先月発表された第148回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)で、芥川賞は黒田夏子の「abさんご」に、直木賞は朝井リョウの「何者」と安部龍太郎の「等伯」の2作受賞が決まった。
芥川賞の黒田夏子は75歳で、史上最年長である。芥川賞が純文学の登竜門であること、直木賞がある程度作家としての実績が認められた人であることを考えれば、芥川賞は若い人で、直木賞はある程度年輩になるのも当然と考えるのが普通であろう。
ということから鑑みても、直木賞の朝井リョウが23歳であるから、年齢だけで見たら、黒田、朝井の2人の賞は逆ではないかと思うのが一般的だ。
芥川賞は、時々というかしばしばというか、やはり話題を狙ったものだろうという考えを起こさせる。 賞を創設した文芸春秋の菊池寛も、当初より、この芥川・直木賞は半分は雑誌の宣伝のためだと、商業主義であることを公言しているので、そのことでとやかく言うことはない。
これまで芥川賞の最年長者は、1974年受賞(73年後期作品)の森敦だった。
このとき文壇には、61歳の受賞に少し驚きとともに、ときめきがあった。というのも、森は旧制一高を中退した後、若いとき「酩酊舟」(よいどれぶね)でその才能を注目され、太宰治や壇一雄などと交友があった、知る人ぞ知る人物だった。その後、文壇からも姿を消し、放浪に出ていたとか、ダム現場で働いていたとか、東北・庄内の寺にいたとかいわれている幻の作家だったからである。
そして、森はある程度年をとってからか東京に戻ってきて、印刷所で働きながら、出勤前にぐるぐる回る山手線の電車のなかで、「月山」を書いたという話が伝わってきた。
長い沈黙を破って彼が世に問うた「月山」は、新人作としては突出したものだった。いや新人の作品と言えば失礼にあたる、文学史に残る質の高い作品だと僕は思った。
受賞後に、「ずっと、書けば(書こうと思えば)、そこそこのものは書けると思っていた」といった意味のことを森が語ったのが、過信ではなく納得させる実力を表していた。
僕は当時、文芸誌とは無縁の、というよりは正反対の若者向けの雑誌の編集をしていた。しかし、僕は森敦の人間味に惹かれ、彼の芥川賞受賞後、すぐに彼に家に取材に行った。僕はまだ20代で、怖いもの知らずだったのだ。
森は当時、京王線の調布市・布田のアパートに住んでいた。彼は、人なつっこい笑顔で迎えてくれ、別の部屋からコーヒーを出してくれた。そして、僕が見本でもってきた雑誌を見ながら、ほうこんな本か、面白いねと言って、軽薄そうなヌードなんかの載っている雑誌を貶(けな)すことなく、面白がってくれた。
その後、森は市ヶ谷の一軒屋に居を移したが、たまに話を聞きに訪ねても、いつもにこやかに対応してくれた。体も大きかったが、懐(ふところ)も深い人だった。
その森敦の年齢を大幅に超えて、最高齢で芥川賞を受賞した黒田夏子の「a b さんご」である。
横書きと平仮名多用が話題となっている。作品についての文学的な質を語る立場ではないのでそれは書かないが、選評を読んでもおおむね評価の高い、この特徴と言われている2点について、僕は次のように感じた。
横書きについては、ワープロ、パソコンの使用以来、当たり前にみんなが横書きで書いているはずだから、別に新しくも前衛的でもない。欧文や数字を多用する文章ならならなおさらだ。
現在、科学書や実用書などはその機能的利便性から多くが縦・横書き併用か横書きだ。文芸作品も、過去にも稀に横書きが出版されている。
ただ、漢字も含めて日本語の文字は、元来筆順も含めて縦書きとして作られている。だから、小説を含めて文学作品は縦書きがほとんどとなっている。今後横書きが増えるとしても、日本語の文字の宿命のようなものは背負っていると言える。
問題は、なぜ横書きに固執しているのかだろう。
