かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

漢字の持つ意味を考えさせる、「韓国が漢字を復活できない理由」

2013-03-21 03:30:41 | ことば、言語について
 僕が初めて韓国に行ったのは1985(昭和60)年のことだった。
 李成愛が歌う「釜山港へ帰れ」のメロディーをくちずさみながら、下関から船に乗って釜山へ向かった。当時の両国の関係は、まだ戦前時代の日韓併合の歴史的遺恨感情も色濃く残っていて、近くて遠い国と言われていた。お互いの国同士の文化の交流もほとんどなく、今みたいに活発に観光客が行き来していた時代ではなかった。
 しかし、韓国へは一度は行ってみたいと思っていた。
 韓国語を勉強したわけでもなかったが、韓国も元々は漢字の国だから何とかなるだろうと思って、ホテルも予約せずに一人で船に乗ったのだった。下関を夕方出発した船は、翌早朝釜山に着いた。
 釜山へ着いたら、僕のあてはまったく外れた。そこには、どこにも漢字の表示はなく、英語表示もなく、わけのわからない記号のようなハングルだけの世界が待っていた。
 それでも、日本語が話せる地元の人に出会ったりして、釜山から慶州、そしてソウルと楽しく旅することができたのは幸いだった。帰りは、逆のコースで、釜山から下関に船で帰ってきた。

 かつては韓国も、日本が漢字と仮名を混ぜて活用しているように、漢字とハングルを混ぜて活用していた。新聞も、漢字とハングルを併用していた。それが、いつしかハングルだけの世界になっていたのだ。
 ハングルだけの文といえば、日本語でいえば平仮名(ひらがな)だけの文と同じである。平仮名だけの文は、簡単で易しい文だったら問題ないが、複雑な文や専門書だとかえって分からなくなる。
 極端に平仮名を多用した小説である今年の芥川賞の黒田夏子作「a b さんご」は、必要以上に漢字を使わない日本語がいかに読みづらいかを教えてくれた。日本語には、漢字は適度に必要なのである。
 漢字を追放してハングルだけにした韓国だが、韓国人は、ハングルだけの文で意味がすぐにわかるのだろうか、かえって不便でないのだろうかという疑問がずっと残っていた。

 *

 「韓国が漢字を復活できない理由」(豊田有恒著、祥伝社刊)は、日本語と韓国語の違いを解説しながら、韓国語およびハングル文字の過去と現状を述べたものである。そして、韓国語がいかに漢字を下敷きにした言葉かを解説したものである。

 ご存知のように、ハングルは15世紀に作られた文字である。
 それまで韓国は、かつて日本が中国から借用した漢字のみで文字、文章を書いていたように、文字は漢字のみだった。新しく作られたハングルは、計算された合理的な文字である。しかし、ハングルは「諺文」(オンムン)と呼ばれ、長い間普及しなかった。特に、関学、儒学に素養のある人からは蔑まされていたという。
 韓国の歴史ドラマを見ても、ドラマに出てくる文書は漢字だけの漢文である。
 そして近代に入り、日韓併合下の時代に日本語を強要される。ということは、日本語は漢字を多用しているので、日本語漢字を使用することになる。
 そういう経過もあって、韓国は戦後独立した後、占領していた日本を根本から払拭するために、漢字の使用を禁じるようになり、それが今日まで続いているのだった。日本を否定することが、漢字を使わない国策になったのだ。

 今日、急速な日韓交流のおかげで、われわれは、「こんにちは」という挨拶が、「アンニョン・ハシムニカ」ということぐらい知っている。これは直訳すれば、「安寧(アンニョン)、していらっしゃいますか」ということらしい。
 日本語の漢字にも「安寧」はあり、「あんねい」と読み、辞書を見れば「社会が穏やかで平和なこと」とあるように、日本では挨拶では使わない硬い表現であるが意味深い言葉である。
 このように、「アンニョン・ハシムニカ」は、漢字にすればとてもわかりやすい。「安寧、していらっしゃいますか」は、なかなかあいさつとしてはいいではないか。このアンニョンは、朝、昼、晩の挨拶にも使われる。いわゆる英語の「good morningグッド・モーニング」や「good nightグッド・ナイト」のようなものだ。

 日本の漢字は、音と訓があって、字によっては伝達の時代の違いによって、さまざまな読み方がある。例えば「京」を例にとると、呉音だと「キョウ」、漢音だと「ケイ」、唐音だと「キン」となるように複雑だ。
 韓国では、李朝時代に漢字の訓を廃止し、音も数少ない例外を除いて統一した。だから、1字1音が原則となっている。
 日本の漢字が様々に読み替えられるのを何て無駄な、統一すればいいのにと僕も思ったこともあった。しかし、同音異義語を区別するという効果もあるのだ。
 ところで、東京と横浜をつなぐ路線を京浜(ケイヒン)と呼ぶのはどのような裏付けがあるのだろう。キョウハマだと無理に結びつけた重箱読みだし、キョウヒンだと響きがよくないからか。おそらく漢音で統一したのだろう。こうした後で作られた漢字熟語の呼び方は、国語学者に相談して決めるのだろうか。

 ところで、韓国のように1音1字にすると多くの同音異義語が出てくる。しかも表記をハングルだけにすると、その裏付けとなっている漢字が表に出てこなくなる。もっとも漢字を教育されていない若い人は、出てこないのは当然のこととなる。
 漢字は表意文字であるから、それを見ると意味がわかる。漢字による言葉・熟語だと初めて見る単語でも、何となく意味が読みとれる。
 ハングルは表音文字だから、それだけではアルファベットの文字と同じで意味はない。ハングル文字を見てすぐに漢字が出てこないと、意味が出てこなくなるのではないかと、余計なお世話かもしれないが危惧してしまう。

 日本でも、明治と戦後の一時期、漢字の縮小・廃止や日本語のローマ字化を唱える人がいたが、そうはならなかった。
 日本語の生い立ちからして、漢字は日本語に必用なのである。平仮名だけでは生きられない。ましてや、ローマ字だけでは意味をなさないだろう。

 表意文字の漢字と表音文字のアルファベットを比べると、言語の幹がまったく違うので、その発生と結果を見るのは非常に興味深い研究課題だが、日本人が漢字と仮名混じり文を工夫発展させたことは、大きな文化革命だったと思う。仮名にしても、平仮名と片仮名がありその役割を使い分けている。外国人には、難しいという印象が強いが。
 確かに、こんなに難しい言語(国語)はないかもしれない。長い歴史のなかで、日本人は文法化することなく、さまざまな要素を言語表現として、器用に、悪く言えば無節操に取り汲んで、活用してきた。今でも、省略したり、意味を変えたり、良いか悪いか、日本語は無自覚に変容し続けている。
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