写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

うどん自販機

2017年09月11日 | 生活・ニュース

 今から40年前、まだ若かりし現役時代の忘れることのできない滑稽な話である。工場の設備を保全管理する部署にいた。ある日、朝から難題が持ち込まれた。机にかじりついて解決策を考える。簡単には答えは見出せない。「よし、気分転換だ。一服しよう」。

 机の引き出しを開けるが、たばこが切れている。ロビーの自販機に向かいコインを入れた。頭の中は件の難問で一杯だ。下を向き、そのことを考えながら立っていた。直ぐに落ちて来るはずのたばこが、なかなか出てこない。そうこうしていると、下のほうから湯気が上がってきた。

 なんと、うどんがすべるように押し出されてきた。「たばこ自販機」と並んで立っている「うどん自販機」にコインを入れていた。時計はまだ10時前、昼飯には早すぎる。未練を残しながら人に見られないよう、急いで置いてあるポリバケツに投げ込んだ。

 このうどん自販機は、社員や協力会社の作業員が、昼食時や遅くまで残業をしたような時に利用する誠に便利なものであった。私も、仕事に追われている昼食時、社員食堂まで出かけて行く余裕がないような時には利用することがあった。

 うどん自販機は、1970年代に登場した。川崎製鉄(現JFEスチール)の食堂に、同社の計量器工場の係長が「夜勤の製鉄所員に暖かいうどんを出そうという経営陣と労働組合の意向が開発のきっかけだった」と語っている。自販機ショーで大評判となり、最盛期には月に550台も売れたという。

 寒い夜、遅くまで働いている社員を思っての開発製品であったことを知った。一昔前までは全国津々浦々、主要街道のちょっとした自販機コーナーにこれが並んでいたが、どこにでも食事処ができた現在はどうなんだろう。

 腹が減っているとき、コインを入れると、ものの1分足らずで暖かいうどんがカップに入って出てくる。本来であれば、ほっと一息付けるあのうどんを、惜しみながらポリバケツに入れた日のことを、新聞の「くらし物語・うどん自販機」というコラムを読みながら思い出している。

 
 


 


またまた ルーズベルト・ゲーム 

2017年09月06日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 ルーズベルト・ゲームとは「点を取られたら取り返し、8対7で決着する試合」のことをいうが、今年の5月4日、マツダズームズームスタジアムで広島カープは逆転で中日に8対7で勝ち、ルーズベルト・ゲームを制した。そんな試合を再現したかのように、昨夜(5日)、やはりマツダズームズームスタジアムでの対阪神戦で広島カープは奇しくもルーズベルト・ゲームとなった試合を大逆転で制した。

 昨夜の試合は、カープが勝てば、今年のペナントレースの優勝を決定づける試合となるが、負ければゲーム差は5・5となって、優勝の行方が混とんとなりかねない試合であった。投手は野村と藤波の両チームのエースの投げ合いで始まったが、両エースとも不調で序盤から点の取り合いとなった。

 6回を終わって5対5の同点。7回にカープが安部の適時打で1点を加えたまま最終回を迎えた。カープは抑えの中崎が乱調で、4番の福留に2ランホームランを打たれてまさかの逆転を許した。7対6で迎えた9回の裏、内野安打で出た野間をおいて、この日2安打3打点を挙げている安部が、今季4本目のホームランを放ち、まさに土壇場での劇的なサヨナラ勝ちをした。

 9回の表に逆転され、その裏の先頭打者の3番の丸が凡打したのを見た後、カープが負けるのをテレビで見るに忍びなく、ラジオをもって2階のベッドに横になって聞いていた。ところが、ところがこの大逆転である。慌てて階段を下りてテレビで大騒ぎをしている様子を見て、観客と一緒になって喜んだ。

 振り返ってみると、このゲームこそが、まさに正真正銘8対7の「ルーズベルト・ゲーム」であった。逆転に次ぐ逆転、ハラハラドキドキであったが勝ったからいいようなものの、負けていればこの上ないショッキングな試合である。これでマジックナンバーは12となり、今年のセ・リーグの優勝がカープに決まった試合となった。
 

 