黒田は芥川賞作品発表誌の「文芸春秋」のなかの、下重暁子によるインタビューで、「情緒的で湿った感じを避けたかった。横書きだと数字やアルファベットがすんなり入るし、とても機能的」と発言している。
横書きの利点はまさにそうである。
しかし、彼女の作品を読んでみると、数字やアルファベットがすんなり入るような機能を目指した文体とは思えない。数字は漢数字であり、アルファベットは単字としてa とb を使っているのみで、機能を重視したための横書きであるのなら機能していないといえる。
いや逆に、彼女は本来漢字で書くべきところをあえて平仮名で書いているように、機能的でない文章を作ることを意図しているとしか思えない。
選考委員で一人、山田詠美が疑問を呈していたが、「蚊帳」のことを「へやの中のへやのようなやわらかい檻」と書いていたり、「傘」のことを「天からふるものをしのぐどうぐ」と書くことは、機能的なる表現に逆らっていて、情緒的なのではないかと思った。
僕は、このような大和言葉を多用した文こそ、縦書きの、それこそ筆書きの草書体あたりで読ませる文だと思ったのだが。
芥川賞も直木賞も、選考委員はすべて作家である。僕も、大森望、豊崎由美が唱えているように、現在自分で辞めると言うまで続けられる終身制である選考委員の4年程度の任期制と、選考委員に半数ぐらい文芸評論家を入れるようにすべきだと思う。
そうすると、ずいぶん賞も変わるだろうし、白熱した議論がたたかわされるに違いない。
芥川賞の黒田夏子は75歳で、史上最年長である。芥川賞が純文学の登竜門であること、直木賞がある程度作家としての実績が認められた人であることを考えれば、芥川賞は若い人で、直木賞はある程度年輩になるのも当然と考えるのが普通であろう。
ということから鑑みても、直木賞の朝井リョウが23歳であるから、年齢だけで見たら、黒田、朝井の2人の賞は逆ではないかと思うのが一般的だ。
芥川賞は、時々というかしばしばというか、やはり話題を狙ったものだろうという考えを起こさせる。 賞を創設した文芸春秋の菊池寛も、当初より、この芥川・直木賞は半分は雑誌の宣伝のためだと、商業主義であることを公言しているので、そのことでとやかく言うことはない。
これまで芥川賞の最年長者は、1974年受賞(73年後期作品)の森敦だった。
このとき文壇には、61歳の受賞に少し驚きとともに、ときめきがあった。というのも、森は旧制一高を中退した後、若いとき「酩酊舟」(よいどれぶね)でその才能を注目され、太宰治や壇一雄などと交友があった、知る人ぞ知る人物だった。その後、文壇からも姿を消し、放浪に出ていたとか、ダム現場で働いていたとか、東北・庄内の寺にいたとかいわれている幻の作家だったからである。
そして、森はある程度年をとってからか東京に戻ってきて、印刷所で働きながら、出勤前にぐるぐる回る山手線の電車のなかで、「月山」を書いたという話が伝わってきた。
長い沈黙を破って彼が世に問うた「月山」は、新人作としては突出したものだった。いや新人の作品と言えば失礼にあたる、文学史に残る質の高い作品だと僕は思った。
受賞後に、「ずっと、書けば(書こうと思えば)、そこそこのものは書けると思っていた」といった意味のことを森が語ったのが、過信ではなく納得させる実力を表していた。
僕は当時、文芸誌とは無縁の、というよりは正反対の若者向けの雑誌の編集をしていた。しかし、僕は森敦の人間味に惹かれ、彼の芥川賞受賞後、すぐに彼に家に取材に行った。僕はまだ20代で、怖いもの知らずだったのだ。
森は当時、京王線の調布市・布田のアパートに住んでいた。彼は、人なつっこい笑顔で迎えてくれ、別の部屋からコーヒーを出してくれた。そして、僕が見本でもってきた雑誌を見ながら、ほうこんな本か、面白いねと言って、軽薄そうなヌードなんかの載っている雑誌を貶(けな)すことなく、面白がってくれた。
