かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

恋愛と映画(読書)と旅が、「人生の教科書」

2012-10-22 20:26:08 | 本/小説:日本
 僕は、最近の教養論や人生論を説いた本は手にしない。ましてや、こうすればうまくいくとか、愛されるための10の法則といった、目先のことをうまくやりぬくといったハウツーものはまったく好まない。
 教養論や人生論で役に立つのは、時代を経て生きている古典で、今のハウツー本は、多くが小手先の方法論でしかないだろう。ましてや、説教調の本はうんざりしてしまう。
 だから、人に説教するのは嫌いだし、そんな身分でもない。

 ところが、最近、酒場で若い女の子を相手に飲んでいるとき、酔ったついでにこう言った。
 「人生を振り返り、僕を形作ったものをあげてみれば、次の3つだと言える。それは、恋愛と映画と旅」。
 そして、僕の青春時代と違って映画が活発でない最近の事情を鑑みて、おもむろに付け加えた。「映画を観ない人は本、読書と言ってもいい。僕には本より映画の方が影響力があったというに過ぎなく、どちらも想像力、イマジネーションを喚起させるという意味では同じだから」
 この自分の台詞が気に入って、その後しばしば使うようになった。つまり、大した人生でないにせよ僕の人生を作ったものは、「恋愛」と「映画もしくは本」と「旅」である、と思うようになったのである。

 なぜこんなことを書いたかというと、最近出版された、なかにし礼の「人生の教科書」(ワニブックス)を読んで、次の文章が書かれていたからである。
 その前に、教養論や人生論は好きでないと書いたが、好きな人物の本はちょいと読んでみる。なかにし礼も、彼の作詞家としてデビュー以来好きなので、関心があった。
 なかにし礼は、作詞家として数々のヒット曲を出しているのは周知のことだが、歌の方で彼の残した最高傑作は、何と言っても作詞・作曲にて自分で歌ったアルバム「マッチ箱の火事」と「黒いキャンバス」だと思う。
 「マッチ箱の火事」は、黒沢年男も歌った「時には娼婦のように」が収められているが、秀逸なのは「ハルピン1945年」である。自分のための、歌というよりは小説のようなアルバムだ。
 作家としての彼の作品では、満州からの引き揚げを描いた「赤い月」がストーリーとしては興味深く読んだが、兄との葛藤を描いた「兄弟」が最も彼らしさが出ていると感じた。

 そんななかにし礼の「人生の教科書」は、若い人に対する彼の人生の教訓のような内容だが、次のような文章があった。
 人生の「成長に必要な三つのイニシエーション」として、「突き詰めて言えば、「旅」と、「恋愛」と、「読書」だ」。
 この文章にぶつかったとき、礼さんもそうなのかと内心僕はにんまりした。
 彼は、「人が「旅」「恋愛」「読書」をまっとうに追及し、成長していくとどうなるか。時間の感覚が変わる」と、続ける。「成長しようとすれば、時間が無限に拡大する、それは人生を走っているからだ」と言うのである。
 そして、「重要なのは、成長しようとして走ることを持続することだ」と言う。
 最近ガンを治癒させて仕事にも復帰し、今なお走ることをやめないなかにし礼だからこその、説得性のある言葉だ。

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