石坂洋次郎原作 西河克己監督 吉永小百合 浜田光夫 高峰三枝子 金子信雄 1962年日活
「北風吹き抜く……」という「寒い朝」のメロディが流れる中、この映画は始まる。曲は、その後レコード大賞「いつでも夢を」(吉永小百合、橋幸夫)などのヒット曲を生み出した、佐伯孝夫作詞、吉田正作曲のコンビによる、吉永小百合の記念すべきデビュー作である。
吉永小百合は、1960年代のアイドル・スターであった。いや、アイドルという言葉はまだできていなかったので、光るスターであった。スターはあまた生まれたけれど、当時の若者にとっては、その中でも吉永は特別の存在だった。
今でも、タモリに代表されるように、特別の存在であることを保っているという、希有なスターである。あれから40数年がたっているのだけれど、水面下では、声なきサユリストが相当数いると思われる。
吉永小百合は、日活入社当初は、「霧笛が俺を呼んでいる」(赤木圭一郎主演1960年)や「疾風小僧」(和田浩二主演1960年)などの当時のアクションスターの相手役として出演していたが、浜田光夫と共演、主演した「ガラスの中の少女」(1960年)あたりから、青春映画路線を確立していく。
そして、1961年には16本もの映画に出演している。
その中には、石原裕次郎と共演した「あいつと私」(中平康監督)や、小林旭の相手役(最初にして最後の共演)となったアクション映画の名作「黒い傷あとのブルース」(野村孝監督)などが含まれている。
その流れの中で、62年には不朽の名作ともいえる「キューポラのある街」(浦山桐郎監督)が生まれるのだが、この「赤い蕾と白い花」はその後の作品である。
話の内容は、片親同士の高校のクラスメート(吉永と浜田)が、お互いの家を行き来している間に、親同士(高峰と金子)も恋愛めいたものが生まれ、それに反抗して二人は家出をするが、すぐに所在がばれて、またもとの仲良しになるという、他愛のないものである。
吉永の母親(高峰三枝子)が当時隆盛を極めていた服装学校の院長で、浜田の父親(金子信雄)が個人病院の医師という典型的な上流階級の、1962年、つまり昭和37年とは思えないような生活様式であった。
二人はいつもきちんとした私服(学生服でない)で、放課後だと思うが昼下がりはテニスをしているのであった。浜田は、教科書は鞄に入れず、当時大学生に流行ったブックバンドで留めていた。
住まいは、お手伝いさんのいる洒落た造りの庭のある戸立てで、テーブルには高級ウイスキーが置いてある。場所も、典型的高級住宅地の田園調布である。
映画が始まった最初は、二人とも大学生で、不良性を抜き取った優等生の石原裕次郎的映画かと思った。
この映画では、日活アクションでは悪役をやった癖のある個性派の金子信雄が、何の変哲もない紳士的な親父である。妖艶で陰のある女である高峰三枝子が、これまた何の陰影も持たない女となっている。
吉永と浜田が家出して二人で旅館に泊まるが、ラブシーンも際どい行為も行われない。最後にやっと頬にキスするシーンが無理やり作り出されるが、胸のときめきもない。
今見れば、毒にも薬にもならない映画である。
原作の石坂洋次郎作品が、数十年をへて本屋から消滅したのも頷ける。その後、吉永は石坂原作の「若い人」「青い山脈」「光る海」などに出演している。
おそらく、今読まれているベストセラーも、流行作家の作品も、さらに生命は短く消え去るのだろう。生き残る文学も少ないのだ。
「キューポラのある街」で、吉永は賞を総なめにし、青春スターから演技派へと開眼したはずだったが、会社の都合か、それを生かし切れない凡庸な作品が続いた。若い恋物語に、反逆性も社会性もないハッピーエンドに、何の意味や価値があろうか。
それでも、翌63年に、身分の違うラブストーリーの名作「泥だらけの純情」(藤原審爾原作、中平康監督)を生み出している。
この映画「赤い蕾と白い花」のストーリー性はともかく、見られるのは、吉永小百合のキラキラとした表情である。いつも前を見ている瞳である。
このつぶらな(と言う古典的表現が当てはまる)瞳を見るために、当時の若者は映画館に通っていたものである。
当時、吉永小百合はまだ高校生。
若者は、吉永の前を見つめる延長線を見ていた。何かが生まれるに違いないという明日、今の自分ではない違ったあるべき姿の未来の自分、そういった夢を共有していたのだ。
その共同夢想の中で、日本は高度成長していった。
今、かつての吉永小百合のような、青春スターと呼ばれるスターはいるのだろうか。
思いつくまま、あげてみると、
堀北真希、上戸綾、長澤まさみ、沢尻エリカ、綾瀬はるか、蒼井優……
ネットに載っていたある調査による、「学園ドラマに出演してほしい女優」ランキングは、
1.新垣結衣、2.堀北真希、3.夏帆、4.成海璃子、5.北乃きい
スターの中には、吉永小百合のようにいつまでも輝いている恒星もいれば、いつの間にか消えている流れ星もいる。
夜空には、無数に星が出ている。これから、星の輝く季節である。
「北風吹き抜く……」という「寒い朝」のメロディが流れる中、この映画は始まる。曲は、その後レコード大賞「いつでも夢を」(吉永小百合、橋幸夫)などのヒット曲を生み出した、佐伯孝夫作詞、吉田正作曲のコンビによる、吉永小百合の記念すべきデビュー作である。
