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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

「にごりえ」に見る、道楽業の心

2012-02-13 03:13:48 | 映画:日本映画
 映画「にごりえ」(監督:今井正、1953年)は、明治の女流作家、樋口一葉原作の「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」による3作のオムニバスである。
 樋口一葉は、現在の五千円札の肖像の人といえば、イメージがわくだろう。彼女は、日本銀行券として初の女性肖像になった人である。ちなみに、明治時代の政府紙幣としては、古墳時代の神功皇后がある。
 僕は小学・中学生の頃、切手少年だったので憶えているのだが、戦後「文化人シリーズ」なる切手があった。野口英世、福沢諭吉、夏目漱石など18人の文化人なかで、唯一樋口一葉だけ女性として選ばれていたほどだから、文化人として実力も人気もあったのだ。
 樋口一葉は前記3作のほか、「たけくらべ」という優れた小説を書いて、才能に恵まれて将来を嘱望されていたが、貧困のなか24歳の若さで亡くなった。

 「十三夜」は、別の人生を歩いた幼馴染の思わぬ邂逅を描いたもの。
 思い悩んだ末離婚を決意し実家に帰った女(丹阿弥谷津子)が、父親に言い含められてまた家に戻るとき呼んだ人力車の車引きの男(芥川比呂志)が、幼馴染の男だった。男はその女に恋していたが、女が別の男と結婚したのを期に、身を持ち崩して今日に至ったのだった。
 車引きの役の芥川比呂志は、芥川龍之介の長男。やはり、有島武郎の長男である森雅之(「羅生門」など)と同じく、文学的な顔をしている。

 「おおつごもり」は、誰にでも起こりうる一瞬の心の迷いを巧みに描いたもの。
 家が貧しく富豪の家に奉公に出ている娘(久我美子)が、病気で苦しんでいる貧しい伯父から大晦日までに金をどうにかならないかと頼まれる。気のいい娘は承知し、奉公先のおかみさんに前借を頼むが、うまくいかない。
 公家華族出身の久我美子は、「また逢う日まで」(監督:今井正、1950年)のガラス窓越しのキスシーンがあまりにも有名だが、清楚な顔立ちも相まって戦後の人気女優であった。品のよいお嬢様の奉公娘は似合わないが、活きいきとしている。
 奉公先のドラ息子役に若き仲谷昇が出ている。

 「にごりえ」は、酌婦と男の恋の哀楽を描いたもの。
 銘酒屋の酌婦で、美人で売れっ子のお力(淡島千景)が、粋で男前で気風のいい男、朝之助(山村聰)を一目で好きになる。しかし、女には過去に昵懇になった別の男源七(宮口精二)がいた。その源七は今では落ちぶれて、すっかり身を持ち崩していて、家では内職する妻(杉村春子)の愚痴を聞くばかりの鬱々とした日々を送っていた。
 銘酒屋とは、銘酒を売るという看板で、酒と料理を出すが、その実、裏口や2階で客の酒の相手をしながら、売春を行っていたところである。この映画でも、お力のいる店は、“お料理「菊乃井」”という看板を掲げていた。
 作者樋口一葉は、銘酒屋(酌婦)街で暮らし、近所の酌婦の手紙の代筆を行ったりした経験が小説の材となった。
 映画では、蓮っ葉な女ながら色っぽい酌婦役の淡島千景がいい。森繁久彌との共演「夫婦善哉」や「駅前シリーズ」など、何本も彼女の映画は見てはいるが、こんないい女だったのかと、再認識させられた。
 お力が好きになったキャラクターが違う2人の男、山村聰、宮口精二は、渋い男優だ。
 
