映画「コレクター」の原作で有名なジョン・ファウルズの小説に「魔術師」というのがある。ここで魔術師は、魅力的ではあるが策をめぐらした、いかがわしさを持った人物として描かれている。
魔術師のめぐらした劇に入り込んだ主人公は、どこまでが現実でどこからが虚構か分からなくなっていく。
「あれはどの程度まで真実ですか」
「真実ってなあに」
「あれは実際にあったことですか」
「なかったとすると問題なの?」
「ええ。ぼくにはね」
「じゃ、そんな不親切なこと、私には言えないわ」
*
ミスター・マリックが、最初に登場したときは驚いた。
いかがわしい印象はあるが、この超能力は本物だと思った。超能力だということを本人も否定しないし、明らかに従来のマジック、手品とは一線を画すものであった。また、かつて超能力者として一世を風靡したユリ・ゲラーのスプーン曲げのレベルとは違ったものであった。
透視と言って、目隠しをして見ないカードを当てるとか、ハンドパワーと称して、かざした手で物に触れずにそれを動かすなどは、ほんの入り口だった。
徐々にその能力はアップして、見物者にその場でサインさせたカードもしくはメモ用紙を、まったく別の位置においてあった別のもの(例えば、財布の中とかレモンの中とか)から取り出したり、手の中のコインを瓶の底を突き抜けて中に入れたりして、見るものを驚嘆させた。
僕は当時、彼の出演した番組をヴィデオで録画して、興奮して家に集まった友人たち3人に見せた。
僕の興奮をよそに、彼らは意外に冷静で「ハ、ハ、ハ、そんなの実際にはあるわけないでしょ。何かタネがあるんですよ。ほら見てごらん。マリックのこっちの手の動きおかしいでしょう、不自然でしょう。それより、早くマージャンやりましょうよ」と言って、はなから超能力を否定していたのだった。
そう言われても、僕は納得いかないままであったし、第2次超能力ブーム(超能力ブームは、千里眼と言われた昔からあったが、現代のユリ・ゲラーから数えて)は続いた。ミスター・マリックのトリックを見抜くといった手品師の本も出版され、物議をかもした。
その後、ミスター・マリックまがいの若手の超能力者もどきが次々に出現して、あまりにも何人もの人間が簡単に超能力的行為をやってのけるので、これらは超能力ではなくマジックなのだと分かってきた。
ミスター・マリックも自分のやっていることを、次第に超魔術という表現をしだした。
「魔術」を辞書で引いてみると、人の心を惑わす術のほかに、大きな道具を使ってする手品、とある。
ミスター・マリックはじめこれら施術者が行う非物理的行為は、超能力ではなく、やはり仕掛けがある魔術、つまりマジック(手品)だったということに、世間の評価も落ち着いた。それでも、謎はそのまま継続されていった。
現代のブームは、多くがテレビが主導して作られる。
ありきたりのマジックでは見飽きた視聴者の欲求を察して、マジックの技術はとめどもなく進歩していった。鉄板の車体や、水槽のガラスに無造作に手をねじ込んで、その中の物を取り出したり、ポスターの画面からハンバーグを取り出し食べてみたりと、もはや物理的には起こり得ないことを平気で行うマジシャンも出てきた。
テレビカメラは前後、横から撮影して、誤魔化しではありませんよとアピールするのだが、そうすればするほど、非現実的であればあるほど、見るものは謎解きを諦めて、逆に少しずつ白けるのだった。
次々と繰り広げられる物理に反する現象行為は、例えばCMや映画で、かわいい美女が屋根から屋根を飛び跳ねたり、ロボットやアニメのようにくるくる回転したり、何でもコンピュータで自在に創作することができる、CGによる真実味を奪い取った画面操作を想起させた。
また、近年登場し、新鮮な驚きを与えたのが、舞台の上ではなく、参加者の目の前で行われるテーブル・マジックである。
