かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ ジャンケン娘

2007-06-19 16:57:49 | 映画:日本映画
 杉江敏男監督 美空ひばり 江利チエミ 雪村いづみ  山田真二 浪速千恵子 1955年東宝

 当時人気沸騰の歌手、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの3人娘によるトリオ初の映画である。水谷良重、黒柳徹子、横山道代のタレント・俳優が3人娘と称したのはあったが、各々独立した人気歌手がユニットとしても活動した最初の3人組ではなかろうか。この時、美空ひばりはまだ18歳。
 このあと、この3人組は「ジャンケン3人娘」と呼ばれることもある。この3人組は、翌年「ロマンス娘」、翌々年「大当たり三色娘」と映画出演する。

 映画の内容は、高校生の美空と江利が京都の修学旅行で舞子の雪村と知り合い、雪村が一目惚れをしたという東京の大学生を3人で探すという他愛のないものである。
 映画が作られた1955年といえば戦後10年である。まだ日本が貧しさから脱却していない時期である。それなのに、今見て目を見張るのは、いずれも豪華で綺麗な家と衣装であることだ。画面のどこにも貧しさが映しだされてはいないのだ。
 例えば、遊園地では既にジェットコースターがある。家には電話があり(庶民の家にはなかった)、彫刻家である江利の家では、客が来てウイスキーを出すのだが、ジョニーウォーカーであった。ジョニーウォーカーといえば当時最高級のウイスキーで、海外に行った人がお土産に持ってきて、滅多に飲めるような代物ではなかったのである。
 いわば、スターの映画は庶民に夢を見させるものだったのである。
 
 このあと3人組と言えば、60年代に、「スパーク3人娘」として、渡辺プロの中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりが登場する。この3人組で、64年にNHK紅白歌合戦にも出場している。
 後日中尾は、「当時、一人で充分やっているのに、なぜ3人でやらないといけないのか不満だった」と述べている。近年40年ぶりに3人組を再結成しているが、その時、3人ともがそう思っていたということが分かったと、今では笑って語っていた。
 その後は、70年代のアイドル、南沙織、小柳ルミ子、天地真理の同期デビューの3人娘、それに続くアイドル、山口百恵、森昌子、桜田淳子の「花の中3トリオ」であろうか。
 
 男性歌手でいえば、○○3人男と称するものはあったが、60年代の「御三家」を嚆矢としようか。青春歌謡の先陣を切った橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦である。こちらも、何年か前に3人で同じ新曲を吹き込み公演を行っていたが成功したとはいいがたく、また各自の行動に戻っていった。
 当初御三家は、橋、舟木に三田明であった。ところが、三田は橋と同じレコード会社のビクターである(ちなみに舟木はコロムビア)。そこで、バランスを取るため、新しくクラウンからデビューした西郷になったという裏話がある。
 そして、70年代の新御三家は、郷ひろみ、野口五郎、西条秀樹である。
 80年代の田原俊彦、近藤真彦、野村義男の「たのきんトリオ」も範疇であろうか。

 何しろ、日本人は3の数字が好きである。日本三景をはじめ、日本3大○○をあげれば、枚挙にいとまがない。
 3つや3人はバランスがいいのかもしれない。
 1人ではプラスもマイナスも背負うのが大きい。2人では、比較しがちになり、そうするとバランスが崩れやすい。しかし、3人だと1人が出っ張っていても1人がへこんでいても、配列や組み立てによって均衡は保ちやすい。各々の欠点は補われ、むしろ長所に映る場合がある。

 美空ひばりはその後昭和の歌謡界の女王として君臨してきたが、冒頭の「ジャンケン3人娘」のうち、残っているのは雪村いづみだけとなってしまった。


 冒頭の「ジャンケン3人娘」のうち、残っているのは雪村いづみだけとなってしまった。
コメント (2)
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