 銘酒屋の店にやって来た、粋な朝之助の科白(せりふ)がいい。
 女たちが、身分を明かさない男に、仕事は何かと訊くと、男は悠々と答える。
 「道楽業だ。妻なく、職業もなく、もっぱら色恋の修業を志す」
 一葉は、この部分をこう書いている。
 「客は結城朝之助とて、自ら道楽者とは名のれども実体(じってい=正直)なるところ折々に見えて、身は無職業妻子なし、遊ぶに屈竟(屈強)なる年頃なれば…」‬‬‬
 遊ぶのに屈強な年頃があるのか。朝之助を、年の頃三十男とあるから、昔も30歳ぐらいが遊び頃だったのだ。
 いや、そうともいいきれまい。確かに30歳は人生の盛りだが、年をとっても遊びに屈強な人もいた。あえて(自己弁護も含めて)言えば、年をとってからこそ、本当の遊びの神髄がわかるのかもしれない。
 永井荷風は、「墨東奇譚」にあるように、この「にごりえ」のように、向島の玉の井の銘酒屋に通ったし、老いて倒れるまで、作家でかつ、いわゆる「道楽業」を通した。
 かつての作家には、遊びに屈強な人が多かった。いや、遊びに屈強な人が作家になったような気がする。
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「愛染かつら」② 「愛染かつら」と波乱の時代

2012-02-09 02:19:51 | 映画:日本映画
 川口松太郎が、「愛染かつら」を雑誌「婦人倶楽部」に連載発表したのは1937(昭和12)年。
 この年、日華事変(盧溝橋事件)が起きている。その5年前の1932(昭和7)年に、日本の傀儡ともいえる満州国が建国され、1934年皇帝として即位したのは、清のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀。
 翌1935年、溥儀は満州国皇帝として日本を訪れ、天皇とも会い日本で歓迎を受けている。
 溥儀の弟、愛新覚羅溥傑は、日本に留学し、学習院高等部のあと陸軍士官学校を卒業。そして、1937年に日本の華族である嵯峨浩(ひろ)と結婚する。
 おそらく、清のラストエンペラーで満州国の皇帝一族である愛新覚羅家には、当時日本人は大いに好意と関心を寄せていたようである。
 想像するに、泥沼化する太平洋戦争(第2次世界大戦)に突入する前夜の、「愛新覚羅」と「愛染かつら」のブーム。

 かつて歴史の本のなかで、満州国の皇帝の名で、初めて愛新覚羅という文字を見たときの、何ともいえない不思議な気持ちになったのを、僕は忘れることができない。アイシンカクラとは、何だろう?とずっと思っていた。
 中国の王朝の名や苗字は秦にしろ漢にしろ1文字が多く、皇帝の名とて清の康熙帝やラストエンペラーの宣統帝にみられるように、1ないし2文字が通例だと思っていた。それが4文字で、なおかつ愛新覚羅という何やら深い意味がありそうな名前だったからだ。
 それに、「愛新覚羅」と聞けば、なぜか「愛染かつら」という言葉がぼんやりと浮かんできていた。当時は両方とも深く知らなかったのだが、何となくすれ違いの悲劇、波乱に満ちた生涯という思いが胸をときめかした。
 「愛新覚羅」は、満州語の発音アイシンギョロを漢字に直したものだが、何かを想起させる名前である。アイシンとは「金」という部族名で、ギョロは清(後金)を起こしたヌルハチの祖先が最初に定住した中国東北部の土地の名で、その組み合わせからきた姓氏ということである。

 「インディ・ジョーンズ」シリーズの最高傑作ともいえる「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」(監督:スティーヴン・スピルバーグ、1984年)を見ていた時だ。
 出だしの舞台は、1935年の上海。中国では清王朝が滅び、満州国の帝政実施の翌年である。当時、上海は魔都と言われ、租界地には様々な人種が集まっていた大都会である。
 その上海のナイトクラブで、考古学者のインディアナ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)が怪しげな中国マフィアと取引をしている。その取引内容が、インディが持っているヌルハチの骨壺とダイヤモンドを交換しようというものだ。
 そのとき映画の中で、突然ヌルハチという言葉が出てきたので僕は驚いた。「インディ・ジョーンズ」は、侮れないと思った。それにしても、マニアックで専門的すぎる。特に西洋人には、よほど中国史を勉強している人は別だが、ヌルハチなる人物が何者で、その骨壺がどういう価値を持っているかはわからなかっただろう。
 ヌルハチは、清王朝の開祖、愛新覚羅弩爾哈赤(ヌルハチは文献によって違った漢字となっている)である。