至近距離で見ているにもかかわらず、理解不可能なことを平然とやってのけるテーブル・マジックの人気に貢献したのは、普通の格好で普通の容貌をした前田知洋だろう。彼の絶妙な指さばきに加え、これは超能力ではなくマジックですよと宣言しているのも潔い。
*
長崎に、有名人も心酔する超能力というか超魔術のようなことをやる人がいると知ったのは、福岡に帰っている知人からであった。
その話を長崎の波佐見町に住んでいる友人にしたら、彼も見たことはないが知っていて、地元でも有名らしい。彼の話によると、いつもその店の前は人が並んでいて、入るのを待っているとのことだった。
それで、その友人を誘って見に行くことにした。もちろん、予約を入れてである。
そこは、佐世保市の南にある川棚駅のすぐ近くの、レストラン喫茶で行われていた。店の入り口の垂れ屋根には、四次元パーラーと書かれている。
僕たちの予約した夕方4時からの客は、子どもも含めて全部で20人近くであった。地元の人もいたし、福岡から来た人もいた。
店の中は普通のレストラン喫茶で、カウンターとテーブルの座席数がちょうど定員のようだ。
超能力というかマジックは、カウンターで行われ、客はそれを囲んで見ることになる。僕たちは、運良くカウンター席のかぶりつきで、施術者の目の前であった。
最初は、カードや透視に使われる絵カードの、よくテレビでも披露するマジックである(といっても、タネは分からないが)。
次第に複雑なものになっていった。
圧巻だったのは、次のコインと瓶の変形である。
札紙幣(1万円、千円札)とコイン(500円、50円、10円玉)を客から出してもらった。彼が予め用意したものではないという意味で。
○500円玉を歯に当て噛んだ。コインは3分の1ほど欠けて、ギザギザに噛まれたコインが手に、欠けた方は口の中に入った。そのコインを触ると、確かにガリガリと欠けている。そして、欠けた2つのコインを合わせて、見る見る口の先でコインを復元した。
○平らに伸ばした紙幣に50円玉コインを垂直に当て、コインを押しやると、紙幣の中へ入り込んでいく。びりびりと破けるのではなく、コインが紙幣をカッターのように切り進む。しばらくして、コインを紙幣から抜き取ると、元の切り跡はすっと消えて、元の紙幣に戻っている。
○10円玉の平らなところを、指で押した。すると粘土のように押されて少し平たくなった。普通の10円玉と重ねてみると、やはり少し大きくなっている。
触ってみると、確かに硬く平たい。絵柄も裏表とも、先ほどの10円玉だ。このままではよくないと彼は言って、伸びた10円玉を押さえて、普通の大きさに戻した。
○オロナミンCの空き瓶を二つカウンターに並べた。
1つの瓶の首を引っ張ると、首が伸びた。まるでゴムのようだ。並べてあるから、普通の瓶より2センチほど伸びているのが分かる。伸びた瓶に触ってみると、ガラスの瓶で硬い。もう、伸びも縮みもしない。
これらは、僕の目の前30センチのところで行われた。それに、コインで切った紙幣、伸びたコイン、伸びた瓶に自分で触っても見た。
カウンターの上には、「スーパー・マジックをお楽しみください」と書かれているので、超能力ではなくマジックなのであろう。
しかし、まったくその仕掛けは分からない。
最後は、超能力の定番で原点であるスプーン曲げであった。
夕方4時に店に入り、食事をし、ショーが始まったのが6時半で終わったのは8時半であった。しかし、ショーが始まったら、あっという間であった。
何の知識も情報もないときにこれを見たら、超能力と誰もが思うだろう。千年前だったら、これをやる人は神と崇められたかもしれない。
帰り、友人と二人であれこれ謎解きの推理を働かしたが、その糸口も見つかっていない。
自分の目で見ないと信じない、自分の目で見たら信じる、という言い方を人はよくする。しかし、現代のマジックは自分の目で見たからといって分かる領域を超えている。