音頭競演

2017年09月04日 | 旅・スポット・行事

 落語の公演は午後4時に終わった。知人と別れたがホテルに入るには早すぎる。柳川の水郷の中心地に行ってみた。張り巡らせている堀の数か所に、川下りをする客待ちの船頭がたむろしている。こんな時間帯では川下りをするような客はもういない。一人の船頭に聞いてみた。「まだ乗せてもらえますか?」「ああ、いいですよ。どうぞ切符をこちらで買ってください」といわれるまま、切符を買って奥さんと2人だけで、24人乗りの大きな船に乗せてもらう。

 「城門」と背中に染め上げた法被を羽織った若いいなせな船頭が乗ってきた。「こんな時間にたった2人のために乗せてもらってすみませんね」というと愛想よく「いやいいですよ。ご案内します」と優しい言葉を返す。

 この船頭は37歳だというが、柳川だけでなく全国の歴史に詳しく、岩国の吉川元春や広家に関してもよく知っていた。柳川には、1501年に築城された柳川城があった。城下町は掘割に包まれた天然の要害をなし、城内、市街には無数の堀が縦横に交わり今も柳川の堀川として現存している。柳川城の攻略には3年かかるという九州屈指の難攻不落の城と謳われたが、明治に入り焼失した。

 広い船の上で、夕方の柳川の景色を眺めながら、私も岩国検定の時に得た知識で岩国の歴史を披露した。ふと気が付くと船頭は話に夢中になって座り込み、竿をさすことを忘れている。こんなことで、40分の川下りコースだったものが、なんと1時間以上もかかったころ出発点近くに戻ってきた。

 最後の橋の下をくぐるとき、「終わりに柳川音頭を歌わせてもらいますがいいですか」という船頭に拍手で答えると、手拍子に合わせて大きな声で歌ってくれた。これを聞かされると私も黙ってはおれない。「私も1曲く歌いましょう。郷土の岩国音頭です」と言って、これまた大きな声で♪ きり~の~ あるうち 錦帯橋を~ ♪と歌った。若い船頭との音頭の競演であった。

 船を降りるとき、思いっきり愛想の良い顔で「ありがとうございました。いい旅をしてください。お元気で、またどうぞ」とお礼の言葉を受けながら、思い出に残る柳川の川下りを終えた。
 


触 発

2017年09月04日 | 生活・ニュース

 現役時代にお世話になったエンジニアリング会社のFさんが、昨年嘱託を満了し故郷の大牟田に帰っている。ゴルフもうまいが、学生時代に活動していた落語をまたやってみたくなり、当時の仲間が集まって再び落語の勉強を始めている。

 先月「落語の発表会を柳川で開催するので、時間があれば聞きに来てください」との案内状が届いた。時間は十分にある。車で300Kmある会場まで奥さんを乗せて出かけた。5年ぶりの柳川であった。柳川といえば「うなぎ」。2人とも、ウナギに引かれて出かけたことも否めない。朝7時に出発し、昼前に着き、期待していたウナギの蒸籠蒸しを食べた後、会場に出かけた。

 早めに会場に入ったので1番乗りであったが、その後130人のお客さんで満員となった。7人の噺家が「牛ほめ」「松山鏡」「初天神」などをそれぞれが15分ずつ話す。Fさんは有名な「時そば」を演じた。そばを食べる音を上手に出して大拍手。いずれもが余裕の本職はだしの話しっぷりであった。

 2時間の公演が終わったとき、お客の中に懐かしい顔を見つけた。Fさんと同じ会社にいた20年ぶりに見るMさんであった。退職して悠々自適の毎日だというが、私を喜ばせるような話をしてくれた。「10年前、新聞の読者投稿欄で茅野さんのエッセイを何度か読んだことがあります。それを機会に私が投稿したものが掲載されて以降、今はそれが趣味となっています」と笑顔で話す。

 私が投稿したものを読んだことをきっかけに、自らが投稿してみる気になり、今ではそれが趣味となっているとは、私もMさんにとって、いいきっかけを作ってあげたことになる。急に嬉しくなり「これからも頑張ってください。期待していますよ」と固い握手をして別れた。いつの日にか「これを贈呈します」といって、1冊のエッセイ集が届く日を期待している。