 波乱と流転の生涯を送った、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀には子どもがなかったが、溥儀の弟、愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の間には、子どもが2人生まれている。
 日本で暮らしていた長女の愛新覚羅慧生は、1957年、学習院大学生時代(当時19歳)に天城山心中という悲劇のうちに、短い一生を終えた。

 「愛染かつら」の作者川口松太郎は、物語を思いついた際、「愛新覚羅」を思い浮かべなかっただろうか?
 そんな時代であった気がする。
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すれ違いの恋の元祖、田中絹代と上原謙の「愛染かつら」

2012-02-08 03:22:56 | 映画:日本映画
 映画は見ていなかったが、子どものころからその題名は知っていた。
 「花も嵐も踏み越えて、それが男の生きる道…」という、その映画の主題曲「旅の夜風」(西條八十作詞、万城目正作曲)という歌も知っていた。
 その映画「愛染かつら」は、「君の名は」と同じく、かつて日本人の誰もが題名を知っている恋物語で、それもすれ違いの恋だから、女性のみんなが涙したという話であった。
 だから長じても、恋とはすれ違いがつきもので、胸を焦がすものだというイメージが刷り込まれてしまった。

 「愛染かつら」は戦後、昭和20年代に水戸光子と龍崎一郎、京マチ子と鶴田浩二で、また昭和30年代には岡田茉莉子と吉田輝雄の主演でリメイク版が作られているが、戦前に作られた初代「愛染かつら」(総集編)(原作:川口松太郎、監督:野村浩将、1938年松竹)を見た。
 主演は、田中絹代と上原謙である。当時両人とも28歳。

 田中絹代という人は、いわゆる典型的な美人ではない。いわば一昔前の和風美人である。けれども不思議な存在感と、大女優の風格を持っていた。
 デビュー後の可愛い美少女時代のあと、原節子や桑野通子など現代的な美人に押され行き詰った時代があったそうだが(終戦直後アメリカへ行ったり)、この人は単に美人女優では終わらなかった。ともすれば美人は、美人という顔に役が縛られがちだが、この人は役柄が幅広く、息も長くずっと第一線で活躍してきた。
 この「愛染かつら」や「金色夜叉」のような恋のヒロイン役から「雨月物語」「山椒大夫」のような文芸古典もの、「おとうと」のように屈折した母(妻)役、「楢山節考」「サンダカン八番娼館 望郷」のような陰影のある老婆役など、多彩だ。それに、自ら監督までやってのけている。
 この人の出演作を見ていると、日本映画史を眺めているようだ。

 1974年、山口百恵の初主演映画「伊豆の踊子」(原作:川端康成、監督:西河克己)が作られた。相手役は、山口がのちに結婚することになる三浦友和。
 創刊したばかりの男性雑誌の編集をしていた僕は、取材のためにスタジオへ行った。山口百恵は当時まだ15歳の高校1年生で初々しかった。「伊豆の踊子」の踊子役は、山口が6代目である。踊り子は、代々その当時のアイドルが演じる定番の役だった。
 2代目、美空ひばり、石浜朗。3代目、鰐淵晴子、津川雅彦。4代目、吉永小百合、高橋英樹。5代目、内藤洋子、黒沢年男。
 その初代が、何と1933年作で、田中絹代だった。相手役は大日方傳。
 僕は、大胆にも田中に電話で、山口百恵が6代目の踊子役ですが、初代の田中さんから見てどういう印象でしょうか、といったことを聞いた。
 田中絹代は、大女優にもかかわらず、丁寧に答えてくれた。
 会いはしなかったけれど、これが田中絹代との唯一の接点である。この3年後に他界された。