見たままが真実である、と信じる時代は過ぎ去ったようだ。
魔術師のめぐらした劇に入り込んだ主人公は、どこまでが現実でどこからが虚構か分からなくなっていく。
「あれはどの程度まで真実ですか」
「真実ってなあに」
「あれは実際にあったことですか」
「なかったとすると問題なの?」
「ええ。ぼくにはね」
「じゃ、そんな不親切なこと、私には言えないわ」
*
ミスター・マリックが、最初に登場したときは驚いた。
いかがわしい印象はあるが、この超能力は本物だと思った。超能力だということを本人も否定しないし、明らかに従来のマジック、手品とは一線を画すものであった。また、かつて超能力者として一世を風靡したユリ・ゲラーのスプーン曲げのレベルとは違ったものであった。
透視と言って、目隠しをして見ないカードを当てるとか、ハンドパワーと称して、かざした手で物に触れずにそれを動かすなどは、ほんの入り口だった。
徐々にその能力はアップして、見物者にその場でサインさせたカードもしくはメモ用紙を、まったく別の位置においてあった別のもの(例えば、財布の中とかレモンの中とか)から取り出したり、手の中のコインを瓶の底を突き抜けて中に入れたりして、見るものを驚嘆させた。
僕は当時、彼の出演した番組をヴィデオで録画して、興奮して家に集まった友人たち3人に見せた。
僕の興奮をよそに、彼らは意外に冷静で「ハ、ハ、ハ、そんなの実際にはあるわけないでしょ。何かタネがあるんですよ。ほら見てごらん。マリックのこっちの手の動きおかしいでしょう、不自然でしょう。それより、早くマージャンやりましょうよ」と言って、はなから超能力を否定していたのだった。
そう言われても、僕は納得いかないままであったし、第2次超能力ブーム(超能力ブームは、千里眼と言われた昔からあったが、現代のユリ・ゲラーから数えて)は続いた。ミスター・マリックのトリックを見抜くといった手品師の本も出版され、物議をかもした。
その後、ミスター・マリックまがいの若手の超能力者もどきが次々に出現して、あまりにも何人もの人間が簡単に超能力的行為をやってのけるので、これらは超能力ではなくマジックなのだと分かってきた。
ミスター・マリックも自分のやっていることを、次第に超魔術という表現をしだした。
「魔術」を辞書で引いてみると、人の心を惑わす術のほかに、大きな道具を使ってする手品、とある。
ミスター・マリックはじめこれら施術者が行う非物理的行為は、超能力ではなく、やはり仕掛けがある魔術、つまりマジック(手品)だったということに、世間の評価も落ち着いた。それでも、謎はそのまま継続されていった。
現代のブームは、多くがテレビが主導して作られる。
ありきたりのマジックでは見飽きた視聴者の欲求を察して、マジックの技術はとめどもなく進歩していった。鉄板の車体や、水槽のガラスに無造作に手をねじ込んで、その中の物を取り出したり、ポスターの画面からハンバーグを取り出し食べてみたりと、もはや物理的には起こり得ないことを平気で行うマジシャンも出てきた。
テレビカメラは前後、横から撮影して、誤魔化しではありませんよとアピールするのだが、そうすればするほど、非現実的であればあるほど、見るものは謎解きを諦めて、逆に少しずつ白けるのだった。
次々と繰り広げられる物理に反する現象行為は、例えばCMや映画で、かわいい美女が屋根から屋根を飛び跳ねたり、ロボットやアニメのようにくるくる回転したり、何でもコンピュータで自在に創作することができる、CGによる真実味を奪い取った画面操作を想起させた。
また、近年登場し、新鮮な驚きを与えたのが、舞台の上ではなく、参加者の目の前で行われるテーブル・マジックである。
