写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

「一線を超える」

2017年08月04日 | 生活・ニュース

 一国の命運がかかる安倍内閣の改造の話題が霞むほどに、このところいろいろな世界の不倫騒動がテレビのワイドショーを賑わせている。有名俳優夫婦に始まり、女性衆院議員がと思えば、今日は50歳で3人の子持ち女優のw不倫騒動である。

 皆さん健気にカメラの前で「世間をお騒がせして申し訳ありません」と頭を下げて謝っているが、衆院議員は、歳費という税金を私的に使って遊んでいることを謝らなければならないが、俳優や女優などはごく私的な確信犯であろうし、カメラの前で謝る必要は全くない。

 すべて身から出た錆で、自分が引き起こしたことは自分で解決すればいいことで、世間に対して謝る必要は何もない。それにより、自分がだめになるならなるだけであろう。とは言いながら、この人たちの謝罪会見とやら、どんな様子かを見てみたが、質問する人の言い方が面白い。

 「一線は超えているのですか?」と単刀直入激しく突っ込むが、「はい超えています」と答える人は誰もいない。ちなみに「一線を越える」を辞書で引いてみると「守るべきことを破る。してはならないことをする」と書いてある。配偶者がいる身で異性との間で「守るべきこと」「してはならないこと」が、質問者にも答える者にも明確には分かっていない。

 不倫など、こんな当事者以外は誰も迷惑のかからないことを、週刊誌はよくもネタを発掘し、根気よく追いかけていくものだと感心するが、書けば週刊誌がよく売れるからなのであろう。平凡な世間一般の人から見ると、顰蹙ものに思える不倫もどきを、一昔前には名を成した作家や芸人、大物政治家など多くの人がほぼ世間公認でやっており、それを赤の他人から咎められるようなことはなかった。

 時代は変わって今の世の中、世間の目は一俳優の私生活にまで立ち入って「一線は超えていませんか」と検察官並みに攻撃の舌鋒は鋭い。所詮は男と女の世の中、「こんなこともあるさ」と精一杯今を生きる人間に寛容であってほしいと思うのは、少し後ろめたさがあるからか。いやいや滅相もない、そんなことは神に誓ってありません。