 *

 「愛染かつら」の物語は、結婚しすぐに夫を亡くした子持ちの未亡人で看護婦の高石かつ枝(田中絹代)と、大病院経営者の息子で医師の津村浩三(上原謙)との恋を描いたものである。
 出会ってすぐのとき、寺の境内の桂(かつら)の木を触りながら、浩三がかつ枝に言う。
 「この木につかまりながら、恋人同士誓いをたてると、一時は思いどおりにならなくても、必ず結ばれるという言い伝えがあるんです。高石さん、嘘だと思って、この木に触ってくれませんか」
 ここから、愛染かつらの伝説は巷に広まった。

 ずいぶん前に長野県の上田の別所温泉に行ったとき、愛染かつらの木があった。そのときは映画を見ていなかったので、ここが映画の舞台かと思ってしまった。
 しかし、映画では谷中の菩提寺に行く途中の寺ということになっている。ということは、東京谷中の自性院の愛染堂だろう。
 大阪天王寺の勝鬘院・愛染堂にも、愛染かつらの木があるらしい。
 そして、藤沢市の密蔵寺には、映画公開の後のことだが、小暮実千代(映画で看護婦役で出演)が植樹した愛染かつらがあるという。
 愛染明王は愛欲を支配する仏として、恋愛、縁結び、家庭円満などの対象として古くから信仰されてきた。そして、その愛染明王を祀った寺や堂が全国にあるので、そこに桂の木を植えれば愛染かつらになる。
 もし作者の川口松太郎が、寺の桂の木ではなく、ふと桜の木あるいは椿の木にしていたら、愛染さくらとか愛染つばきになったのだろうか。いや、桜や椿は花が散るので恋にはふさわしくない、花のない木でないといけない、と考えたのかもしれない。

 高石かつ枝と津村浩三は、新橋駅で会えなかったのを出始めに、いくつかのすれ違いをへて、映画はクライマックスを迎える。
 それは予想もしない展開だが、かつ枝が歌手としてデビューするというものだ。歌の発表会の日、病院の同僚の看護婦(当時は全員女性)たちが、白衣の看護婦服のまま会場に応援に行く。それを幕の裾で見たかつ枝が、白衣姿で舞台で歌うというものだ。
 当然、あの「旅の夜風」を歌うものと思っていた。
 主題歌の「旅の夜風」は、映画の中でも最初から何度か流されていた。
 この「旅の夜風」は、戦後も何人かの歌手がカバーしている有名な曲だ。1962年には、ヒロインと同名の歌手、高石かつ枝が藤原良とデュエットでヒットさせている。

 しかし、映画のクライマックスで歌われたのは、題名は「母の愛」であった。
 「可愛いおまえがあればこそ、つらい浮世もなんのその、世間の口もなんのその。母は楽しく生きるのよ…」
 やはり歌を聴きにきていた浩三に、子持ちであるということをかつ枝が告白するという効果も含まれていた。
 調べてみると、この歌は大ヒットした「旅の夜風」(霧島昇、ミス・コロムビア)とカップリングで発売された「悲しき子守歌」(西條八十作詞、竹岡信幸作曲)という曲だった。歌っているのは、ミス・コロムビア(松原操)。
 僕は知らなかったが、「愛染かつら」が生んだ、もう一つの知られざる名曲である。
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女の幸せを考える、原節子、上原謙の、「めし」