至近距離で見ているにもかかわらず、理解不可能なことを平然とやってのけるテーブル・マジックの人気に貢献したのは、普通の格好で普通の容貌をした前田知洋だろう。彼の絶妙な指さばきに加え、これは超能力ではなくマジックですよと宣言しているのも潔い。
*
長崎に、有名人も心酔する超能力というか超魔術のようなことをやる人がいると知ったのは、福岡に帰っている知人からであった。
その話を長崎の波佐見町に住んでいる友人にしたら、彼も見たことはないが知っていて、地元でも有名らしい。彼の話によると、いつもその店の前は人が並んでいて、入るのを待っているとのことだった。
それで、その友人を誘って見に行くことにした。もちろん、予約を入れてである。
そこは、佐世保市の南にある川棚駅のすぐ近くの、レストラン喫茶で行われていた。店の入り口の垂れ屋根には、四次元パーラーと書かれている。
僕たちの予約した夕方4時からの客は、子どもも含めて全部で20人近くであった。地元の人もいたし、福岡から来た人もいた。
店の中は普通のレストラン喫茶で、カウンターとテーブルの座席数がちょうど定員のようだ。
超能力というかマジックは、カウンターで行われ、客はそれを囲んで見ることになる。僕たちは、運良くカウンター席のかぶりつきで、施術者の目の前であった。
最初は、カードや透視に使われる絵カードの、よくテレビでも披露するマジックである(といっても、タネは分からないが)。
次第に複雑なものになっていった。
圧巻だったのは、次のコインと瓶の変形である。
札紙幣(1万円、千円札)とコイン(500円、50円、10円玉)を客から出してもらった。彼が予め用意したものではないという意味で。
○500円玉を歯に当て噛んだ。コインは3分の1ほど欠けて、ギザギザに噛まれたコインが手に、欠けた方は口の中に入った。そのコインを触ると、確かにガリガリと欠けている。そして、欠けた2つのコインを合わせて、見る見る口の先でコインを復元した。
○平らに伸ばした紙幣に50円玉コインを垂直に当て、コインを押しやると、紙幣の中へ入り込んでいく。びりびりと破けるのではなく、コインが紙幣をカッターのように切り進む。しばらくして、コインを紙幣から抜き取ると、元の切り跡はすっと消えて、元の紙幣に戻っている。
○10円玉の平らなところを、指で押した。すると粘土のように押されて少し平たくなった。普通の10円玉と重ねてみると、やはり少し大きくなっている。
触ってみると、確かに硬く平たい。絵柄も裏表とも、先ほどの10円玉だ。このままではよくないと彼は言って、伸びた10円玉を押さえて、普通の大きさに戻した。
○オロナミンCの空き瓶を二つカウンターに並べた。
1つの瓶の首を引っ張ると、首が伸びた。まるでゴムのようだ。並べてあるから、普通の瓶より2センチほど伸びているのが分かる。伸びた瓶に触ってみると、ガラスの瓶で硬い。もう、伸びも縮みもしない。
これらは、僕の目の前30センチのところで行われた。それに、コインで切った紙幣、伸びたコイン、伸びた瓶に自分で触っても見た。
カウンターの上には、「スーパー・マジックをお楽しみください」と書かれているので、超能力ではなくマジックなのであろう。
しかし、まったくその仕掛けは分からない。
最後は、超能力の定番で原点であるスプーン曲げであった。
夕方4時に店に入り、食事をし、ショーが始まったのが6時半で終わったのは8時半であった。しかし、ショーが始まったら、あっという間であった。
何の知識も情報もないときにこれを見たら、超能力と誰もが思うだろう。千年前だったら、これをやる人は神と崇められたかもしれない。
帰り、友人と二人であれこれ謎解きの推理を働かしたが、その糸口も見つかっていない。
自分の目で見ないと信じない、自分の目で見たら信じる、という言い方を人はよくする。しかし、現代のマジックは自分の目で見たからといって分かる領域を超えている。
見たままが真実である、と信じる時代は過ぎ去ったようだ。