9月1日は「防災の日」でした。
1923年(大正12年)9月1日に起きた「関東大震災」の事を語れる人も少なくなってきましたね。
私の父は新橋生まれの新橋育ち・・・
以前は「震災の時に家が燃えて、家族で大八車で逃げた」という幼い頃の体験談を話していましたが、今はもうその記憶も遠い彼方に飛んで消えたようです。
先月には静岡県で最大震度6弱の地震があり、「すわ!東海地震か」とヒヤッとしました。
あの日のドッキリを教訓に、1日は各地で本番さながらの防災訓練が行われたそうです。
そして2日には、インドネシアのジャワ島で、死者行方不明合わせて100人以上の地震に見舞われたとのニュースをTVで見ました。
私たち夫婦は今年の2月に「バリ島観光」に出かけましたが、その際、お隣のジャワ島にも飛び、二つの世界遺産を見学しました。
ジャワ島は3年前の2006年の5月に、死者5700人を越える大地震で被災し、古都「ジョグジャカルタ」にある世界遺産の「プランバナン寺院遺跡」は未だにその被害が残っていたのが忘れられません。
今回このニュースを知り、被害に遭われた方々の無事を願いつつ、遺跡の被害も広がっていない事を祈りました。
ジャワ島の古都「ジョグジャカルタ」は仏教やヒンズー教などの王朝が栄え、数々の遺跡が点在しています。
世界三大仏教遺跡の「ボルブドゥール遺跡」のご紹介はこちらとこちらでUPしていますが・・・
ヒンドゥー教の「プランバナン寺院群」の記録がストップしたままになっていました
私たちは早朝「バリ島」からお隣の「ジャワ島」のジョグジャカルタまで飛行機で飛び、この日の最後の観光が”細身の乙女”と称えられる優美な遺跡群「プランバナン寺院群」でした。
ジョグジャカルタの東北東12kmの所に有るプランバナンの中でも、一番の見どころはヒンドゥー教のシヴァ堂を中心とした寺院群です。
碑文によると856年ラカイ・ビンタン王が建立、そして907年にラカイ・バリトゥン王が完成させたようです。
その後、王都が東ジャワに移ると放置され、1584年の大地震により廃墟となり、1733年に発見されました。
数回にわたる大規模な発掘、修復作業を経て、1991年に寺院全体が復元。世界遺産に登録されました。
シヴァ、ビシュヌ、ブラフマの三神を崇拝するヒンドゥー教の信仰は、三位一体を祭る主堂が並びます。
その中心はシヴァ堂(右側)で、高さ47mの細身の堂は、求婚を拒まれた男に石にされた伝説の悲劇の姫「ロロ・ジョグラン」とも呼ばれているそうです。
左側は太陽の光を神格化した神を祭った「ビシュヌ堂」、そしてシヴァ堂の右側には宇宙の創造神である「ブラフマ」を祭った堂が並んでいます。
こちらが中心の「シヴァ堂」、マウスオンで外壁もご覧下さい
堂は5層からなり、リンガ(男根)と呼ばれる蓮の蕾みの様な塔が並んでいます。
基檀は欲情に包まれた下界。
二段目の身舎は人が有形から解放される世界・・・
そして屋蓋は神々が鎮座する天界を表わしているそうです。
堂内の中心部にはシヴァ神立像が祭られているとのことですが、2006年の大地震以降は危険なので立ち入りは禁止されています。
実際に、地震で落ちてそのままになっている石像があちこちに転がっていました
インドネシアは日本よりずっとずっと地震の被害にたくさん遭っている国なのですね。
私たちが行った今年の2月の数週間前にも、インドネシアの他の島で大きな地震があったと聞きました
ガイドのエフィーさんも、三年前のジャワ島での大地震を体験し、その時の恐怖を語ってくれました。
私たちにできる事は、復興の寄付ぐらいしかないのでしょうが・・・
古都「ジョグジャカルタ」の姉妹都市である京都の新聞が、大地震から三年経っても一向に復興のメドがたたない「プランバナン寺院群」を憂いた記事を載せました。
興味のある方はご覧下さい。
”ジョクジャカルタ考古学事務所は「最大の問題はシバ神殿。内部がどの程度、地震の影響を受けたか分からない」と説明。同神殿の内部構造資料が1940年代の独立戦争の際、行方不明となったためで、旧宗主国オランダに資料の有無を照会中だが、回答がないという”(京都新聞より)
こちらは「プラフマ堂」の外壁です。マウスオンでご覧下さい
三つの主堂群の東側にはヴィハナ(神の乗り物)の堂が設けられ、大小240もの小祠堂が取り囲んでいます。
そのうちの一つが唯一中に入れました。
中の様子をマウスオンでご覧下さい
石像が揃わず、未だに放置されたままになっている遺跡の数々・・・
ここは観光公園になっていますが、まだまだこれからも修復工事が続けられていくのでしょうね。
日本などのODAや世界遺産基金への寄付が頼りなのかもしれませんが、この世界的不況はこのような文化遺産にも暗い影を落としているようでした。
折りしも、今日も横浜は小さな揺れを感じました。
この記事を打ちながら「早々に我家の防災グッズの点検をしなければ」と、強く思っています。
1923年(大正12年)9月1日に起きた「関東大震災」の事を語れる人も少なくなってきましたね。
私の父は新橋生まれの新橋育ち・・・