2012-02-05 02:53:26 | 映画:日本映画
 戦前から戦後にかけての美男、美女といえば、まず上原謙、原節子の名前があがるだろう。
 上原謙は、田中絹代との共演作「愛染かつら」(1938年)で一躍スターとなり、戦後も数多くの映画に出演し、二枚目俳優の代名詞となった。ご存知の人も多いだろうが、加山雄三の父である。
 原節子は、「晩春」(1949年)「麦秋」(1951年)「東京物語」(1953年)など、小津安二郎監督作品が有名だが、それだけでなく、「わが青春に悔いなし」(監督:黒沢明、1946年)、「安城家の舞踏会」(監督:吉村公三郎、1947年)、「青い山脈」(監督:今井正、19949年)など、戦後日本の映画スターのなかでも、日本女優の顔として君臨していたといえる。そして、42歳で映画界を引退した後は決して人目に曝されることなく隠遁の生活を送って、今なお伝説の人となっている。
 原節子のはっきりした目鼻立ち、しっかりした体形は、いつも輝いている印象で、従来の日本女優とは一線を画して、荒廃した戦後の女性の夢を体現していたといえる。

 この戦後の美男、美女が、映画「めし」(原作:林芙美子、監督:成瀬巳喜男、1951年東宝)で演じるのは、何とも平凡な夫婦である。しかも、結婚5年目の倦怠期を迎えたどこにでもありそうな家庭の、どこにでもいそうな夫婦である。
 東京で育った三千代(原節子)は、夫の仕事の関係で大阪に住んでいる。当時の日本はどこでもそうだったように、長屋住まいでパッとした住宅ではない。
 そこで、毎日のおさんどんに追われて、これが結婚生活なのかと気が晴れない。
 夫の初之輔(上原謙)はといえば、しがない会社員である。仕事はやり手でもなさそうだし、何か趣味がありそうでもない。家に帰れば「腹が減った」が口癖の、これといって面白くもない男である。
 そんなとき、初之輔の姪である里子(島崎雪子)が家出をして大阪へやってきた。里子は自由奔放な性格で、叔父の初之輔にも甘えたところを見せる。二人で出かけたときは、腕を組んだりする。初之輔も、開けっぴろげで快活な里子を可愛いと思っている。
 そんな2人の言動を見て、三千代が面白いはずがない。ますます機嫌は悪くなり、ついに思いつめた三千代は、東京へ帰る決心をする。

 倦怠期の夫婦の間に割り込んできた女。美男、美女の間に闖入してきた小悪魔といった感じである。
 静かな家庭に波風が立つ。波風は嵐になるのだろうか? それとも、もとの静かな家庭に収まるのだろうか?
 原作は、林芙美子が完成途中で亡くなったため未完で終わっている。しかし、監督の成瀬は、最後に、三千代にこう言わせる。
 「私のそばに夫がいる。その男のそばに寄り添って、その男と一緒に幸福を求めながら生きていくことが、私の本当の幸せかもしれない。女の幸せとは、そんなものではないだろうか」
 小さな幸せを大事にしよう。それが女の幸せだ、と言わせている。
 この映画から、戦後の小さな家庭の幸せ、女の幸せが誕生したかのようである。しかし、戦後の歴史を振り返ると、それで女性が満足したわけでも、そこに黙って納まったわけでもない。
 その後女性は、自分の手で幸せをつかもうと、自立の道を歩き始めるのである。

 映画の中で、遊覧バスで大阪見物するという場面が出てくる。遊覧バスとは観光バスで、いわゆる東京の「はとバス」である。
 戦後間もない、1950年当時の大阪の街を見物することができる。
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佐賀、長崎、福岡を象徴する映画「悪人」

2011-11-08 18:48:09 | 映画:日本映画
 佐賀、長崎、福岡を舞台に、孤独感と閉塞感を抱いたまま生きている男と女が、戯れの出会いから思わぬぬかるみに墜ちていく物語。
 原作(吉田修一作)は読んでいたが、このたびテレビで放映された映画「悪人」を見た。
 2010年のモントリオール国際映画祭で、主演の深津絵里が最優秀女優賞を受賞して、日本でもその年の映画賞を総なめにし、ヒットした話題作だ。監督は、「フラガール」(松雪泰子主演)の李相日。脚本は、原作者の吉田と監督の李が共同執筆している。

