写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

若がえり

2014年12月16日 | 生活・ニュース

 家の1階と2階に、型式は古いがそれぞれコード式の掃除機を置いている。年末の大掃除のときはもちろん、普段でも急な来客がある時などは、奥さんから何故だか家中に掃除機をかけるよう命じられる。部屋の掃除はいいにしても、階段に掃除機をかけるのは大変だ。

 まずはコードを階段近くのコンセントに差し変え、掃除機をゴトンゴトンと階段の上の方から落としながら掃除していくが、スペースは狭く傾斜もあって、面倒なばかりか危なくもある。この問題を解決するのに、コードレスタイプの掃除機がいいと思っている。名もしれぬ安いのを持っていて重宝していたが、昨年うんともすんとも言わなくなった。新たに買い求めることなく過ごしていたが、今どきどんなものが売られているのか、電器店に商品調査に出かけてみた。

 値段はピンからキリまで、いろいろな種類のものがある。その場で「これがいい」と決めることが出来ないほど構造や重量、充電時間、バッテリーの種類など、商品にバラエティがあることが分かった。商品調査を終え、隣の列に並べてある健康器具に目をやった。

 モダンな形の体重計が置いてある。台に載ると円盤が動いて止まる昔の台ばかりの頃のものとは雲泥の差がある。足を乗せる台の表面はパステルカラーの厚いガラス板で、表示はもちろんデジタルである。しかも、体重計だといいながら、体脂肪率、皮下脂肪率、内臓脂肪レベル、基礎代謝、BMI、筋肉レベル、骨レベル、体年齢、体感バランス年齢などが表示される。

 我が家の脱衣所に置いている体重と体脂肪率のみが計れる旧式のものに比べると、まさに月とすっぽん。こんなものを買うつもりで来たわけではなかったが、「今だけ特価」と書いてあったのに引かれてつい買って帰った。

 早速、身長、体重、生年月日、性別を入力して測定し、表示された数字を見て喜んだ。「体年齢」が65歳、「体感バランス年齢」が57歳と出た。説明書を読むと、体年齢とは、測定データを総合して、体の状態を年齢で表示したもの、体感バランス年齢とは、体感のバランスの良し悪しを年齢で表示と書いてある。この意味はよく理解できないが、自分の年よりもはるかに若い数字が出たのを見るのは、そりゃあ嬉しい。

 この体重計、ひょっとすると若返りを喜ぶ健康オタクの深層心理を先取りした、知恵者が開発した霊感商品かもしれないと思いつつも、日に何度も乗って楽しんでいる。


知らぬが仏

2014年12月14日 | 生活・ニュース

 12月も、もう半ば。今年も残すところ半月ばかりとなった。今日は衆議院選挙日だが、現政権が全ていいとはとても言えない。かといって、それに代わるいい政党があるわけでもない。こんなときには、どうすればいいのか。そんな中、選挙も済んでいない先日、「自民3分の2議席獲得の勢い」との見出しが躍っていた。こんな記事を読むと、ますます投票に出かける意欲がしぼんでくる。自民の対抗勢力は、野合ではなく、実力を付けながらもう少し地道に勢力を伸ばし、真に2大政党化を目指して欲しい。

 今朝、そんなことを思いながら新聞を取りに庭に出た。頬に何か冷たいものが落ちてきた。見上げる空は日が照っている。とはいえ、北の空はどんよりとした曇り空。裏山の緑をじっと目を凝らして見ていると、数えることが出来るくらい間を置いて雪の片が舞い落ちるのが見えた。これを「初雪」といっていいのか。そう思わせるくらいの雪、風花であった。

 アスファルトの道路に落ちては消える雪片を眺めていたら、この1年のわが身のことに思いが至った。毎年きちんと受けている定期健康診断で、思ってもいなかった腫瘍が見つかった。白黒がはっきりするまでの1ヶ月間、人生の終わり方まで考えたり、その後のことを奥さんに申し送ったりしたが、結果は大事に至るようなものではなく、再び今まで通り生きて行くことになった。

