと、特に素人が歌うと、往々にその重みに見合うことなく、俗っぽい歌に聞こえるのも道理である。
ピアフは、子どもの頃に苦労して育ち、その天才的な歌唱力で、大スターの地位を築いた人間である。そして、晩年は孤独と薬に悩まされ、四十代で死んでいった。
ピアフが舞台で倒れた場面は壮絶であった。
「パダン、パダン、パダン…、このメロディーが追いかけてくる。…このメロディーが私を指…」と歌ったところで、突然彼女は倒れる。
ピアフの歌の中では、個人的には、この「パダン、パダン」(Padam…padam)が一番好きな歌だ。だから、この歌が始まったときは身を乗り出して見入り(聴き入り)、突然倒れたときは、息を詰めた。
ピアフが、息を引き取る前に流れる「水に流して」(Non,je ne regrette rien.)もいい歌だ。
「いいことも、悪いことも、何も後悔してはいない…」
こんな台詞を残して死ねたらいい。
ピアフを演じたマリオン・コティヤールは、ピアフになりきっていた。ジェラール・ドバルデューがプロデューサー役で出ていたのは愛嬌か。
僕はずっと、ピアフと美空ひばりを何となく重ねていた。
もちろん、まったく違う生き方であるが、どちらも天才である。その天才の持つ孤独と舞台への執念は、この映画を見て改めて共通していると感じた。
ピアフとは、「雀」の意味である。
フランスの「すずめ」と日本の「ひばり」。どう見ても、似ている。まるで、示し合わせたようである。
天才とは、そのような生き方しかできない人である。
だから、その生き方で認められ、名声や富を得ようとも幸せとは限らない。なぜなら、幸せとは周囲や関わっている世界との関係で決まり、極めて個人的な価値観だからだ。
エディット・ピアフはシャンソンの大御所的存在だった人で、シャルル・アズナブールやイブ・モンタンを見いだし、愛人関係にもあった恋多き人である。そして、彼女の歌には、いまだ歌い継がれている素晴らしい曲、有名な曲が数多くある。
ところが、エディット・ピアフを僕はあまり好きではなかった。
ピアフの代表的な歌の「愛の讃歌」や「バラ色の人生」を誰かが歌っているのを聴くと、何だかむず痒くなってくるのだった。そんなに、素晴らしい愛だ、幸せだと大声で訴えなくてもいいだろうという気持ちになってくるのだ。
つまり、愛を熱唱する歌より、愛に傷ついた思いや、愛なんて何になるのといった、愛を哀しんだり、中傷したりする歌が好きなのだった。
ところが、このピアフの映画を見て、この歌に対する思いが少し変わった。
この愛を滔々と讃える歌は、ピアフの哀しみと苦しみに彩られた人生の果てにたどり着いた思いを訴えたものであった。ピアフだからこその歌だったのだ。やはり、僕はピアフの上っ面しか知らなかった。
「愛の讃歌」や「バラ色の人生」は、ピアフ以外の人が歌うと、特に素人が歌うと、往々にその重みに見合うことなく、俗っぽい歌に聞こえるのも道理である。
ピアフは、子どもの頃に苦労して育ち、その天才的な歌唱力で、大スターの地位を築いた人間である。そして、晩年は孤独と薬に悩まされ、四十代で死んでいった。
ピアフが舞台で倒れた場面は壮絶であった。
「パダン、パダン、パダン…、このメロディーが追いかけてくる。…このメロディーが私を指…」と歌ったところで、突然彼女は倒れる。
ピアフの歌の中では、個人的には、この「パダン、パダン」(Padam…padam)が一番好きな歌だ。だから、この歌が始まったときは身を乗り出して見入り(聴き入り)、突然倒れたときは、息を詰めた。
ピアフが、息を引き取る前に流れる「水に流して」(Non,je ne regrette rien.)もいい歌だ。
「いいことも、悪いことも、何も後悔してはいない…」
こんな台詞を残して死ねたらいい。
ピアフを演じたマリオン・コティヤールは、ピアフになりきっていた。ジェラール・ドバルデューがプロデューサー役で出ていたのは愛嬌か。
僕はずっと、ピアフと美空ひばりを何となく重ねていた。
もちろん、まったく違う生き方であるが、どちらも天才である。その天才の持つ孤独と舞台への執念は、この映画を見て改めて共通していると感じた。
ピアフとは、「雀」の意味である。
フランスの「すずめ」と日本の「ひばり」。どう見ても、似ている。まるで、示し合わせたようである。
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