 北九州の福岡、佐賀、長崎の3県は、各々異なった色彩の個性がある。
 ハウステンボス、キリスト教教会など観光地として一見派手だが、過疎の離島が多い長崎。
 明治維新の薩長土肥から、時代の波に乗ることをやめたような佐賀。
 ミニ東京のような福岡市だけが突出しだした、九州というお山の大将の福岡。
 物語の登場人物は、金髪に染めながらも行き止まりの人生を送っている、長崎の小さな港町に住む工員の男。出会い系サイトでその男と付き合いながら、簡単に別の男に乗り換える上っ面な上昇志向の博多(福岡)の保険外交員の女。かすかな出会いをひっそりと望んでいる、遊びもせず地味な生活を続けている衣料品店員の佐賀の女。
 長崎県佐世保市出身の著者の吉田修一が、北九州の3県の個性を用意周到に、「悪人」という物語の主題の3人にうまく脚色したと思うのはうがち過ぎだろうか。

 長崎の暗い生活を送っている工員の男(妻夫木聡)は、出会い系サイトで博多の保険外交員の女(満島ひかり)と関係を持つ。その女と待ち合わせをしているとき、簡単に別の遊び人の大学生(岡田将生)に乗り換えられる。
 女に馬鹿にされて怒った男は、はずみで博多の女を殺してしまう。どうしていいかわからなくなった男は、やはり出会い系サイトで知り合った佐賀の女(深津絵里)と関係を結び、2人は逃避行を行う。

 映画「悪人」では、長崎、佐賀、博多の各地が、ロケ地として登場する。
 長崎の忘れ去られたような小さな漁港と灯台。佐賀の時代から取り残されたような街通り。福岡の上っ面のような栄えた店と通り。これらが、物語の重々しい流れの中で、巧みともいえる上手さで映し出される。
 ラストシーンに登場する灯台は、長崎の五島列島・福江島の大瀬崎灯台。2人でイカの活き造りを目の前にして、男が殺人を告白する場所は佐賀・唐津の呼子のイカの店。遊び人の大学生の男が女の子を呼んで、飲み遊んでいる店は博多の街。

 賞をとった深津絵里の演技は言うまでもない。美人ではないがひたむきな女を、この人なくしてありえなかった映画と言わしめる演技をしている。
 映画公開発表の時、「すべてを捧げてきた作品で、自分にとって転機となる作品」と言っていた妻夫木聡。この重いキャラクターを彼のような明るい二枚目で大丈夫かなという思いで見たが、彼は自分で言っていたように、役になりきっていた。派手な金髪では隠し切れない、若いのに虚ろな表情をそこはかとなく醸し出していた。
 軽く計算高い女役の満島ひかりは、こんな役はうってつけだ。幸か不幸か、本当に嫌な女だろうと思わせる。「愛のむきだし」(園子温監督)以来、演技開眼か。

 *

 小説「悪人」(吉田修一著、朝日新聞社刊)については、2008年11月4日のブログに記している。冒頭の文を記してみる。

 福岡から佐賀、長崎に車で行くとすれば、一般的には高速を使って九州自動車道で鳥栖から長崎自動車道に換えて、佐賀、長崎に向かう場合が多い。
 一般道を使った場合は、福岡市の東からは国道385号線で南下し、春日市から佐賀県東背振村(現吉野ヶ里町)を経て、佐賀市へ向かうことになる。もう一つは、福岡市の西の方から国道263号線を通って南下し、県境にある背振山地の三瀬峠を越え佐賀市に向かう道路である。
 この小説の舞台は、福岡と佐賀の県境にある三瀬峠である。
  
 http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/5339f589b775c36b6aca9ddbaa4c8c58

 <2008年11月4日>

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