かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ 月の輝く夜に

2007-06-15 01:50:15 | 映画:外国映画
 ノーマン・ジュイソン監督 シェリー ニコラス・ケイジ オリンピア・デュカキス 1987年米

 月にまつわる神話や伝説は洋の東西を問わず多く語り継がれている。そして、人間を狂わす話も多い。
 ラテン語では月のことを luna と呼び、スペイン語でもイタリア語でもそうである。フランス語は lune である。
 英語の辞書を引いてみると、lunacy は精神異常、狂気であり、lunatic は狂人、狂人のと出ている。つまり、語源的に月と狂気は同じに考えられていたようだ。
 日本語では、月は古くは「つく」とも言っていた。古語辞典を見ても、月夜は、「つきよ」と同じく「つくよ」とも出ている。民俗学者の中には月は「憑く」から来ているという人もいる。
 
 月の輝く夜は、僕は女性ではないが胸騒ぎがする。月に見とれてしまう。
特に満月の夜は潮の干満の差が大きく、女性の生理に関係があるという説もあるが、僕は調べていないので定かではないし、女性に訊いて確かめたこともない。

 この魅力的なタイトルの映画は、それと裏腹にストーリーはやや大雑把でコメディタッチだ。
 夫を亡くした中年の女性(シェリー)が幼友達のどうということはない男のプロポーズを承諾する。ところが、男が故郷のイタリアに帰っている間に、男の弟(N・ケイジ)と満月の夜に思わぬことで一夜をともにしてしまう。この二人の関係を中心に、家族の個々の揺れ動きを描いた物語である。
 軽い映画だと思っていたが、久しぶりに見てみると、意味深い台詞が随所に散りばめられた含蓄に富んだ映画だと分かる。
 
 ニューヨークが舞台のアメリカ映画であるが、実にヨーロッパ的である。
 摩天楼も遠景として出てくるが、街並みはヨーロッパを意識した古いアパートメントが舞台で、パリだと言っても、ローマだと言っても頷くであろう。
 それもそうである。ニューヨークに住む主人公(シェール)が父母と祖父と一緒に住む多世帯の家族は、イタリア人(系)という設定である。長老のお祖父さんが朝食のテーブルに顔を出す時「ボン・ジョルノ」と言ったりするところが洒落ている。
 肩にタトゥーがあるパン職人の荒くれ男(N・ケイジ)が、「愛するものは二つ。君とオペラだ」とニューヨークッ子が言うはずない。

 物語は、老人たちが満月を見ながら、「月は女に魔法をかけるんだ」などと話しているところから始まる。そして、老人たちも満月の夜、回春する。
 若い女の子に振られて水をかけられた中年の教授に、主人公の母(デュカキス)は、「なぜ男は女を追いかけるの」と訊く。
 男は、「本能だ」と答える。
 同じ質問を娘の婚約者にすると、彼は聖書をもじって答える。
 「アダムはイブの肋骨でできた。男はなくなった肋骨を探しているんだ。女がいないと満足できないんだ」
 浮気をしている亭主(主人公の父)を見ながら、母は「どうして男は一人の女を愛せないの」と訊く。
 そして、聡明な母は、「死への恐怖ではないか」と結論づける。
 浮気をした初老の父は、「ある日、人生が虚しく思える。辛いものだよ」と言い訳のように呟く。
 
 男が女を追いかけるのは、そして一人の女で満足できないのは、死への恐怖なのか?
 女は死への恐怖がないか少ないというのであろうか。だとすると、その理由は子どもを生むからであろうか。
 そういえば、女は家を守ろうとするが、男は家から出ようとする。
 男として、自ら振り返って考える。刻々と近づいている死への意識しない恐怖が、そうさせているのだろうか。

コメント (2)
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