 「知らぬが仏」という言葉がある。「知れば腹が立ったり悩んだりするようなことでも、知らなければ平静な心でいられるということ」である。何ごとも、事実を知れば感情に振り回されることでも、知らなければ仏のように心おだやかでいられる。

 わが身の状態も、健康診断も受けずに状態も把握することもなく日々を過ごしていたなら、例え何か悪いことが起きていても、症状が出てくるまではで安楽に過ごすことが出来る。まさに「知らぬが仏」であるが、これでいい訳ではない。そんなことを痛感した1年であった。

 さて、この国のあり方を決める衆議院選挙。世の中がどちらを向いて進んでいるか「知らぬが仏」ても生きてはいけるが、納得した生き方はできそうにない。小さな声ではあるがやっぱり投票という形で参加するしかないのだろう。このたびの私の投票行動心理は、棄権したい気持ちが49%、そうはいっても「国民の義務だ」という声に押し切られる気持ちが51%。やっぱり投票所に足を引きずって行くしかないのだろうが、その足取りは重い。


入浴事故対策

2014年12月12日 | 生活・ニュース

 「シニアのための健康術」という新聞のコラムを読んだ。寒い季節、入浴事故に十分注意を払ってほしい。高齢者の入浴事故は、高齢者の交通事故よりも多い。入浴中に心臓から血液を送り出す機能が急に低下したり、血圧変動に十分な対応ができなかったりするなど、さまざまな理由で意識障害を起こしておぼれ、死亡する例が多い。

 原因は、
寒い脱衣所で服を脱ぐ際に血圧が上昇し、それだけでも脳出血の危険性が高くなるが、続いて熟い湯に入ると今度は血圧が下降し、脳や心臓への血液が少なくなり、脳梗塞や心筋梗塞の危険性が高まる。また、熱めの湯船に長時間入るのを好む人が多いが、発汗による脱水を起こし、血液が濃くなって固まりやすくなり、一層脳梗塞や心筋梗塞が起きやすくなる。

 その予防方法は、①脱衣所や浴室を暖めておくこと ②熱い湯を避けて少しぬるめの湯に入ること ③湯の水位は低めにして長湯をしないこと ④入浴前後の水分補給を忘れないこと、と国立長寿医療研究センター研究所長の鈴木隆雄さんが書いている。

 我が家を建てたのは27年前。当時の浴室は、今どきのユニットバスのように床も浴室も温かいものではない。床はタイル張りで、この季節入るときに足の裏がとても冷たい。入る前に湯を流しておくとか、浴室に湯気をこもらせておくとか、何らかの工夫をしておけば問題はないが、そこまではやっていない。

 このコラムを読んで、私の入浴の仕方に反省すべき点があることが分かった。急に寒くなったので対応が例年より少し遅れたが、脱衣室に電気ヒーターを持ち出した。浴室の床にはマットを買ってきて敷くことにした。「マットを敷くと、カビが生えて不潔になるからいや」と、以前から絶対反対だった奥さんに「風呂から上がる時にマットを立てかけて乾きやすいようにしておく。カビが生えたら私が掃除する」、この2点を堅く約束して了解を得た。

 これにて我が家の入浴事故の対策は一応一件落着。いらぬお世話ですが、お宅のお風呂は大丈夫ですか?
 


年賀状書き

2014年12月11日 | 季節・自然・植物

 12月に入ったと思っていたら、気がつけば今日はもう11日。どこからか「おい、年賀状の準備は大丈夫か?」と、脅迫めいた声が聞こえてくるような気がしている。11月の半ばに年賀はがきを買った。年々、はがきの種類が増えている。例年より1割方枚数を減らして買って帰った。出状する枚数は増えることはなく、意図することなく徐々に減っている。

 はがきの裏面は、毎年パソコンで干支のイラストを入れてプリンターで印刷しているが、添え書きと表書きは万年筆で書いている。数年前、「プリントするならインクジェット対応の年賀はがきがいいですよ」という局員の勧めで、これを買って帰った。万年筆で書くと、ペン先に粉のようなものがついて、インクが滑らかに出なくなり文字がかすれるようなことがあった。

