かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

幕末における異人との恋の行方、「野いばら」

2012-05-17 02:31:04 | 本/小説:日本
 鎖国の扉を開かざるを得なくなった江戸幕末から明治にかけて、今までにない恋の形が花開いた。その一つに、異人(外人)との恋があげられよう。
 この異人との愛で世界的に有名なのは、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」(マダム・バタフライ)をあげることができる。原作者はアメリカ人のジョン・ルーサー・ロングで、モデルは長崎の観光地・グラバー亭で有名な、イギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーの妻ツルなどの説があるが、物語は創作である。
 それと、有名なのは「唐人お吉」だろう。下田にて、日本の初代アメリカ総領事となったタウンゼント・ハリスに使えたお吉(本名、斎藤きち)の物語だ。こちらは実際にあった話で、恋愛とは言えないが小説や映画にもなり、すっかり名前は有名になった。

 唐人とは、もともとは中国人を指していたであろうが、のちに外国人一般を指す言葉となった。西洋人を特定した蔑称では「毛唐」とも言っていた。
 佐賀市や福岡市には、唐人町という町名がいまも残っていて、古くから中国人が居住していたことがうかがえる。この名は、いわば横浜や長崎にある中華街のことであろう。
 佐賀県の唐津という名も、中国人が行き来していた港であることの名残だろう。

 幕末、尊皇攘夷と騒ぎたてた頃、僕らが想像していた以上に、外国人である異人との接触はあったようだ。長崎では、異人による日本人の現地妻(愛人)がかなりいた。また、長崎や横浜の遊郭には、異人の出没もかなりあったようだ。
 であるから、異人と遊女との疑似恋愛は数多くあったであろうし、まれに純愛もあったに違いない。
 「野いばら」(梶村啓二著、日本経済新聞出版社刊)は、現代と幕末を往来する物語である。
 この「野いばら」の本にも、「トージンジョロウ」(唐人女郎)という言葉が出てくる。
 唐人女郎は外国人相手の遊女のことだが、洋妾(ラシャメン)とも言っていた。ラシャメンとは、本来の意は毛織物の「羅紗緬(綿)」である。何だか毛織物の意味を通り越して、妖しい響きがある。
 この「野いばら」は、言っておくと唐人女郎の物語ではない。
 主人公は、植物の遺伝子情報の売買をする現代社会の会社員である。彼がヨーロッパに出張したとき立ち寄ったロンドン郊外で、ふとしたことから知り合った女性に、祖先が書いたというノート(日記)を読んでくれと頼まれる。
 このノートには、イギリスの外交官であった祖先が幕末の時期に来日し、その時の行動と思いが書かれたものだった。
 江戸(横浜)に上陸(赴任)した彼(日記のなかの祖先)は、緊迫した状況のなか、日本の情報収集の役目を負う。彼は日本語習得のために、日本語教師を雇うことにする。教えにやって来たのは女性だった。

 幕末の外交官では、イギリス人のアーネスト・サトウの本があるが、この本はそれを念頭に置いて書かれたのかもしれない。
 文章は上手いし、よく書かれた本である。うまく書き過ぎたところが、欠点といえる。計算して組み立てられたところが見てとれるからである。
 しかし、最近の小説としては興味深く読ませてくれる。
 幕末に、こんな恋があったら素晴らしいと思わせる。

 読み終わって、中島京子の「イトウの恋」(講談社)を思い出した。
 明治の初めにイザベラ・バードなるイギリス人の女性が日本に来て、東北から北海道を旅する。そのときの日本の印象を記したのが、「日本奥地紀行」である。そのとき通訳もかねて同行したのがイトウで、そのことを題材にした小説が「イトウの恋」である。
 僕はかねてから「日本奥地紀行」を何度も読もうと思いながら読まずにきているが、その前に「イトウの恋」を読んで、それがあまりに面白かったので、やはり原典も読まないとと改めて思ったのだった。しかし、いまだ未読でいる。
 そんな本が多いのである。

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