吉永小百合は、1960年代のアイドル・スターであった。いや、アイドルという言葉はまだできていなかったので、光るスターであった。スターはあまた生まれたけれど、当時の若者にとっては、その中でも吉永は特別の存在だった。
今でも、タモリに代表されるように、特別の存在であることを保っているという、希有なスターである。あれから40数年がたっているのだけれど、水面下では、声なきサユリストが相当数いると思われる。
吉永小百合は、日活入社当初は、「霧笛が俺を呼んでいる」(赤木圭一郎主演1960年)や「疾風小僧」(和田浩二主演1960年)などの当時のアクションスターの相手役として出演していたが、浜田光夫と共演、主演した「ガラスの中の少女」(1960年)あたりから、青春映画路線を確立していく。
そして、1961年には16本もの映画に出演している。
その中には、石原裕次郎と共演した「あいつと私」(中平康監督)や、小林旭の相手役(最初にして最後の共演)となったアクション映画の名作「黒い傷あとのブルース」(野村孝監督)などが含まれている。
その流れの中で、62年には不朽の名作ともいえる「キューポラのある街」(浦山桐郎監督)が生まれるのだが、この「赤い蕾と白い花」はその後の作品である。
話の内容は、片親同士の高校のクラスメート(吉永と浜田)が、お互いの家を行き来している間に、親同士(高峰と金子)も恋愛めいたものが生まれ、それに反抗して二人は家出をするが、すぐに所在がばれて、またもとの仲良しになるという、他愛のないものである。
吉永の母親(高峰三枝子)が当時隆盛を極めていた服装学校の院長で、浜田の父親(金子信雄)が個人病院の医師という典型的な上流階級の、1962年、つまり昭和37年とは思えないような生活様式であった。
二人はいつもきちんとした私服(学生服でない)で、放課後だと思うが昼下がりはテニスをしているのであった。浜田は、教科書は鞄に入れず、当時大学生に流行ったブックバンドで留めていた。
住まいは、お手伝いさんのいる洒落た造りの庭のある戸立てで、テーブルには高級ウイスキーが置いてある。場所も、典型的高級住宅地の田園調布である。
映画が始まった最初は、二人とも大学生で、不良性を抜き取った優等生の石原裕次郎的映画かと思った。
この映画では、日活アクションでは悪役をやった癖のある個性派の金子信雄が、何の変哲もない紳士的な親父である。妖艶で陰のある女である高峰三枝子が、これまた何の陰影も持たない女となっている。
吉永と浜田が家出して二人で旅館に泊まるが、ラブシーンも際どい行為も行われない。最後にやっと頬にキスするシーンが無理やり作り出されるが、胸のときめきもない。
今見れば、毒にも薬にもならない映画である。
原作の石坂洋次郎作品が、数十年をへて本屋から消滅したのも頷ける。その後、吉永は石坂原作の「若い人」「青い山脈」「光る海」などに出演している。
おそらく、今読まれているベストセラーも、流行作家の作品も、さらに生命は短く消え去るのだろう。生き残る文学も少ないのだ。
「キューポラのある街」で、吉永は賞を総なめにし、青春スターから演技派へと開眼したはずだったが、会社の都合か、それを生かし切れない凡庸な作品が続いた。若い恋物語に、反逆性も社会性もないハッピーエンドに、何の意味や価値があろうか。
それでも、翌63年に、身分の違うラブストーリーの名作「泥だらけの純情」(藤原審爾原作、中平康監督)を生み出している。
この映画「赤い蕾と白い花」のストーリー性はともかく、見られるのは、吉永小百合のキラキラとした表情である。いつも前を見ている瞳である。
このつぶらな(と言う古典的表現が当てはまる)瞳を見るために、当時の若者は映画館に通っていたものである。
当時、吉永小百合はまだ高校生。
若者は、吉永の前を見つめる延長線を見ていた。何かが生まれるに違いないという明日、今の自分ではない違ったあるべき姿の未来の自分、そういった夢を共有していたのだ。
その共同夢想の中で、日本は高度成長していった。
今、かつての吉永小百合のような、青春スターと呼ばれるスターはいるのだろうか。
思いつくまま、あげてみると、
堀北真希、上戸綾、長澤まさみ、沢尻エリカ、綾瀬はるか、蒼井優……
ネットに載っていたある調査による、「学園ドラマに出演してほしい女優」ランキングは、
1.新垣結衣、2.堀北真希、3.夏帆、4.成海璃子、5.北乃きい
スターの中には、吉永小百合のようにいつまでも輝いている恒星もいれば、いつの間にか消えている流れ星もいる。
夜空には、無数に星が出ている。これから、星の輝く季節である。
昭和37年6月10日とあるから今から46年前に遡る。
とても良い映画であった。
主題歌「北風吹きぬく・・・」これが又とてつもなく良かった。今でも良いが、さすが吉田 正先生ももっとも好きな歌である。
高村光太郎の道程ではないが吉永小百合の前に吉永小百合はいない。吉永小百合の後にも吉永小百合はいない。
この希な気高い小百合様と同時代を過ごすことのできる
私たちはなんと幸せなのだろう!
小百合様の映画や歌は勿論、小百合様の生き様までが私たちに夢と希望と正義とは何かを教えている。
吉永小百合様に感謝!
(TBSラジオ日曜22:30-23:00 今晩は 吉永小百合です。)を毎週欠かさず聴いてます。