 このタイプのはがきを使う場合には、裏表ともプリンターで印刷するしかないことが分かった。こんなことがあって以降、昔ながらの「普通紙」のはがきを買って万年筆で書きたしている。普通紙のものでも、イラストの印刷くらいであれば十分きれいにプリントできている。

 思い立って数日前から表書きを開始した。昼夜をとわず、空いた時間があれば数枚ずつでも書き貯めていたが、やっと表書きを終えることが出来た。最近はパソコンを使って文字を書いているせいか、手書きをしようとしても漢字を忘れてしまっていることがある。そればかりか、今までと同じようにきちんと書いているつもりであるが、文字が乱れて見た目が年々汚くなってきた。

 こんなことではいけない。普段から筆を取って手紙を書いたり、エッセイも時には原稿用紙に書いたりをしなければ、ますます字が書けなくなりそうだ。さて明日からは、1枚1枚に短い添え書きをしていく番だ。年賀はがきの受け付けはいつからかな?と思ってネットで調べてみた。

 「年賀はがきの引き受けは12月15日から」と書いてある。「受け付け」という言い回しではなく「引き受け」という表現をしている。言葉の定義から行くと、「単に受け取る」というのではなく「責任をもって受け持つ」という強い意思の表れだと解釈した。さすが我らの日本郵便だ。頼もしい。25日までに出せば元日に届くという。この日までに出せるよう、一夜漬けにも似た年末恒例の夜なべが続く。


老兵は消え去るのみ

2014年12月08日 | 岩国検定

 民間有志10人で立ち上げた岩国検定実行委員会の活動は、この11月30日に実施した第3回検定試験をもって休止することにした。会員も、最後は7人に減ってはいたが、その分、1人1人のパワーは倍増していたように感じている。

 5年前、ご当地検定である「岩国検定」を実施するなんて思ってもいなかった。2009年の年の暮れ、お隣の周南市で「周南歴史検定」とやらが実施されたことを新聞で知った。「検定ってなに?」。直ぐにネットで調べてみると、日本全国、歴史や観光資源のある100余りの名立たる町は、観光や商業の振興、街おこしを目的として「ご当地検定」というものを実施していた。

 「錦帯橋を世界遺産に」とのキャッチフレーズで動いている岩国が、ご当地検定をやっていないことを知った。何故だろうと思い、公的機関など心当たりの関係各所を当たってみたが、そんな動きはどこにもみられない。それなら我々民間有志で「岩国を愛し、岩国に誇りを持とう」という目的で、ひとつやってみようではないかと立ち上がったのが「岩国検定実行委員会」であった。

 決して若くはない男女があつまり、「ああでもない、こうでもない。こうした方がいいのでは」などと言いながら岩国のご当地検定を作り上げてきた。3度にわたる50問の問題作り、好評だったテキストブック「いわくに通になろう」の出版、そしてそのCD版の発行。苦しいことや、困難なことは色々あったが、振り返ってみるとそれ以上に楽しいことの方が多かった。

 こんなことを始めて、岩国に関しての知識に疎かった自分が、一番勉強になったことは大きな成果であった。岩国で育ったにしては、岩国のことを何一つ学ぶことなく大人になっていることが恥ずかしくさえ思われた。私と同じような人のためにも、テキストブックは絶好の冊子といえるだろう。こんな冊子を出版出来たことは、心底誇らしく思っている。

 素人の民間有志として本当によくやったと会員と共に自画自賛しているが、残念ながら実行委員会をいつまでも継続していく力がない。岩国の皆さんに一石を投じた積りであったが、その波紋は期待したほど大きく広がることはなかった。それは偏にリーダーの頑なまでも、公的機関への働きかけのなさであった。

 そのことははっきりと認識していたが、、敢えてそれを貫き通した。よその町と同じように、公的機関のどこかが自らの意思で民間有志の手から取り上げてくれるのを期待していたが、残念ながらそんな様子は今もってない。かくなる上は、岩国のこれからを担う若い人たちが、岩国の現状に自ら気がつき立ち上がってほしいと願うだけである。そうでないと、老兵は死ぬこともできず、ましてや消え去ることもできない。