以前は「震災の時に家が燃えて、家族で大八車で逃げた」という幼い頃の体験談を話していましたが、今はもうその記憶も遠い彼方に飛んで消えたようです。
先月には静岡県で最大震度6弱の地震があり、「すわ!東海地震か」とヒヤッとしました。
あの日のドッキリを教訓に、1日は各地で本番さながらの防災訓練が行われたそうです。
そして2日には、インドネシアのジャワ島で、死者行方不明合わせて100人以上の地震に見舞われたとのニュースをTVで見ました。
私たち夫婦は今年の2月に「バリ島観光」に出かけましたが、その際、お隣のジャワ島にも飛び、二つの世界遺産を見学しました。
ジャワ島は3年前の2006年の5月に、死者5700人を越える大地震で被災し、古都「ジョグジャカルタ」にある世界遺産の「プランバナン寺院遺跡」は未だにその被害が残っていたのが忘れられません。
今回このニュースを知り、被害に遭われた方々の無事を願いつつ、遺跡の被害も広がっていない事を祈りました。
ジャワ島の古都「ジョグジャカルタ」は仏教やヒンズー教などの王朝が栄え、数々の遺跡が点在しています。
世界三大仏教遺跡の「ボルブドゥール遺跡」のご紹介はこちらとこちらでUPしていますが・・・
ヒンドゥー教の「プランバナン寺院群」の記録がストップしたままになっていました
私たちは早朝「バリ島」からお隣の「ジャワ島」のジョグジャカルタまで飛行機で飛び、この日の最後の観光が”細身の乙女”と称えられる優美な遺跡群「プランバナン寺院群」でした。
ジョグジャカルタの東北東12kmの所に有るプランバナンの中でも、一番の見どころはヒンドゥー教のシヴァ堂を中心とした寺院群です。
碑文によると856年ラカイ・ビンタン王が建立、そして907年にラカイ・バリトゥン王が完成させたようです。
その後、王都が東ジャワに移ると放置され、1584年の大地震により廃墟となり、1733年に発見されました。
数回にわたる大規模な発掘、修復作業を経て、1991年に寺院全体が復元。世界遺産に登録されました。
シヴァ、ビシュヌ、ブラフマの三神を崇拝するヒンドゥー教の信仰は、三位一体を祭る主堂が並びます。
その中心はシヴァ堂(右側)で、高さ47mの細身の堂は、求婚を拒まれた男に石にされた伝説の悲劇の姫「ロロ・ジョグラン」とも呼ばれているそうです。
左側は太陽の光を神格化した神を祭った「ビシュヌ堂」、そしてシヴァ堂の右側には宇宙の創造神である「ブラフマ」を祭った堂が並んでいます。
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こちらが中心の「シヴァ堂」、マウスオンで外壁もご覧下さい
堂は5層からなり、リンガ(男根)と呼ばれる蓮の蕾みの様な塔が並んでいます。
基檀は欲情に包まれた下界。
二段目の身舎は人が有形から解放される世界・・・
そして屋蓋は神々が鎮座する天界を表わしているそうです。
堂内の中心部にはシヴァ神立像が祭られているとのことですが、2006年の大地震以降は危険なので立ち入りは禁止されています。
実際に、地震で落ちてそのままになっている石像があちこちに転がっていました
インドネシアは日本よりずっとずっと地震の被害にたくさん遭っている国なのですね。
私たちが行った今年の2月の数週間前にも、インドネシアの他の島で大きな地震があったと聞きました
ガイドのエフィーさんも、三年前のジャワ島での大地震を体験し、その時の恐怖を語ってくれました。
私たちにできる事は、復興の寄付ぐらいしかないのでしょうが・・・
古都「ジョグジャカルタ」の姉妹都市である京都の新聞が、大地震から三年経っても一向に復興のメドがたたない「プランバナン寺院群」を憂いた記事を載せました。
興味のある方はご覧下さい。
”ジョクジャカルタ考古学事務所は「最大の問題はシバ神殿。内部がどの程度、地震の影響を受けたか分からない」と説明。同神殿の内部構造資料が1940年代の独立戦争の際、行方不明となったためで、旧宗主国オランダに資料の有無を照会中だが、回答がないという”(京都新聞より)
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こちらは「プラフマ堂」の外壁です。マウスオンでご覧下さい
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三つの主堂群の東側にはヴィハナ(神の乗り物)の堂が設けられ、大小240もの小祠堂が取り囲んでいます。
そのうちの一つが唯一中に入れました。
中の様子をマウスオンでご覧下さい
石像が揃わず、未だに放置されたままになっている遺跡の数々・・・
ここは観光公園になっていますが、まだまだこれからも修復工事が続けられていくのでしょうね。
日本などのODAや世界遺産基金への寄付が頼りなのかもしれませんが、この世界的不況はこのような文化遺産にも暗い影を落としているようでした。
折りしも、今日も横浜は小さな揺れを感じました。
この記事を打ちながら「早々に我家の防災グッズの点検をしなければ」と、強く思っています。