かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ 夜ごとの美女

2007-06-01 15:58:15 | 映画:フランス映画
 ルネ・クレール監督 ジェラール・フィリップ マガリ・ヴァンドイユ ジーナ・ロロブリジーダ マルチーヌ・キャロル 1952年仏

 私も、タモリの言葉を借りれば妄想族のきらいがある。すぐに夢みるし、すぐに現実に戻される。夢みている間だけは、ロマンチックな気分に浸ることができるが、現実は甘くはない。現実が甘くないから、夢みるのか。
 かといって、夢とて甘いものだけとは限らない。厳しいものや辛いものもある。しかし、夢ぐらい、どうせ現実に戻されるのなら、甘い夢を見たいもの。
 人は夢みながら、現実を生きていく。いや、現実を生きながら、夢みていく。どっちなんだ!

 この映画は、さえないピアノ教師が、大音楽家になるのを夢みる物語である。アパートのベッドで、カフェで、教室で、ピアノを教えている途中で、彼は眠り、夢を見る。
 彼は、今の生活にうんざりしている。外の騒音、教室では生徒の悪戯騒ぎ、何もかもが腹立たしい。すると、隣にいた年寄りが、「昔は良かった」と話している。その一言で、昔に戻っていく。もちろん、夢の中でだ。
 時代は、どんどん遡っていく。フランス革命時代へ、中世騎士道の時代へ、そしてついに太古の時代まで行ってしまう。夢の中では、彼は望むものを今まさに手に入れようとする。
 しかし、昔が良いとは限らない。いつの時代でも、良いものの陰には悪いものが大量に埋積している。だから、彼の夢はうまくいきそうで、すんなりとはいかない。彼は過去に戻ってはみたものの、再び現代へ帰ってくる。
 つまり、彼は眠りの中で、スペクタクルとロマンスを体験する。その夢の間、美女が登場する。ロマンスが繰り広げられる。そして、眠りから覚めるたびに、現実が待っている。
 果たして、恋する美女は、どこにいるのか。夢の中だけに存在するのか。
 現実に戻ると、その恋する美女は、身近にいた。階下の、うるさい騒音を出す自動車修理工の娘だった。

 この映画は、「青い鳥」のラブロマンス編と言える。幸せはすぐ近くにあるものだと、幾つもの夢物語を通して、伝えている。
 美男子、ジェラール・フィリップの魅力を遺憾なく発揮した映画である。
 彼の、少し寂しげで頼りない雰囲気が、しがない芸術家によくあっている。「しのび逢い」、「モンパスナスの灯」などの映画に見られるように、パリの下町にたたずませれば、その存在感はほどよく調和されて、退廃的な中にも美しさが滲み出てくる。
 彼がよく行くカフェのマダムで、夢ではアラビアの王の娘に扮するジーナ・ロロブリジーダが色っぽい。
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