花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

「高峰温泉」と「上田城跡公園」

2011年08月18日 | 旅日記
高峰温泉

ご存知、高山植物の女王「コマクサ」です。
高峰山に咲いていたわけではありません。

私たちは高峰山から下山後、雲上の温泉として知られている「高峰温泉」に向いました。
この「コマクサ」は温泉宿の玄関横に咲いていたものです。

入浴料1人500円を払って、一階のヒノキの湯船が気持ち良いランプの温に入りました
とても良いお湯です。
詳しい事はこちらのhttp://www.takamine.co.jp/bb/index.htmlをご覧下さい。


私が入ったとき、中高年の3人姉妹が先客でいて狭い湯船は満杯でした。
60~70代の姉妹は仲良く賑やかに温泉に浸かっていました。
私もおのずと会話に加わります。

「東京から来て一週間、毎日雨ばかりで今日やっと太陽が顔を出したのでここまで来てみたの」
何やら軽井沢の中心街は晴れた日もあったらしいのですが、
宿のある標高の高い所はずっとお天気が悪かったとか

「昨日、東京にいる娘からお米を送ってくれと電話がかかってきたのよ」
「東京のスーパーでは去年産のお米が昨日一日でなくなったという話よ。知っている?」

「昨日の早朝に横浜の家を出たので知りませんが・・」
そういえば一昨日のTVで今年の新米は放射能検査をするとか言ってましたね

「去年産のお米があっと言う間に売り切れたみたい。それで軽井沢のお米屋さんから送ったのよ」
「へぇ~!3月11日以降、お米を求めてアタフタしたけど、またその二の舞

検査して安全だといわれても、お上が信じられないから
国民は自己防衛をせざるを得ないのでしょう


この「高峰温泉」からも「高峰山」への登山コースがあります。
大勢の人が降りてきました。
その少し上の方で、蝶の「アサギマダラ」を発見
ヒラヒラと忙しく舞っていて、中々上手く写せませんね

「真田氏本城跡」

ガスっていて「浅間山」が見えないため、往復3時間かかる「黒斑山登山」を諦めて
簡単ハイキングの「高峰山」にしたので、時間は充分にありました。

温泉入浴後は前日の計画通り「上田城」に行く事にします。
「上田城」とナビにインプットしても受け付けないので
ガイドブックに書かれていた「真田氏本城跡」と入れました。

ナビで案内されたのは、上田市の小高い丘の上にある鄙びた所


ここは真田昌幸が上田城を築城するまで、真田氏の本城だった所
別名「松尾新城」と言うらしい・・・


眼下に上田盆地を一望におさめる大規模な「山城」だったらしいが
今では、赤と黒の「六文銭紋」の旗と野仏が佇むだけの静かな遺跡でした。

「上田城跡公園」

更に車で15分、天正11(1583)年、安土桃山時代に真田昌幸が築城した「上田城」は、
上田市の中心街にありました。
現在その本丸・二の丸部分に当たる一帯が、城跡公園として整備されています。


上田城跡本丸東虎口〔こぐち〕の石垣上に立つ2棟の櫓〔やぐら〕と復原された櫓門

その正面奥には城主であった真田氏、仙石氏、松平氏を祀った真田神社があります。


こちらは櫓門北側の石垣に組み込まれた「真田石」
3mの上田城で一番大きな石です。

昌幸が命名し、嫡男・信之が松代転封の際に家宝として持っていこうとしましたが
ビクともしなかったと言う伝説の「石」です。

やぐらは現在「資料館」になっていて真田氏の歴史が紹介されています。

家紋の「六文銭紋」が至る所で見られます。本当の意味は仏教に関係するらしい・・・


徳川の大軍を二度も撃退した名門真田家三代(真田幸隆、真田昌幸、真田幸村)の歴史が
紹介されている「資料館」の窓から「真田神社」が見えました。


我が家の夫は「真田十勇士」のフアンです。
「猿飛び佐助は私も知っているわ。子供の頃の東映映画で忍者物が流行ったのを覚えている」
そんな話をしていると、係員さんが
「あれは立川文庫のフィクションです。本当は6人程度です」と、教えてくださいました。

真田家の年表もジックリと見ます
こちらはシャチホコ

他に工芸品らしきものは見当たりません。
ここは戦国時代の砦のようなお城だったのでしょう。


資料館を見学してから、「真田神社」をお参りします。


神社の裏の西櫓の手前にある真田井戸


真田井戸の由来です。
忍者伝説が伝わるのも判るような気がします。


今では「兵どもが夢の跡」のような、緑豊かな公園になっています。

結局、真田昌幸・幸村親子関が原の戦いで西軍につき徳川家康軍を苦しめますが、
西軍は敗北、幸村の息子大助も秀頼と共に自害します。

真田幸村の戦死と共に真田家の血筋も途絶えたとさえ思われますが
しかし、戦国随一の智将・真田昌幸の嫡男・真田信之によってその血は受け継がれました。
江戸時代以降、真田一族は徳川幕府の一藩として生き残ったのです。

「そこが真田昌幸のすごい所なんだ、家の断絶がないように手を打っている」
「自分と三男幸村は豊臣方に付いたけど、長男を徳川に近い本多勝家の娘婿にした」
主人はまるで自分の手柄のように得意になって私に説明してくれました。
(字が違えど名前が同じなのですよ)


徳川秀忠は、真田氏の抵抗にあって「関が原の戦い」に遅れたといわれていますが
これは父家康の作戦だった
智将と言う点では徳川家康も負けて無いと言うのが主人の見解です。

いずれにしてもアノ時代のお話は、特に殿方には心躍るロマンなのでしょう。
大河ドラマ「江」ではこれから描かれる天下分け目の決戦ですね。
楽しみです。


「上田城」からの帰り道、国道18号線は軽井沢近くで渋滞していました。
私たちは並行して走る「浅間サンライン」を通ってホテルに戻ります。

午前中に登った車坂峠の方向はもの凄い雲で覆われいて
「浅間山」はずっと雲の中のようでした。


途中、道の駅「雷電くるみの里」に寄りました。
今までも何度かお土産などを買いましたが、今回は息子宅用のお土産は「お米」にしました。
高峰温泉で聞かされた話しが気になっていたのです。

信州産のコシヒカリ、けんちゃんの田んぼで採れたお米です。
息子宅用に精米5kg、我が家用に精米5kgと玄米10kg

横浜に戻ってきたら、スーパーの棚にはちゃんとお米は並んでいて、
特売の山積みまでありました

杞憂に終ったお米騒動でしたが・・・
毎日食べるものだし、お土産としては悪くないと思います。

お米にした理由を息子に話したら呆れられましたが、「備えあれば憂い無し」ですものね。



コメント (31)
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