この路を南に車で20~30分も走れば、源頼朝を祀った鎌倉の「鶴岡八幡宮」です。
去年、ブログ仲間の山小屋さんから「鎌倉古道を歩きませんか?」と誘われました。
お仲間同士で群馬県の高崎からスタートするらしい・・・
各地から「イザ、鎌倉へ」と馳せ参じた「鎌倉古道」は至る所にあると聞いていますが
高崎からとは驚きました
私は我が家近くの「鎌倉古道」に興味があったので
「神奈川県に近くなったら参加させていただきます」と返答・・・
4月5日に、いよいよ町田から大和辺りまで歩くというお話しを伺い
相鉄線沿線に住む山仲間のYさんを誘って参加しました。
「久住山・宏善寺」
最初に桜が綺麗なお寺に立ち寄りました。
暦応元年(1338)創立の、日蓮宗のお寺「宏善寺」です。
見事に手入れをされたお庭が素晴らしい・・・
桜の開花宣言は出されていたものの、寒い日が続いていましたが
この日は快晴に恵まれ気温もグングン上昇
桜もあっと言う間に咲きだしました。
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前回は府中から歩き、この「今井谷戸」からバスに乗って帰ったので、今回はここからスタートとのこと
今までのコースの模様は山小屋さんの所をご覧下さい。
多くの車が走る「鎌倉街道」と並行している、住宅地の中の「なかよし散歩道」を行きます。
午前10時過ぎ、赤い丸印の所から歩き始めました。
小川のせせらぎの音が気持ち良いですね。
今回の参加者は18名くらい?
殿方は私と同年輩の山小屋さんが一番若いとか・・・
いやはや皆さまお元気ですわ
「菅原神社」
「宏善寺」の次ぎに訪れたのは、学問の神様でお馴染みの菅原道真公を祀った「菅原神社」
この辺り一帯は東京都指定の旧跡井出の沢古戦場です。
1335年、鎌倉街道の所要地であった町田村(現在の町田市本町田周辺)で、鎌倉を目指す北条時行軍と、
それを食い止めようとする足利直義軍との間で激しく合戦が繰り広げられたと伝えられています。
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でも一帯は都市化が進み、昔の古戦場跡の面影はまるで見つかりません。
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この町田街道を進むと小田急町田駅脇の踏み切りに出ます。
写真を撮りそこないましたが、これを渡ったところに「絹の道」と書かれた碑がありました。
原町田は八王子と横浜のほぼ中間地点にあり、八王子をはじめ各地と横浜を結ぶ
「絹の道」の役目を果たしてきました。
JR[町田駅」も、以前は「原町田」と呼ばれていたような・・・?
天正年間(1573~92年)には三斎市(さんさいいち)が、
江戸時代になると六斎市(ろくさいいち)が行われるようになり賑わいました。
横浜が開港されると生糸をはじめ諸物資の集散地となり、
六斎市が盛んに行われ商業地域を形成し、現在の原町田に発展したのです(ウキペディアより)
「町田天満宮」
駅周辺で各自昼食を済ませ、午後0時45分に再び歩き始めます。
午後2時半から自宅でお琴を教えているYさんは「まだ歩き足りないわ」と言いながら
一緒にお昼を食べた後、町田駅から帰って行きました。
賑やかな商店街を通り抜け、住宅街に入ると「町田天満宮」の鳥居が見えてきました。
町田にはお勉強の神様が多いのですね。
私は孫のハー君のために、お賽銭を入れて祈願しましたよ。
街道の面影を残す「石塔」の数々が並べられていました。
横浜線を天満宮の前で越え、杉山神社の東を抜けて通り、南を目指します。
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八王子街道を渡り、国道246号からも離れて曲がりくねった道を進むと・・・
瀬谷銀行跡
旧道らしい面影を残す中屋敷地区に、
瀬谷銀行跡と書かれた案内板が樹木に覆われた屋敷前に立っていました。
かつてこの周辺は養蚕と製糸が盛んで、横浜がシルクの貿易で潤っていた時期には、
この辺りにもシルクマネーが流入していたのでしょう。
この銀行跡の内部に入ることはできませんが、今も広大な敷地が放置されているようでした。
瀬谷銀行の設立は明治40年(1907年)、江戸中期から中瀬谷村の村役を務めていた小島家が頭取となり
地域の養蚕業、製糸工場に融資を行ったようです。
八王子から港町ヨコハマに通じる「シルクロード」に思いを馳せましたが
そろそろ疲れが出てきて足が重くなってきた
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この近くの農家の庭先で、女性群は野菜を購入
私は家庭菜園に植える「里芋」を買いました。
「日枝社」
この辺一帯の鎮守様の「日枝社」
本殿横に、かながわの名木100選に指定されている樹齢300年・高さ40mの大ケヤキが見えています。
鳥居横には天保・安政と刻まれた庚申塚が5基、並んでいました。
ここから更に歩いて午後4時半頃、ようやく相鉄線の「瀬谷駅」に到着、解散となりました。
後半は仲間のYさんがいませんでしたが、山小屋さんをはじめ
皆さん良い方ばかりで楽しい1日でした。
大変お世話になり、有難うございました
ただ私、休憩時間を除いた正味5時間のコンクリート歩きは初めての経験・・・
夜になって膝が痛みだし、シップ薬を貼る始末
足への負担は山歩きよりも大きいと感じています。
無事に鎌倉までたどり着けるのかと心配になってきました