かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

7. シャトーへ、ボルドー

2005-08-27 00:16:41 | * フランス、イタリアへの旅
<2001年10月4日>ボルドー  料理研究家、辻静雄氏は結婚して料理学校の校長になることになり、徹底して本場の最高級のフランス料理を食べ歩いた。羨ましいことと思いがちだが、職業ともなると苦行に似たストイックな行為に思えた。
 その辻静雄氏と一度だけ、一緒に食事をしたことがある。1973年1月だったか、私がまだおぼつかない編集者だったときである。かつて勤めていた出版社(鎌倉書房)で、氏の著書『フランス料理の手帖』を出版することになり、その装幀の画を受け取りに行ったときのことだ。指定された場所は、銀座のフランス料理店『煉瓦屋』。そこには、辻氏と装幀をしていただいた画家の佐野繁次郎氏、それに店の女主人がいた。私は、硬くなり今では何を食べたか覚えていない。当時の私の舌はまだ経験もたりず、僅かな尺度さえなかったのだ。
 辻氏をもってしても、舌の記憶は不確かなので折に触れて確認したいと、その著書で書いている。

 私は、昨晩の味の記憶がなくなるのが惜しいので、少し遅めの朝食をとりにサン・テミリオンの大鐘楼の下のレストランに行った。パンにジャム2種、クロワッサン、オレンジジュース、カフェオレで65フランは、昨晩の料理に比べれば安くない値段だが、やはりただのパンとはいえ美味しい。

 サン・テミリオンに来たからには、ワインの元締めの街ボルドーへ行こうと思った。
 ボルドーへ行くためには、まず鉄道の駅リボルヌへ出なくてはいけない。リボルヌへ行くバスを待っていたが、いつになっても来ない。大型の貸し切り観光バスはやって来たり、出発したりするのだが、乗り合いバスはいっこうに来る気配がないのだ。そのうちの1台の貸し切りバスの運転手に、リボルヌに行くかと訊いたら、その運転手が私に同情してそこを通るからと言って乗せてくれた。そして、道が二股に分かれるところでリボルヌの入口だと言って降ろしてくれた。
 そこは閑静な住宅街で、どう見ても駅が近くにあるようには見えない。しばらく歩いてバス停があったので停留所の名を見るとリボルヌの駅ではない。通りすがりのおばさんに訊くと、駅までは3キロはあるという。仕方がないので、そのバス停でバスを待つことにした。運よくすぐにバスがやってきてホッと息をついた。

 リボルヌからボルドーまで列車で行き、降りてすぐにインフォメーションに行ったが、本日はホテルの空きがないと言われた。仕方がない、足で探すしかないと駅前を歩いていると、テントが張られ制服を着た人が何人か座っている。その前で、日本人の若い女性二人が何やらしかめっ面でひそひそと頭をつけあわせて話しこんでいる。
 私が何があるのかその女性に訊いてみると、「私たちは二人でどうしようもないんです。席があと一つしか空いていないんです」と言う。詳しく聞くと、ワイン・シャトー巡りのバス・ツアーがすぐに出発するという。私は、運よく一人だし、今日の予定も未定だ。ついている。ホテル探しは戻ってきてからにするとして、すぐに申し込んで待っているバスに乗り込んだ。

 ボルドー・ワインとは、ボルドー市周辺の地域で生産されるワインを指す。ボルドーの街は、古くからこの地域のワインの出荷港として栄えた。それ故、この周辺から採れてここから出荷されたワインはボルドーと呼ばれるようになった。その意味では、伊万里に似ている。
 古伊万里といえば、古い有田焼の呼称であり、伊万里で焼かれたものではない。伊万里の南、有田で焼かれたものを伊万里の港から出荷していたので伊万里と呼ばれたのだ。
 ボルドーに流れる川は、もう一つの川と合流してジロンド河となり大西洋に流れる。これらの3つの川の周辺には葡萄畑が広がり、そこは数多くの村に分かれており、その村々では各々ワインが造られている。そのシャトー(醸造所)の数は、4千ともいわれ、各地域や村はおろか各シャトーによって、純然たる個性があるのだ。
 それに、メドック(地区)やサン・テミリオンでは格付けを行っており、それがボルドーの自尊心を高める効果を果たしている。

 バスは、ブドウ畑を抜けて、ジロンド河の河口に近いメドック地区の、プーリ村の一つのシャトーの中に入って停まった。「Chateau Maucaillou」(シャトー・モーカイユ)とあった。中では、まさに採りたてのブドウを選別している最中であった。地下の倉庫では樽が積んである。
 シャトーの中を見学したあと、中庭で1987年ものと1985年ものを試飲した。同じシャトーものなのに、85年ものが私でも分かる程度に微妙にコクがあってまろやかだ。
 次に行ったところは、やはりメドック地区のマルゴーにある「Chateau Gisours」(シャトー・ジスール)。ここは、明らかに格下といった感じだった。

 ワイン・ツアーに参加していた日本人で、名古屋のワイン研究会の3人組と親しくなった。スペインを廻ってボルドーにやってきたという若い女性2人に中年男性1人の楽しいグループだった。
 ツアーからボルドーの市内に戻ったときは、もう陽も暮れようとしていた。私が、「これからホテルを探さないといけない」と言うと、彼らは、「今日はここで大きな会合があったみたいで、どこもホテルはいっぱいみたいよ。私たちが泊まっているホテルで空きがないか訊いてあげましょうか」と言ってホテルに電話で問い合わせてくれた。空きがあったので、私にとっては少し高いが「ホリデー・イン」に泊まることになった。
 早速食事するために、4人で市内のレストランを散策した。食事よりもワインに金をかけようということで、何軒か廻った末に、定食(menu)75フランの店で決まった。ワインは、中の上ぐらいにしようと決まりかけたとき、一人の女性が「せっかくボルドーに来たのだから一番いいのにしましょうよ。日本では経験できないのだから」と言った。それもそうだとみんな納得して、ワイン・リストの最上段に書かれているのを頼んだ。サン・テミリオンのグラン・クリュ、「Chateau Tour Grand Faurie」(シャトー・トゥール・グラン・フォーリー)1994年。200フランである。ボルドーの最上級とはいかないが、これも舌の経験の一歩だ。
 レストランを出て、近くの酒屋でほどほどのワインを、スーパーマーケットで肴を買って、ホテルに帰ってから再び酒盛りとなった。おじさんは、若い女性たちのスケジュールにまかせっきりで、にこにこしていた。そんな旅もいいのかも知れない。

 ボルドーの街は、堅牢な上に装飾を施した建物が屹立していて、傲慢さをそこはかとなく見せる古都を感じさせた。予想していた商業の街にありがちな軽やかな喧噪さはなく、荘厳ささえ見せている。ワインの世界ではトップの地位を自負する、伝統とプライドが底辺に漂っていた。
コメント (4)
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