花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

東京「路地裏」ブラ歩き・渋谷から赤坂へ(その2)

2015年11月14日 | 東京の街
ワンゲルの会で10月20日に歩いた「路地裏ブラ歩き」の後半をご紹介します。

青山から「根津美術館」へ
國學院大學の学食で昼食を済ませた私たちはリーダーの案内で「根津美術館」を目指しました。


途中、お洒落な街、青山の「ブランド通り」を行きます。

交差する青山通りの青山5丁目交差点から六本木通りの高樹町交差点までの通りは「骨董通り」だそうで・・・

TVの「何でも鑑定団」でお馴染みの中島誠之助さんのお店や
(私はOL時代さる企業が本社にオープンした美術館に勤務していましたが・・・)
そこに出入りしていた骨董屋さんの名前の看板もあるようでした。

「根津美術館」
根津美術館は東武鉄道の社長などを務めた実業家・初代根津嘉一郎(1860~1940)が蒐集した
日本・東洋の古美術品コレクションを保存し、展示するためにつくられた美術館です。

創立75周年記念特別展「根津青山の至宝」を展示中1200円の入館料は高いなぁ~


リーダーは入りたかったようですが、消極的な人も多くて観覧は諦めました。
私はこういう優雅な所に入るには歩きのついでではなく・・・
半日かけてゆっくりじっくり見たいでね。

こちらの美術館の詳しい情報はこちらをご覧ください。

「青山墓地」
根津美術館の先は緑豊かな「都営・青山霊園」です。
南北に貫通する道路にサクラ並木があるほか、園内のいたるところにサクラが植えられています。


大小様々な墓所や著名人の墓所が数多くあり、開設は明治7年で、面積は約26ヘクタール
夫が眠るお墓の何百倍もの広さです。

外人墓地もあり、墓参者のほか、歴史の勉強や散策に訪れる人も大勢いるようです。
我々もその一団ですね。


大久保利通や乃木希典、吉田茂のお墓もあるようで、探して歩きましたが
この広さでは見つけるのは到底無理でした。(ハチ公の墓地もあるそうです)

背景に見えているビルは六本木のミッドタウンでしょうか?

「乃木公園」と「乃木神社へ」
今回私がこの街歩きに参加したのは、変化した渋谷の街と、
この「乃木神社」に行きたかったからです。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」をドラマで見た時から願っていました。

青山霊園から坂を登るように一段高い道を歩いて行くと
外苑東通りに面した石造りの門と煉瓦造りの壁が見えてきます。

ここが明治の軍師乃木希典夫妻が住んでいた邸宅があった「乃木公園」です。

立派なレンガの厩(うまや)です門をくぐると漆黒の壁の邸宅があるはず・・・


日清日露の戦争を戦い、明治天皇崩御に夫婦で殉じた将軍として名高い
乃木希典陸軍大佐夫妻が住んだ邸宅が、区立乃木公園として開放されていますが・・・


この日は残念乍ら工事中で立ち入り禁止・・・
夫妻が殉死した邸宅を見ることができませんでした
こちらのネットの写真で想像してみましょう。

「乃木神社」
乃木公園のすぐお隣に乃木神社があります。


「日露戦争」時の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊相手に勝利した
海軍大将の東郷平八郎を祀った渋谷にある「東郷神社」は、本家の甥が結婚式を挙げたので
行ったことがありますが・・・

「乃木神社」は私にとっては初めての参拝でした。


昔子供のころ、両親に連れられて「明治天皇と日露戦争」という映画を見たことがあります。
スジはあまり覚えていませんが、日本海海戦と乃木将軍が明治天皇に殉じ自害した場面は覚えています。

両親がポロポロ涙していた姿と同時にダブります。


そんな偉大な乃木将軍が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」では無能扱いで
あまり評価されていないのが不思議でした。

明治天皇に殉じたというのが軍国主義に突き進む日本にとって美化され
彼は神として崇められていったのでしょう。

そんなカリスマ性が司馬遼太郎には好まれなかったのかも・・・?

境内には稲荷神社もありました乃木大将を祀った立派な神社でした。


私はふと江ノ島の地にひっそりと祀られている「児玉神社」を思い出しました。
夫と2012年のお正月明けに訪ねた記事はこちらです。
(ここに私はリアルな夫の姿を記していて、今となっては涙が出るほど懐かしい

難攻不落の旅順攻略を引き継ぎ勝利をもたらしたという児玉源太郎は早死にしたせいか?
本郷神社や乃木神社のように華々しい都心にはなく・・・

彼と縁のあった江の島と、生まれ故郷の山口県にひっそりと祀られているようです。

「三分坂から赤坂」へ
乃木神社を後にして行った先は「三分坂」・・・
昔はこの坂を篭で上るには別途料金が必要だったそうです。

高台に見えるのはTBSの赤坂サカス方面横には独特の土塀が印象的な「報土寺」


東京メトロ千代田線赤坂駅から徒歩5分の、三分坂の下にある浄土真宗大谷派の寺院です。
三分坂に沿って築かれた築地塀は趣がありますね。

築地塀とは土を突固め上に屋根をかけた土塀
墓地には江戸時代の力士「雷電」のお墓が・・・


境内には大きな手形の石もあり、各自手を重ねてその大きさを実感しました


3時前には東京メトロの「赤坂見附駅」に到着し、ここで解散でした。
ここまでの歩きは17000歩、まだまだ皆さん元気です。

反省会をするにも居酒屋さんはどこもやっていませんでした
仲間の15~16人が地下鉄「銀座線」で銀座に出て・・・


ビヤホール「ライオン」でのどを潤しました。
流石に銀座の老舗のビアホール、ビールも御つまみも美味し~い
お客様の三分の一は欧米系の外人さんでした。

お店の周辺にはお隣の国の団体様ご一行が、バスを待ちながら道路に座り込んでいましたが・・・


リーダーさんたちと別れて、更に飲みたい方々が8人
(男2人女2人、そして夫婦連れ2組)が有楽町方面に行きました。
高速道路下がすっかり様変わりし、飲み屋街になっていました。


ブログ仲間のうさきちさんは、私の従兄の娘と同級生・・・
若いだけあってお酒も強い

ブログ仲間の山小屋さんは、歯に衣着せぬダジャレで時々とんでもない事を言います。

この日、私の靴に何やら白い紙がくっついて、ワンゲル仲間の女性が取ってくれました。
「500円也」の値段表でした。

「まぁ~、500円とは、私も安くたたかれたものだわ」と呟いたら
「そうだよね~、550円ならわかるけど」と言われてしまいましたわ
二ケタくらい違うでしょうが・・・

もう山小屋さんとは男同士の付き合いのような感じがします。


                

夫の納骨を済ませたら少し私の気持ちも落ち着くと思っていましたが・・・
ドッと疲れて虚脱感に襲われて、思考力&行動力が湧きません。

それでも今週はご近所仲間と「ストレッチ体操」や「コーラス」の趣味の会の参加があり
どうにか引きこもりにならずに済みました。

そして我が家の茂りに茂った木々を、同じ仲間のノンちゃんがバッサリと切ってくれました。
これからは造園と大工仕事が趣味の彼女を夫の代わりに頼ろうと思います。

夫は我が家から5kmの所にある鎌倉の、緑豊かな山のふもとに移り・・・

最近の私の朝の挨拶は「今日は木々の間から朝日が見えましたか?」
「あなたは風になって大空に舞い上がり、私や息子一家を見守ってね」と・・・

ちょっと距離感が出たのが淋しいですが、守っていてくれるものと信じています。





コメント (23)
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