その後、森は市ヶ谷の一軒屋に居を移したが、たまに話を聞きに訪ねても、いつもにこやかに対応してくれた。体も大きかったが、懐(ふところ)も深い人だった。
その森敦の年齢を大幅に超えて、最高齢で芥川賞を受賞した黒田夏子の「a b さんご」である。
横書きと平仮名多用が話題となっている。作品についての文学的な質を語る立場ではないのでそれは書かないが、選評を読んでもおおむね評価の高い、この特徴と言われている2点について、僕は次のように感じた。
横書きについては、ワープロ、パソコンの使用以来、当たり前にみんなが横書きで書いているはずだから、別に新しくも前衛的でもない。欧文や数字を多用する文章ならならなおさらだ。
現在、科学書や実用書などはその機能的利便性から多くが縦・横書き併用か横書きだ。文芸作品も、過去にも稀に横書きが出版されている。
ただ、漢字も含めて日本語の文字は、元来筆順も含めて縦書きとして作られている。だから、小説を含めて文学作品は縦書きがほとんどとなっている。今後横書きが増えるとしても、日本語の文字の宿命のようなものは背負っていると言える。
問題は、なぜ横書きに固執しているのかだろう。
黒田は芥川賞作品発表誌の「文芸春秋」のなかの、下重暁子によるインタビューで、「情緒的で湿った感じを避けたかった。横書きだと数字やアルファベットがすんなり入るし、とても機能的」と発言している。
横書きの利点はまさにそうである。
しかし、彼女の作品を読んでみると、数字やアルファベットがすんなり入るような機能を目指した文体とは思えない。数字は漢数字であり、アルファベットは単字としてa とb を使っているのみで、機能を重視したための横書きであるのなら機能していないといえる。
いや逆に、彼女は本来漢字で書くべきところをあえて平仮名で書いているように、機能的でない文章を作ることを意図しているとしか思えない。
選考委員で一人、山田詠美が疑問を呈していたが、「蚊帳」のことを「へやの中のへやのようなやわらかい檻」と書いていたり、「傘」のことを「天からふるものをしのぐどうぐ」と書くことは、機能的なる表現に逆らっていて、情緒的なのではないかと思った。
僕は、このような大和言葉を多用した文こそ、縦書きの、それこそ筆書きの草書体あたりで読ませる文だと思ったのだが。
芥川賞も直木賞も、選考委員はすべて作家である。僕も、大森望、豊崎由美が唱えているように、現在自分で辞めると言うまで続けられる終身制である選考委員の4年程度の任期制と、選考委員に半数ぐらい文芸評論家を入れるようにすべきだと思う。
そうすると、ずいぶん賞も変わるだろうし、白熱した議論がたたかわされるに違いない。
「権威の賞味期限」というか、二三年前の芥川賞の受賞作ですら、はっきりと憶えている人の方が少ないのではないでしょうか。
日本社会の成熟化・多様化に伴い文学賞というものも、一部業界内の権威と位置付けられている気がします。
昨今の国民栄誉賞、ノーベル賞も然り。
かつてはノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士が世界平和を語り継いだ。今日では、民主党の事業仕分けで居並ぶ
ノーベル賞科学者達が、スパコン「京」の予算を巡り “二位じゃダメ、ダメ!もっとカネ寄こせ!”という按配。
仮に芥川賞を廃止しても、世論の反応は低いと思います。話題騒然となるとすれば業界内のトピックスとして、日々流れ行く情報の一つになるような気がしてなりません。
だから、意図した話題作りが透けて見えてくるのだと思います。
確かに、2、3年前の芥川賞の受賞作も(直木賞も)思い出せないほど、賞味期限は短くなっています。
このことについては、音楽についても、言えることかもしれません。