今朝は激しい風雨の音で目が覚めました。
5月に台風襲来とは
地球がちょっとおかしくなっている様な気がしてなりません。
交通機関にも乱れが出て、東京湾フェリーも欠航とか・・・
前回UPしたあの「観音崎」から眺めた穏やかな海も、今日は大雨強風波浪警報が出ていて大荒れでしょうね。
観音崎があるのは横須賀市です。
その横須賀市が姉妹都市の提携を結んでいる街の一つに、西オーストラリア州の州都「パース」のお隣にある港町「フリーマントル」があります。
私たちもパースに出かけるたびに訪れる魅力的な街ですが・・・
今年の2月に行った時は、フリーマントルからの帰り道は船に乗ってみました。
トップの写真がフリーマントルの港です。
午後5時、沖合いに浮かぶ「ロットネス島」からたくさんのプレジャーボートが戻ってきました。
パースシティーの南西20キロ、電車で30分・・・
こちらが「フリーマントル駅」です。
スワン川の河口に広がる古い歴史の面影を残す「フリーマントル」は、異国情緒が漂う魅力的な街ですが・・・
パースシティーのお店がほとんどお休みの週末になると、この街は大勢の人々で賑わいます。
100年以上も続いているという「週末マーケット」も見どころの一つで・・・
150店舗以上のお店が並び、地元の野菜や果物、魚介類、そして民芸品などを見て歩くのも楽しいひと時です。
メインストリートのカプチーノ通りのオープンカフェで一息入れるのも良いですね
これらの様子はこのブログでも何度か取り上げていて、古いお仲間はもうご存知かと思いますので写真は省きますが・・・
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歩行者天国となった通りでは、あちこちで大道芸人たちのパフォーマンスが繰り広げられます。
マウスオンでご覧下さい
素人が自分の芸の発表の場としている様子も伺えて、横浜の野毛の大道芸人たちの本覚的な芸とは趣が違いますが・・・
子供が真面目な顔してバイオリンを引いている姿も見られて、微笑ましく思いました。
「フリーマントル」という地名は、1829年に入植したイギリスのキャプテン・フリーマントルにちなんで命名されたそうです。
イギリスからの開拓者が移民する事によって発展したこの街は、今でもいたるところに当時の建物が残り、古きよきビクトリア王朝時代を醸し出しているのですが・・・
真夏の休日は開放的な雰囲気の人々であふれていました。
街を一回りしてから駅の反対側にある「港」に行きました。
ここにもマーケットがあって、オープンカフェでは軽快なリズムのデキシー&ジャズの生演奏をしていました。
音楽を聴きながら名物の「フイッシュ&チップス」をお腹に入れて・・・
私たちは予定通り、この港から船に乗ってパースシティーまで戻る事にしました。
ミニクルーズを楽しむために、この日は車ではなく電車でフリーマントルまでやって来たんですもの
インド洋に面しているフリーマントルは、植民地時代以降、オーストラリアでも屈指の港町として発展し、今では世界有数の積出港になったとか。
特に近年、西オーストラリア州で産出する鉄鋼石やウラニュウムなどが人気を呼びこの港から輸出されているようですが・・・
貿易相手国はずっと日本が一位を占めていたのに、昨年から完全に中国が取って代わったと聞きました
写真に写っている逆光の大型の船も、良く見ると「AUSTRAL ASIA LINE」と描かれています。
インド洋は、アジア、中近東に繫がっている海ですね。
中東方面には「羊」が生きたままギュウギュウ詰めで、ここから輸出されて行きます。
半分は船の中で死んでしまうとか・・・
動物愛護団体が問題にしているようでした
私たちが乗る大型船がロットネス島からやって来たようです。
チケットを買う時、どの便に乗ろうか迷いましたが、ワインのティスト付きの大型船にしましたよ
一足早く小型のパース行きが着岸しました。
ロットネス島で一日海遊びを楽しんだのでしょう・・・
乗客は皆真っ赤に日焼けしていました。
自転車やクーラーボックスを抱えながら下船する人々がたくさん居ました。
船の衝撃を少なく着岸するには技術が必要なんですね。
若いマドロスさんがきびきびと動き大活躍です。
カッコイイですねぇ~
10分後に私たちの乗る大型船も着岸して無事に出航しました
港を離れるとすぐにヨットハーバーが次々に現れます。
このフリーマントルの名が一躍有名になったのは、1987年にこの地で開催された世界最大のヨットレース「アメリカンズ・カップ」でした。
アメリカ船籍以外のヨットで史上初の優勝を果たしたオーストラリア号はフリーマントル港出身・・・
それ以来フリーマントルは明るく開放的な観光スポットに生まれ変わり、ヨットのメッカとしても発展しているようです。
日本では見られないヨットの数、マリーナの存在に圧倒されました。