寒さも増して、慌ててボァシーツなどを出し冬用の寝具を整えました。
OL時代の仲間と年に2回、桜と紅葉シーズンにOB会を開いています。
今回は目黒の雅叙園で食事をし、近くの「自然教育園」で
紅葉を愛でる会が催されました。
11月28日(木)・目黒「自然教育園」
自然教育園は目黒駅より徒歩7~8分という都心にありながら、
武蔵野の面影を残す貴重な森です。
元は400~500年前の中世の豪族の館から始まったとされ、
江戸時代には高松藩主松平頼重の下屋敷、
明治時代には陸海軍の火薬庫、大正時代には宮内庁の白金御料地と歴史を重ね、
一般の人々が中に入ることができなかったために、
まれに見る豊かな自然がここに残されました(パンフレットより)
1949年に全域が天然記念物および史跡に指定され
国立科学博物館付属自然教育園として一般に公開されるようになりました。
園内は秋色に染まりつつありますが、
このモミジのスポットはまだ緑の葉が多いですね。
「物語の松」と称されるこの老松は
江戸時代の松平讃岐守の下屋敷の面影を伝えるもので、
近くのひょうたん池などとともに、回遊式庭園であったと思われています。
トップの画像とこちらは「水生植物園」
池や湿地に生育する動植物が見られます。
昔々、何度か学生時代に来たことがありました。
あの頃から比べればだいぶ整備された感じですが・・・
一般的な植物園や庭園と違い、あまり手を入れず、自然の移りゆくまま、
できる限り自然の本来の姿に近い状態で残そうという考え方で
運営されているようです。
鈴なりの赤い実をつけているのが「イイギリ」
私達は「森の小道」へと歩いて行きました。
お昼は近くの雅叙園でビュッフェ料理を堪能したので
お腹はマンプクリン・・・
(ナント、平日シニア料金で500円も安くなるのです)
春の高尾でのお花見の参加者は9名でしたが今回は7名、
10月には同期だけで横浜崎陽軒で集まっていますが
今回は先輩・後輩と広がった拡大OB会です。
色鮮やかなモミジも見られましたが、お日様の光が弱い
もっと光を~~~
私は時々お喋りの輪に入りながらのカメラ撮影で
設定が実にいい加減になりました
可愛い菊が咲いていましたがボケました。
黄色の小粒のお花「アワコガネギク」だそうです。
水鳥の沼にいたのはダイサギ?
「カワセミはいないのかしら?」と仲間がつぶやきました。
おしゃべりしながら足元の落ち葉を踏み分け進みます。
病気の話と孫の話は控えめにし・・・
親が逝った後の整理で苦労した話など、話題は断捨離へと広がります。
「○○先生からいただいたお抹茶茶碗、骨董屋さんで4万円で買ってくれたわ」
「40数年前は桐の箪笥二さおと交換してくれと、出入りの骨董屋に言われたけど」
若い頃美術館勤務だった私たち、高名な理事の先生方から
お祝いやお礼などで茶器や色紙などを頂く機会があり
家宝として大事にしまっていますが、これらもそろそろ「断捨離」かな~
「誰か、TVの何でも鑑定団に出てみてよ~」
「どの木も巨木ね。歴史を感じるわ」と言いながら見上げると
高~いてっぺんにイイギリの赤い実が・・・
「これを見てもらいたかったのよ」と
今回この場所を推薦した先輩がつぶやきました。
私は270mmまでの望遠レンズを目いっぱい伸ばして撮りました
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春には山野草の花々が楽しめる道端の路傍植物園には、赤い実が多く見られます。
落ち葉の中に黒い種が出てくるムクロジの実がいっぱい落ちていました。
「この実で手を洗うと泡がたくさん出て、石鹸の代わりにもなるのよ」
昭和時代に育った私たち、全員がシニア料金(無料)で入園した年代です。
展示ホールのギャラリーでは白金自然写真クラブの皆様の
自然教育園を撮影した写真が展示されていました。
2年半前の春にブログ仲間の紅さんご夫妻の作品が出展されていた
「自然教育園の四季と生き物たち」の写真展を見に来たことがあります。
記事はこちらです。
今回お名前が見当たらないのが淋しかったですね。
午前中強かった風も収まり、温かい日和の中で
1時間半の散策を楽しみました。
後半になって時々青空がのぞき、辛うじて秋色が撮れました。
仲間の一人は同居している実のお母様の夕食の準備で早めに帰り
私も前夜施設からの「お父様の膝が炎症を起こして腫れています」という
連絡を受け
整形外科への付き添いはスタッフさんに頼んだものの
病状と結果報告を聞くために、帰路そのままホームに直行しました。
1年前の「紅葉を愛でる会」は、母が危篤だったため
近くの鎌倉で催してもらったわけですがその時の記事はこちらです。
仲間と明月院の紅葉を楽しんだ4日後に母は亡くなりました。
そんな事を思い出した1日でした。