かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

□ 乳と卵

2008-06-26 15:08:48 | 本/小説:日本
 川上未映子著 文学界、文藝春秋
 
 時折、過剰に饒舌な文章に出合う。読点(、)で繋いで、長々と続く切れ目のない文章のことである。
 それは、実験的な小説であったり、作家の奇を衒った企みであったりするが、日本語としては正当だとは思えないので、生理的に苦手である。
 だから、町田康や阿部和重、それに蓮実重彦(元東大総長)にしても、読み始めてもなかなか完読できなかった。

 本書は、平成19年度下期、138回芥川賞受賞作である。
 この小説も、行変えの少ない、切れ目のない長い文章である。大阪弁が時折挟み込まれている。作者は大阪出身で、歌手活動も行っている。
 こう書くと、町田康の女性版ではないかと思ってしまうが、決してそうではない。
 文を句点で切らずに連続させるのに、せっかちに言葉がぽんぽんと出てきているといった、急いた感じはないのである。むしろ、のんびりとした印象すら受けるのである。
 これは作者が女性であるというのと無縁ではないだろう。長いのに、文が柔らかいのだ。それに、文章は乾いているのに、発想が女性特有の生理的な妖しさを孕んでいる。
 だから、饒舌な文体は苦手なのだが、すんなりと読めたのだった。

 内容は、大阪から上京した母(姉)と娘(姪)のことを、二人を迎えた妹(姪からすれば叔母)を中心にそえて語る話なのだが、何か起こるわけではない。その母(姉)は豊乳手術を受けに上京したのだが、娘(姪)は反対の考えなのだ。
 冒頭、いきなり卵子の話から始まるのは、女性の乳房の整形、生殖器に関連する話だからである。しかし、小説としてはかなり奇形である。
 話は、脈絡ないように進むが、著者はかろうじて塀の上から落ちないで渡りきる。それに、娘の文は○で別枠にしているという、素人並みの構成である。
それらが、著者の綿密な計算の上か偶然かは判断が難しいと思わせるほど、危うい文章であり拙く見える構成である。
 そもそも長々と続く文章は、狡猾か幼稚かである(と私は勝手に思っている)。
 それでも、何かがあると思わせるのだから、奇妙な小説である。
コメント
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